誕生日は「文化の鏡」である...「ミニフェスのような誕生会」から見えた「個人」と「社会」

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<誕生日をどう祝うか? 1つのイベントからも、その国の社会や文化を支える価値観が見えてくる...>
祝い事は国によって多様だが、特に違いが分かりやすい例は、誕生日パーティーではないだろうか。
ある年の夏、日本育ちの私の子供がジョージアで友人の誕生会に招かれたのだが、そのスケールと、そこに込められた熱量の大きさに文字どおり圧倒されていた。
会場にはキャラクターの着ぐるみ、エンターテイナー、司会者、音響設備、ケータリングがそろい、庭には大量の風船と小型アトラクションも備えられていた。
これは自宅が手狭な家庭であっても同様だ。専用施設を借りて豪華な誕生会を催し、参加者が両手いっぱいのプレゼントを持参することが恒例となっている。
その光景は、単なる誕生会を超えた一大イベントであり、まるでミニフェスのような盛り上がりを見せる。祝う側も祝われる側も一緒になって、1人の人生の節目をまさに全員全力で祝って楽しむのだ。
こうした盛大なお祝いは、子供に限らない。若い恋人同士であれば、誕生日の午前0時に合わせて本格的な花火を打ち上げたり、友人を集めてろうそくの光で地面にメッセージを描くといった演出も珍しくない。
正直、近所迷惑になることもある、騒がしいイベントではあるのだが、不思議とそれをとがめる声は聞こえてこない。「誕生日だから仕方ない」という社会の共通認識が、それを許容しているのだ。
そして、これは大人になっても続いていく。誕生日には、フェイスブックに大量の祝福メッセージが書き込まれる。
正直、うんざりすることはないと言えば嘘になるのだが、ジョージア人の深い思いやりからきている、この文化がなくなってほしいとは思わない。
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