コラム

リケジョのイメージを超越する、女性科学者の波乱万丈の半生

2016年07月06日(水)17時30分

deucee_-iStock.

<植物への限りない愛情で科学の世界を邁進した女性科学者は、そこでハラスメントに直面する。しかしこの回想録には、そんな深刻な問題だけでなく、彼女の波乱万丈の半生が綴られていた>

 ネットでときおり「リケジョ」という言葉を目にする。「理系女子」のことらしい。数学、化学、物理、生物といった学問を学び、それらを一生の仕事として選択する女性が少ないためか、物珍しさが含まれた表現だ。そもそも人を「文系」や「理系」に分けられるのか? という疑問や、「女性の脳は通常理系には向いていない」という先入観なども感じられ、ネガティブに捉える人もいるだろう。

 ハワイ大学で geobiology (地球環境と生物との関係を探る)という分野の生物学の教授を務める Hope Jahren の回想録『Lab Girl (English Edition)』のタイトルは、「ラボの女の子」という意味合いで、「リケジョ」のような軽い響きがある。だが、読み始めたとたん、そんな印象はすっかり吹き飛んでしまう。

「みな海が好きだ。いつも、なぜ海洋生物学をやらないのかと私に尋ねる。なにせハワイに住んでいるから。そこで私は答える。なぜなら、海はとても空っぽで孤独なところだから。陸には海の600倍もの生物がいる。そして、そのほとんどが植物だ。標準的な海の植物は寿命が20日しかない単細胞だ。けれども標準的な陸の植物は100年以上生きる2トンもある樹木だ」

【参考記事】男女双方のストレス軽減を目指す「フェミニズム第3世代」

 Jahrenは、自分が愛する植物のこと、たとえば私たちがふだん気にもとめない「タネ」について独自の詩的な言葉で語る。

「タネは待ち方を知っている。ほとんどのタネは育ち始める前に数年待つ。桜のタネなど100年くらい平気で待つ。いったい何を待っているのかは、そのタネのみが知る。温度、湿度、光、ほかにもいろいろなものが組み合わさった独自の誘発があって、ようやくタネは清水の舞台から飛び下りる(jump off the deep end)決意をする。一度しかない成長のチャンスをつかむために」

 そして、この章をこう締めくくる。「それぞれの始まりは、待つことの終焉だ。私たちは、たった一度の生存のチャンスを与えられる。私たちはそれぞれに不可能かつ不可避だ。大木のすべてが、かつては『待っていたタネ』だったのだ。

 ここまで植物に感情移入する Jahren は、「数学ができないと科学者にはなれない」というような誤解やステレオタイプを考え直す機会も与えてくれる。葉っぱの一つを手にとって、「どんな緑色なのだろう?」「表と裏はどう違うのだろう?」「どのくらい乾燥しているのだろう?」などと考えた時点で、すでにその人は科学者なのだという。そして、一人の科学者から、科学者である読者に送る物語がこの回想録だ。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

英4月製造業PMI改定値は45.4、米関税懸念で輸

ビジネス

日銀、政策金利を現状維持:識者はこうみる

ワールド

韓国最高裁、李在明氏の無罪判決破棄 大統領選出馬資

ワールド

マスク氏、FRBへDOGEチーム派遣を検討=報道
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 5
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 8
    クルミで「大腸がんリスク」が大幅に下がる可能性...…
  • 9
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 7
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 8
    私の「舌」を見た医師は、すぐ「癌」を疑った...「口…
  • 9
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 10
    ポンペイ遺跡で見つかった「浴場」には、テルマエ・…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 9
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 10
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story