コラム

リケジョのイメージを超越する、女性科学者の波乱万丈の半生

2016年07月06日(水)17時30分

「この世界にスライド定規ほど完璧なものはない。唇に含んだときの磨かれたアルミ金属の冷たさ。光にまっすぐあてると、神が作り上げた完璧な直角が四隅に見える......」という詩的な文章で始まる第1章では、ミネソタ州の田舎町にあるコミュニティ・カレッジで物理と地理を教えた父親のラボを遊び場にして育った少女の姿が描かれている。

 アメリカ中西部のミネソタ州には北欧からの移民の子孫が多い。1年のうち9カ月は地面に雪があるという厳しい環境を選んで住み着いた彼らは、愛情や親しみを表現しない無口な人々だ。才能がありながらも子育てのためにキャリアを諦めた母親は、娘に暖かい愛情をそそぐかわりにチョーサー(中世イングランドの詩人)やカール・サンドバーグ(現代アメリカの詩人)を教えたが、そういう教養を学校で見せるとのけ者にされてしまう。

 Jahren は、学校では普通の女の子のようにゴシップに加わるふりをしたが、夕方にはその仮の姿を脱ぎ捨てて、父親のラボに逃げ込んだ。そんな「Lab Girl」こそが、Jahren の真の姿だったのだ。

【参考記事】「リケジョ」を育てる気がない日本の教育現場

 その後、Jahrenは、ミネソタ大学を優秀な成績で卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得し、すぐにジョージア工科大学准教授の地位を獲得し、その後ジョンズ・ホプキンズ大学を経て、現在はハワイ大学の教授を務めている。経歴だけを見ると、順風満帆の人生を歩んできた学者のように感じる。だがこの本を読むと、学者というイメージと現実のギャップに驚くに違いない。

 研究者がやりたいこと(研究)をやるためには、使えるラボを確保するための教授職と研究費が必要だ。ラボの責任者の葛藤の大部分は、研究そのものではなくこの2つを確保することなのだ。

 またJahrenは、仕事にのめり込むと食事もろくに取らず、シャワーも浴びず、1日のほとんどを研究室で過ごすようなワーカホリックだ。それでも女性として科学の分野で働くのは難しく、偏見や身の危険にも晒されやすい。ゆえに、双極性障害もある彼女はときおり普通の生活すらできなくなることがある。

 男女平等が進んでいると思われているアメリカでも、「理系女子」であることは容易ではない。Jahrenは公共ラジオネットNPRのインタビューでこう語っている。

「女性の身体を身にまとって世界を渡り歩くのは厳しいものです。科学(の世界)は安全ではありません。これまで何度も公の場で発言しましたが、(女性に対する)ハラスメントから逃れられないのです。科学の世界にはそのような権力の不均衡がないという幻想がありますが、その幻想がいかに強いかすら認識されていないのです。恥ずかしいことですが、私も若い頃には、それは女性が科学者になるために受け入れざるを得ない代償だと思っていました。どうしても科学者になりたくて、一日でも多くラボで過ごしたくて、よそ者として対等に扱われないことも、男の子たちと一緒に遊ぶために我慢しなければならないことなのだと......でも、私は自分の研究室の学生にはその犠牲になってほしくない。私が(この現状を)変えることができなくても、少なくともはっきりと公言する義務があると思うのです」

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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