コラム

米渡航中止勧告で崩壊した東京五輪の理念

2021年05月26日(水)17時30分

つまり、非常に単純化して考えると、海外からの選手団と、ホスト側の東京都民は、「お互いがお互いを危険な存在」だと感じているわけです。これは国際オリンピック運動にとっては、大変な問題です。五輪憲章では根本原則として、

「オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。(根本原則、第6項)」

とあります。選手団と主催都市の住民が「お互いを危険な存在」と感じているなどというのは、この第6項が完全に成立していない状態だと言えるからです。

もちろん、五輪の選手団と役員というのは、参加各国のスポーツエリートです。また日本は治安を含めて民度の高い国です。ですから、差別といっても暴力を伴うような深刻な事態は恐らく起きないでしょう。

五輪の根本原則が成立しない

ですが、例えば食事会場でルールに違反して会話をした選手に対して、注意を促した監視員が、白いマスクをしていたことで、選手たちから「危険な未接種者」と決めつけられて罵声を浴びせられるとか、五輪の期間中に都内を歩いていた外国人が「ルールに違反して街に出てきた」と誤解されて通報されるといったような事件は、十分に起こり得ると思います。

このレベルの事件でも、当事者の苦痛は計り知れないものがあり、五輪憲章の精神に照らして考えれば、許容できるものではありません。こうした差別事件などというのは、あくまで仮に想定したものですが、一般論として、人口1億3000万人でコロナ死亡者1万1000人の日本が、人口3億3000万でコロナ死亡者59万人のアメリカから「危険国」呼ばわりされるのは、どう考えても理不尽です。反対に、ワクチン接種を済ませたアメリカの選手や役員は、それでも日本で「危険な外国人」という視線にさらされ、しかもそう見ている日本側では接種が進んでいないとしたら、やはり憤慨するでしょう。

とにかく、主催都市の住民と、参加各国の間で「お互いが危険な存在」という異常な感覚が残っている中では、開催は非常に難しいと考えるのが妥当です。今回の米国による「日本への渡航中止」措置というのは、その意味で、かなり深刻な問題を示していると思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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