コラム

「音大卒では食べていけない」?......ただし、趣味を諦めれば食える時代は既に終わっている

2025年06月11日(水)14時00分

「夢か現実か」そんなキャリアの二項対立がこれまでの日本社会では言われてきたが photoAC

<世界標準の「ジョブ型雇用」が日本でも導入されれば、即戦力となる高度な専門性を高等教育で習得しなければならない>

一部の音大卒ユーチューバーが、音大を卒業しても就職が難しいということを発信しており、これを受ける形で「音大進学は勧めない」「音大では食べていけない」といったコメントがネット上にあふれるようになりました。さらにこれを拡大した形で、「趣味を選んだら食えないのは当たり前」というような表現で、音楽だけでなく美大や文学科などへの進学を「勧めない」というような議論が拡大しています。

確かに、以前の日本社会は若者の将来設計について、社会が「2段階方式」を押し付けているようなところがありました。まず、学生以前の若い段階で消費者として参加体験のある業種で、その延長でイメージできる専門職という進路を「夢」と名付けます。それは、例えば音楽であり、文学であり、あるいは技術者だったりします。医師なども入ってくるかもしれません。


ただ、これらの専門職は高度な技術が必要です。高い才能を育むためには、大きな裾野が必要であり、その頂点の数%は「夢を実現」できても、裾野を構成する大多数はそのような専門職には就労できません。そこで「夢を諦めて」会社員や公務員、つまり広義のオフィスワーカーに「でも」なるか、あるいはそれ「しか」できないことを悟らせます。「現実を直視しろ」という言い方もよくされました。

つまり確率の低い専門職か、それに失敗した場合の「現実」としてのオフィスワーカーかという二段階で将来設計をしなさい、しかもできれば早めに専門職は諦めてオフィスワーカーを選択しなさい、これが長い間、日本の若者に対して行われた進路指導でした。そして後者のオフィスワーカーというのは、大学で会計学や法学、地方行政などを専門的に学んでいたら「色がついていて面倒」なので、何も準備はいらない、むしろ「地頭(じあたま)」があって、理不尽な命令への耐性があればいいとされたのです。

オフィスワーカーなら「食えなくなることはない」と思われてきたのは事実

その結果として、日本では「でもしか」のオフィスワーカーが大量に発生していました。さらに言えば、そうしたオフィスワーカーというのは労基法に守られて解雇されないし、DXを進めても標準化やアナログの廃止ができないので、仕事は増えるばかりでした。ブラックな職場環境で疲弊することはあっても、決して「食えなくなる」ことはない、そう思われてきたのは事実です。

ですが、近年、このトレンドに変化が始まっています。

まだ本格的な流れにはなっていませんが、世界標準である「ジョブ型雇用」が、日本でも導入されるのは時間の問題だからです。同時に、各企業がそれぞれの経験則で作り上げた「自己流の仕事の進め方」も、DXがより進んでいけば、一気に標準化されることでしょう。そうなれば、更に世界で通用するスキルを身につけた上で、労働市場に参入する本当のジョブ型雇用が動き始めます。

その場合は、各企業、各官庁が勝手に経験則を自己流で伝承するだけで成り立っている、「でもしか」オフィスワーカーというのは淘汰されていきます。反対に、即戦力になりうる高い専門性を、大学教育までの期間で習得しなくてはなりませんし、できるように大学も変わるでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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