コラム

新しい手法でリアリティを追求した魔法の映画『ハッピーアワー』

2016年12月13日(火)15時30分

 具体的に言えば、そもそも「自分の役というのはどんな人格か」「このシーンの相手役は」「そこで言及される第三の人物は」ということを過去からの変遷として理解し、更に相互の関係性などもその変遷の結果として「この時点」が設定されているのです。そのために、この作品にはシナリオ本体とは別に、膨大な「サブテキスト」というものがあり、登場人物の過去や、過去の相互関係を説明するダイアローグが書き込まれています。

 役者さんたちは、本編のシナリオとは別に、その「サブテキスト」の読み合わせも行い、それを通じて、人物の過去と現在に至る経緯を、関係性の変遷としても理解した上で演技に臨んでいるのです。その結果として、もちろん100%ではないのですが、虚構性を最小限にして、疑似現実のような空間を作り出すことに成功しています。

 特に非言語の部分、つまり所作や表情の部分で、この4人にはベテランの役者さんのパフォーマンスを越えるような表現が出来ているように見受けられましたが、その秘密はここにあります。その不思議なリアリティという特徴がまず一つあります。

 2つ目は、時間の感覚です。劇映画では、全てが計算された時間の中に綿密に構成されています。ですから、時間も完全な虚構性に満ちているわけです。ですが、本作では、徹底して「現実に近づけた時間感覚」ということが意識されています。

【参考記事】台湾生まれの日本人「湾生」を知っていますか

 例えば、ある決定的なシーンで、主人公の一人が夜明けの町を歩いて行くのですが、そのシーンには通常の映画ではあり得ないような長い時間が当てられています。その長い時間を歩き切ることで、しかも与えられたコンテキストに基づく一種の悲劇性を帯びながら歩くことで、観客は、役者さんの演技にリアリティを感じるのです。そのリアリティは、通常の映画的な時間とは全く別物です。

 作中に出て来る「ワークショップ」とか「飲み会」あるいは「朗読会」といったイベントも、説明的なスケッチではなく、観客に実時間の共有に近い経験をさせるような時間感覚で表現されています。「5時間超え」はその結果というわけです。

 3つ目は、会話や関係性がリアリティを持つというマジック、限りなく現実に近い時間感覚を観客に共有させるというマジックを活かすために、緻密な演出と照明、撮影の努力がされているということです。

 薄暗い空間が必要なら本当にそれを撮ってしまう、どうしても必要なアングルがあるのなら思い切り遠くから望遠で撮る、船や電車、あるいは自動車の中という移動空間における印象的な画作りをする......つまり演出・照明・撮影に関しては、実は通常の映画よりも人為的な作為、あるいは虚構性は拡大されているのです。映像は凝りに凝っていて、それが特殊な演技と特殊な時間のもたらす「疑似現実」をコッソリと支えているわけです。

 本作の公開は、2015年末から始まっていますが、現在でも日本国内、あるいは世界中で上映が続いています。一見をお勧めします。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

利上げの可能性、物価上昇継続なら「非常に高い」=日

ワールド

アングル:ホームレス化の危機にAIが救いの手、米自

ワールド

アングル:印総選挙、LGBTQ活動家は失望 同性婚

ワールド

北朝鮮、黄海でミサイル発射実験=KCNA
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老人極貧社会 韓国
特集:老人極貧社会 韓国
2024年4月23日号(4/16発売)

地下鉄宅配に古紙回収......繁栄から取り残され、韓国のシニア層は貧困にあえいでいる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 2

    ハーバード大学で150年以上教えられる作文術「オレオ公式」とは?...順番に当てはめるだけで論理的な文章に

  • 3

    「韓国少子化のなぜ?」失業率2.7%、ジニ係数は0.32、経済状況が悪くないのに深刻さを増す背景

  • 4

    便利なキャッシュレス社会で、忘れられていること

  • 5

    中国のロシア専門家が「それでも最後はロシアが負け…

  • 6

    止まらぬ金価格の史上最高値の裏側に「中国のドル離…

  • 7

    休日に全く食事を取らない(取れない)人が過去25年…

  • 8

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 9

    毎日どこで何してる? 首輪のカメラが記録した猫目…

  • 10

    中ロ「無限の協力関係」のウラで、中国の密かな侵略…

  • 1

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 2

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 3

    攻撃と迎撃の区別もつかない?──イランの数百の無人機やミサイルとイスラエルの「アイアンドーム」が乱れ飛んだ中東の夜間映像

  • 4

    天才・大谷翔平の足を引っ張った、ダメダメ過ぎる「無…

  • 5

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 6

    「毛むくじゃら乳首ブラ」「縫った女性器パンツ」の…

  • 7

    アインシュタインはオッペンハイマーを「愚か者」と…

  • 8

    犬に覚せい剤を打って捨てた飼い主に怒りが広がる...…

  • 9

    ハリー・ポッター原作者ローリング、「許すとは限ら…

  • 10

    価値は疑わしくコストは膨大...偉大なるリニア計画っ…

  • 1

    人から褒められた時、どう返事してますか? ブッダが説いた「どんどん伸びる人の返し文句」

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    88歳の現役医師が健康のために「絶対にしない3つのこと」目からうろこの健康法

  • 4

    ロシアの迫撃砲RBU6000「スメルチ2」、爆発・炎上の…

  • 5

    バルチック艦隊、自国の船をミサイル「誤爆」で撃沈…

  • 6

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 7

    ロシアが前線に投入した地上戦闘ロボットをウクライ…

  • 8

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

  • 9

    1500年前の中国の皇帝・武帝の「顔」、DNAから復元に…

  • 10

    浴室で虫を発見、よく見てみると...男性が思わず悲鳴…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story