コラム

風評のパワーを甘く見てはいけないのではないか?

2011年04月08日(金)11時57分

 風評というのは「感情論」であるのは間違いありません。

 それは、現在進行形の事象ではなく、過去の現象を振り返れば容易に分かることです。例えば「新型インフル」騒動がいい例でしょう。「水際作戦」といって検疫官の方々にまるで放射線防護服のような格好をさせて成田着の北米便の「疑い例」を調べさせたり、短期留学で感染者を出した学校に犯罪者のような視線が浴びせられたことなどは、今では完全に記憶の彼方の話です。

 他にも色々な例があります。9・11の同時多発テロの直後に、日本の企業が「海外出張自粛」をしたために、全く無関係なドイツの書籍見本市「フランクフルト・ブックフェアー」の日本関係のブースが空っぽになって顰蹙を買ったこと、同じく9・11の直後「米軍基地がテロリストに狙われる危険」を理由に、本土の学校が沖縄への修学旅行を「自粛」したこともありました。こうした事件も、今では完全に過去形です。

 勿論、風評は日本だけの現象ではありません。今回の東電原発事故に当たって、降雨による放射能降下を恐れて学校を休校させた韓国、日本製の食品を禁輸した香港やインドもそうですし、アメリカでも、牛乳への不信感や日本食一般への忌避ということは部分的には起きています。また、一時期ヨウ素剤が一斉に品切れになったりもしました。

 では、どうして風評はこれほどのパワーを持っているのでしょうか?

 まず、風評というのは危険が切迫しているから起きるのではないということがあります。むしろ、その時点での危険は「遠い存在」であること、そして危険回避行動について「選択の自由がある」という条件があって初めて「蔓延」するのです。まず「遠い存在」であることから、実態が良くわからないという状況になります。分からないから不安であるし、政府やマスコミは何かを隠しているのではないか、そんな疑心暗鬼も生むわけです。

 ですが、風評のパワーを生み出す主な原因は「分からない不安」ではありません。そうではなくて、「危険回避行動に選択の余地がある」という点が重要です。

 例えば、東京の高級ホテルのレストランで、食材に使うホウレンソウは選べるわけです。北関東から東北南部のものを使い続けるのも、この際だからと中部地方のものに切り替えるのも可能です。その「選べる」という条件下では、「選ぶ」という判断に意味が出てきます。風評が蔓延していて、一部のお客が気にするという状況であれば、風評の対象となっている食材を「避ける判断」をすることが「高級」という価値と思われているのです。

 個人の場合も同じです。仮に子育て中の娘が都内に住んでいるとして、近県に住んでいる両親が自分たちの近所ではミネラルウォーターが買えるという場合に、別に娘一家を放っておくという判断も可能でしょう。ですが、その「選択の余地」のある中で、老夫婦は娘に送るために、あえて「買いだめするという判断」をするのです。それは、孫に対する具体的な健康被害を計算しているわけではありません。不安の拡大している社会のムードの中で、そのような行動、いや「選択」が家族としての愛情表現になるからです。選択の余地がある「遠方」で風評が拡大するのはそういうメカニズムです。

 重要なのは、その背景には「空気」があるということです。いわゆる日本的な同調圧力としての「空気」、つまり「高級ホテルだから特に安心な食材を使っているだろう」という暗黙の空気、「北関東産はどうもねえ」という「空気」、「無くなるのが心配だから」ミネラルウォーターウォーターを買っておこうという「空気」こうした「空気」は瞬間的なものだとはいえ、大変な圧力を生じます。

 危険回避行動が「空気」となって暴走する背景には、少数派の側はコミュニケーションに苦慮するという問題があります。多少の線量データが出た時でも「別に気にしないで子供に水道水をやる」というのは、個々の家庭としては判断が可能です。ですが、「気にする」という多数派に対して、自分は独自の判断をしたということが話題になったときのストレスは非常に大きなものがあります。「同調しない」ということを説明しつつ同調する人と共存するのは大変に難しいのです。

 今回は特に放射性物質の問題ですから、物理化学のセンスのある人なら、それなりに判断を下すことはできるでしょう。ですが、それを「空気」に同調している人に説明するのはほぼ不可能です。あえて化学式や半減期の話を持ち出して説得しようとでもすれば、以降の人間関係は相当にギクシャクするでしょう。

「いわき」ナンバーのトラックが取引先への納品を断られるというニュースも見ましたが、これも「漠然と怖い」という「空気」に抗するには理由を説明して「大丈夫ですよ」という説得をしなくてはなりません。ですが、「俺を見下しているのか」という反発を受けずにその説明をするのは難しいと思います。相手が多少気遣って「私はいいんですがね。近所の目もありますし」などという言い方をしてくれても、絶望的であることには変わりはありません。

 つまり「危険回避行動がオプション」であり「選べるという比較的安全な状況」では「その中で直感的に保守的な判断をすること」が「人間関係の調和を前提にするとデフォルト」であり、それに従うのであれば「あうんの呼吸」で済むわけです。ですが、これに抗するためには「非日常的な言語での説明とコンフリクト解消のストラテジ」などという高度な能力を要求されてしまうわけであり、そこに風評蔓延のものすごいパワーのメカニズムがあるように思います。

 であるからこそ、政府もメディアも風評を許してはいけないのです。ブログが炎上しようとも、抗議の電話がかかってこようと、科学的に安全な調査結果があるのであれば、風評などという甘い言い方ではなく「誤解」「誤認」であると厳しい言葉を並べ「科学的根拠を耳が痛くなるぐらい強調」して対抗すべきです。

 風評は一旦発生すれば暴走するようにできているのです。影響力のある人間まで「同調しないと偉そうな奴だと思われて叩かれる」などと言っていては、益々暴走して手のつけられないことになります。それは人々を見下すことではないのです。風評に「配慮した言い方」をしておけば政治的失点にはならないなどと考えるほうが余程「腹黒い」というべきでしょう。

 ホテルのレストランの場合は判断は難しいと思いますが、例えば、

「当ホテルでは食材の安全性に関する今般の議論に鑑み、懸念のある食材はできるだけ遠慮したいというお客様、また風評被害を受けている生産地を応援したいというお客様、それぞれのお好みを出来るだけ伺う所存でございます。どうぞご懸念のある方はご遠慮なくお申し付けください。尚、特にご要望がない場合は当ホテルとして政府の基準に即して安全が確認された食材を責任をもってご提供させていただきますのでご安心ください」

 などという対応が1つの「高級」のあり方なのかもしれません。いずれにしても、風評を暴走させては最後には経済がボロボロになるという中で、ここは知恵の見せどころだと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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