コラム

【大江千里コラム】ブルックリンで叫ぶ「僕のBLM」

2020年07月25日(土)14時00分

ブルックリンで見掛けた「正義」への訴え SENRI OE

<ニューヨーク・ブルックリン在住の大江千里氏が、日常的に出くわす黒人差別を語る。「黒人を犯罪者に仕立て上げるsystemic racism(構造的差別)にこそ問題がある」――。>

アメリカでは、きっとマイルス・デイビスでも夜はタクシーを止められないことがある。以前こんな経験をした。夜遅い時間に、黒人の仲間の中に東洋人の僕が1人というグループで食事をし終えタクシーを拾う段になったときの話だ。

黒人の仲間がいくら手を挙げても車が止まらない。「夜に僕たち黒人が手を挙げたところでこんなものさ」。自嘲気味に笑う友人を押しのけて僕が車道へ出て「ヘイ、タクシー!」と手を挙げた。そうするとすぐに車が止まったのだ。

「みんな、車が来たよ」と、僕はドアを開けて彼らを呼び寄せた。死角にいた彼らがドッと車道に出てきた途端に、車はドアを開けたまま急発進して去って行ってしまったのだ。「ほら! この国ではたとえマイルス・デイビスでもジャネット・ジャクソンでも、まともにタクシーさえ拾えない。こんな暗闇では特にね」。

僕はこの衝撃的で理不尽な出来事が心に突き刺さったまま離れない。黒人であることが、それだけで誰かに恐れられたり、タチの悪い奴らだと思われたりしてしまう社会通念。

あれから30年以上が流れ、いま僕が住むブルックリンのアパートは低所得者用の公共団地「プロジェクト」の近くにある。窓からはコロナ禍で職を失った若い黒人男性が信号待ちの車に物乞いをしに近づいて行く様子が見える。コロナによる黒人の死亡率は白人の2.4倍だという。

まだ年端もいかない10代の黒人の女の子が警察に手錠をかけられる姿を見ることもある。白人警官に殺されたジョージ・フロイド氏が嫌疑をかけられた偽札疑惑も、使おうとして捕まった人をスーパーのレジで見たこともある。犯罪を犯すのは人種に関係ないが、やはり僕のエリアじゃ黒人が多いのはなぜだろう。殺人罪に問われた黒人の冤罪率は、ほかの人種より50%も高い。

BLM(黒人の命は大事)運動が訴えるように、黒人を犯罪者に仕立て上げるsystemic racism(構造的差別)にこそ問題がある。黒人の貧困率の高さもそう。理不尽な「負の連鎖」を、いま変えなければならない。

ジャズはアフリカンアメリカンの文化だ

一方で、BLMは世の中を良くしようとピュアな人々が立ち上がった運動だったのに、暴徒が強奪や放火を繰り返すことによっておかしな方向へ向かい始めた。

一部の横暴な警察官をたたく世論があふれ返り、職務にまっとうに取り組む誠実で正義感のある警察官が公の場所でまともに食事もできないほどの迫害や差別を受けているとも聞く。これも困ったものだ。尊厳を守り不平等を変えるというのがBLMの本質なのに。

アメリカで暮らして13年目になるが、いま歴史の大きな変わり目に生きていると感じる。ジャズはアフリカンアメリカンの文化だ。超人的な技やアイデア、色彩感覚豊かで繊細さを併せ持つ素晴らしい芸術をもたらした彼らの心に長いこと沈殿した切実な想いを、少しでも感じようと努力すること、人種を超えて起きている変革の動きを「目撃者」として刻み僕なりの音楽に変えていくこと。それが「僕のBLM」だと考える。

コロナは前触れでしかなかった。ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」の詞が改めて心を刺す。

<2020年7月21日号掲載>

プロフィール

大江千里

ジャズピアニスト。1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー後、2007年末までに18枚のオリジナルアルバムを発表。2008年、愛犬と共に渡米、ニューヨークの音楽大学ニュースクールに留学。2012年、卒業と同時にPND レコーズを設立、6枚のオリジナルジャズアルパムを発表。世界各地でライブ活動を繰り広げている。最新作はトリオ編成の『Hmmm』。2019年9月、Sony Music Masterworksと契約する。著書に『マンハッタンに陽はまた昇る――60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)ほか。 ニューヨーク・ブルックリン在住。

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