コラム

一線を超えた香港デモ──「優秀な人材が潰されるシステム」はどこへ行く

2019年10月03日(木)16時20分

香港の行政長官は中国政府によって任命される。一国二制度のもと、建前では独自の権限が与えられながらも、その権限は実質的には北京に徐々に浸食されてきた。そのため、先述したような生活問題もほとんど改善できなかった。

つまり、「将来が奪われている」という若者の不満は、その原因のほとんどが中国政府にあるとみてよい。

その中国政府は、軍事介入すら匂わせながら香港政府に厳しい取り締まりを求める一方、国際世論への配慮から「できるだけ死傷者を出さないように、しかも速やかに」という暗黙のプレッシャーもかけてきた。

これに対して、その出先機関の責任者である林鄭長官は、習近平国家主席に「中国による香港の扱いを改めてほしい」とはいえないまま、ただ混乱の収束に当たらざるを得ない。

そのうえ、林鄭長官としても、中国の軍事介入を受け入れることは、北京からのさらなる介入を許すことになるだけでなく、現在は静観している多くの年長市民の反感をも大きくするため、できれば避けたいところだろう。

だとすると、9月24日の会見で林鄭長官が「警察は極度の圧力に直面している」と発言したことは、「下」からだけでなく「上」からの圧力も指すとみた方がよいだろう。また、この会見で過去数カ月で死者が出ていないことを「注目に値する」と述べたことも、ただの言い逃れともいえない。

いずれにせよ、八方ふさがりのなか、香港市民の決定的な離反を避けるためには(死傷者もいとわない)中国式の厳罰主義もとれず、かといって林鄭長官にはデモ隊と実質的な交渉をする権限もない。

それは結果的にデモの長期化にもつながり、その状況がデモ隊だけでなく治安当局のフラストレーションも高めていたことは想像に難くない。だとすると、今回の発砲は、時間の問題だったともいえる。

優秀なエリートの忠誠心

林鄭長官は優秀な公務員と評価されて、中国政府によって香港の最高責任者に任命された。しかし、本来は共産党体制とかけ離れた経歴をもっている。

1957年生まれの林鄭氏は、カトリック系高校に学び、イギリス統治下のリベラルな気風のもとで育った。その後、香港大学に学びながら学生運動にも参加。民主派の政治家とも近く、ケンブリッジ大学に進んだ後、1980年に香港市庁に入庁した。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ユーロ圏CPI、4月はサービス上昇でコア加速 6月

ワールド

ガザ支援の民間船舶に無人機攻撃、NGOはイスラエル

ワールド

香港警察、手配中の民主活動家の家族を逮捕

ビジネス

香港GDP、第1四半期は前年比+3.1% 米関税が
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に高く、女性では反対に既婚の方が高い
  • 2
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来が来るはずだったのに...」
  • 3
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が書かれていた?
  • 4
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 5
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 6
    インド北部の「虐殺」が全面「核戦争」に発展するか…
  • 7
    ウクライナ戦争は終わらない──ロシアを動かす「100年…
  • 8
    目を「飛ばす特技」でギネス世界記録に...ウルグアイ…
  • 9
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
  • 10
    悲しみは時間薬だし、幸せは自分次第だから切り替え…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story