コラム

戦争のトラウマがない新しいセルビア映画を作る『鉄道運転士の花束』

2019年08月16日(金)13時33分

『鉄道運転士の花束』(C)ZILLION FILM (C)INTERFILM

<故意でなくとも何人もの人を殺してしまうという鉄道運転士たちの悲哀と誇りをユーモラスに描く>

13の国際映画祭で最優秀作品賞や観客賞に輝いているミロシュ・ラドヴィッチ監督のセルビア映画『鉄道運転士の花束』は、その冒頭のエピソードだけでも、意表を突く風変わりなブラックコメディであることがわかる。

定年間近の鉄道運転士イリヤが、非常事態を経験した運転士をサポートする臨床心理士の診断を受ける。ロマ(ジプシー)の楽団を乗せて踏切で立ち往生していた車を撥ねたイリヤは、落ち着き払って説明を始める。「ロマを6人殺したんだ。車輪で手脚を切り飛ばした。行方不明の頭は車輪でミンチになったーー」。そんな話を聞くうちに臨床心理士の方がパニック発作を起こしそうになり、逆にイリヤが彼を介抱する。

それからこの運転士は、事故の犠牲になったロマたちの墓を訪れ、遺族の罵声を聞き流しながら死者に花を手向ける。そんな光景に、彼のこんなモノローグが重ねられる。


「親父と俺は53人の人間を殺した。男が40人、女が13人。じいさんの分も加えれば66人殺したことになる。裁かれたことはない。罪はないからな。文句を言われても、流すしかない」

そんなプロローグにつづく本編では、イリヤと彼の養子になる孤児シーマの絆を軸に物語が展開していく。イリヤは、列車に轢かれて死のうとしていた10歳のシーマを救い、行き場のない彼を引き取る。やがてシーマは、鉄道運転士を目指すようになるが、プロローグから察せられるように、単なる成長物語にはならない。

新しいセルビア映画を作るという監督としての出発点

監督のラドヴィッチはなぜこのような題材を思いついたのか。プレスのインタビューによれば、蒸気機関車の運転士をしていた彼の祖父がヒントになっているらしい。その祖父は"チャンピオン"と呼ばれていて、子供の頃にはそのニックネームが自慢だったが、実は線路上で殺してしまった人の数が最高だったという意味であることを後に知ったのだという。

しかしもちろん、そんな祖父の経験だけでこのブラックコメディが成り立っているわけではない。ここでラドヴィッチのキャリアを少し振り返っておいても無駄ではないだろう。監督としての彼の出発点には、政治やイデオロギー、戦争のトラウマなどがない新しいセルビア映画を作るという指針があった。具体的には、短編の『Moja domovina(英題:My Country)』や長編デビュー作の『Mali svet(A Small World)』などにそれが表れている。

荒野のなかにポツンとある踏切を舞台にした『Moja domovina』では、遮断機の操作員が自分の懐中時計で催眠術にかかって眠りこけてしまったことから、負の連鎖が巻き起こる。馬車を引く馬が前に停車していたバイクのシートを食べてしまったり、目覚めた操作員が確認もせずに遮断機を上げたためにそこに繋がれていた羊が首を吊ってしまったりして、ついには殺人にまで発展する。そんな不条理を通してセルビアが表現される。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

ECB、仏国債の臨時購入を検討せず=政策筋

ワールド

イラン、核開発計画に警告したG7声明を非難

ビジネス

米資産運用バンガード、マスク氏報酬案に賛成 テスラ

ワールド

フランス全土で極右政党の国民連合に対する抗議デモ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:姿なき侵略者 中国
特集:姿なき侵略者 中国
2024年6月18日号(6/11発売)

アメリカの「裏庭」カリブ海のリゾート地やニューヨークで影響力工作を拡大する中国の深謀遠慮

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    この「自爆ドローンでロシア軍撃破の瞬間」映像が「珍しい」とされる理由

  • 2

    FRBの利下げ開始は後ずれしない~円安局面は終焉へ~

  • 3

    顔も服も「若かりし頃のマドンナ」そのもの...マドンナの娘ローデス・レオン、驚きのボディコン姿

  • 4

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開する…

  • 5

    米モデル、娘との水着ツーショット写真が「性的すぎ…

  • 6

    森に潜んだロシア部隊を発見、HIMARS精密攻撃で大爆…

  • 7

    水上スキーに巨大サメが繰り返し「体当たり」の恐怖…

  • 8

    なぜ日本語は漢字を捨てなかったのか?...『万葉集』…

  • 9

    サメに脚をかまれた16歳少年の痛々しい傷跡...素手で…

  • 10

    メーガン妃「ご愛用ブランド」がイギリス王室で愛さ…

  • 1

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 2

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車の猛攻で、ロシア兵が装甲車から「転げ落ちる」瞬間

  • 3

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思っていた...」55歳退官で年収750万円が200万円に激減の現実

  • 4

    米フロリダ州で「サメの襲撃が相次ぎ」15歳少女ら3名…

  • 5

    毎日1分間「体幹をしぼるだけ」で、脂肪を燃やして「…

  • 6

    カカオに新たな可能性、血糖値の上昇を抑える「チョ…

  • 7

    この「自爆ドローンでロシア軍撃破の瞬間」映像が「…

  • 8

    「クマvsワニ」を川で激撮...衝撃の対決シーンも一瞬…

  • 9

    認知症の予防や脳の老化防止に効果的な食材は何か...…

  • 10

    堅い「甲羅」がご自慢のロシア亀戦車...兵士の「うっ…

  • 1

    ラスベガスで目撃された「宇宙人」の正体とは? 驚愕の映像が話題に

  • 2

    半裸でハマスに連れ去られた女性は骸骨で発見された──イスラエル人人質

  • 3

    ニシキヘビの体内に行方不明の女性...「腹を切開するシーン」が公開される インドネシア

  • 4

    ウクライナ水上ドローンが、ヘリからの機銃掃射を「…

  • 5

    「世界最年少の王妃」ブータンのジェツン・ペマ王妃が…

  • 6

    接近戦で「蜂の巣状態」に...ブラッドレー歩兵戦闘車…

  • 7

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 8

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃の「マタニティ姿」が美しす…

  • 9

    早期定年を迎える自衛官「まだまだやれると思ってい…

  • 10

    ロシアの「亀戦車」、次々と地雷を踏んで「連続爆発…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story