コラム

学校で起きた小さな事件が、社会システムの欠点を暴き出す『ありふれた教室』

2024年05月16日(木)18時49分
『ありふれた教室』

ドイツ映画賞主要5部門受賞、アカデミー賞国際長編映画賞ノミネート『ありふれた教室』(c) ifProductions Judith Kaufmann (c) if… Productions/ZDF/arte MMXXII

<中学校で起こった小さな事件が波紋を広げ、数日のうちに学校全体が混乱に陥っていく過程が、ひとりの新任教師の目を通して描き出される......>

トルコ系ドイツ人の新鋭イルケル・チャタク監督にとって4作目の長編になる『ありふれた教室』では、中学校で起こった小さな事件が波紋を広げ、数日のうちに学校全体が混乱に陥っていく過程が、ひとりの新任教師の目を通して描き出される。

ポーランド系ドイツ人のカーラは、仕事熱心で責任感が強い若手教師だ。新たに赴任した中学校では1年生のクラスを受け持ち、同僚や生徒の信頼を獲得しつつある。そんなある日、校内で相次ぐ盗難事件の犯人として、彼女の教え子が疑われる。校長らの強引な調査に反発した彼女は、自分で犯人を捜そうと思い立つ。

カーラが職員室に仕掛けた隠し撮りの動画には、ある人物の不審な行動が記録されていた。確信を持った彼女は、ベテランの女性事務員クーンを問い詰めるが、意外にもクーンは全面否定し、対立が騒動に発展する。カーラや学校側の対応は噂となって広まり、保護者の猛烈な批判、生徒の反乱を招いてしまう。さらに同僚教師とも対立したカーラは、孤立無援の窮地に追い込まれる。

リューベン・オストルンドの世界を想起させる

本作の舞台はほぼ中学校に限定され、カーラやその他の登場人物がどんな生活を送っているのかは、想像に委ねられている。イルケル監督は、緻密に構成された脚本をもとに、次から次へと難しい判断を迫られるカーラを追い、観客は彼女とともに混乱に引き込まれていく。

このイルケルのアプローチは、リューベン・オストルンドの世界を想起させる。たとえば、コラムでも取り上げた『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2017)で、主人公のキュレーター、クリスティアンが、財布やスマホを盗まれたときにとる行動だ。

GPS機能で貧困層が住む地域にあるアパートを突き止めた彼は、全戸に脅迫めいたビラを配って返却を迫る。その甲斐あって、財布とスマホがビラで指定したコンビニに届けられる。だが、ビラが原因で深く傷ついた少年がクリスティアンに付きまとうようになる。クリスティアンはなぜそんなことをしたのか。提案したのはアシスタントだったが、安易にそれに乗ってしまった。そこには、階層をめぐる偏見や自分が安全地帯にいるような錯覚が介在しているように見える。結局、クリスティアンが行動の責任を背負い、傷が広がり、精神的に追い詰められていく。

同調圧力をめぐる5つの物語で構成された作品から

本作で隠し撮りという手段に出るカーラも、冷静さを欠いている。そこには、先述したように校長らの強引な調査への反発もあるが、それだけではない。彼女は職員室で、同僚の教師が募金箱の小銭をくすねるのを目にする。さらに、リモートで別の人間と話しているときに、同僚の教師が話しかけてきて、教え子のアリがこのままでは進級できないと伝える。アリとは、盗難を疑われた生徒だ。すでにその疑いは晴れているにもかかわらず、その教師は学力とは無関係な盗難の一件にまで言及する。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

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