コラム

性転換するわが子を守り通した両親の戦いの記録

2016年01月13日(水)16時00分

 母親のKellyは、女の子として振る舞うWyattを最初からありのまま受け入れたが、息子二人と野球や狩猟をすることを夢見ていたWayneのほうは、何年も抵抗した。「自分は女の子だ」と主張する息子を守る妻をかえって批判的に捉え、プリンセスのようなドレスを着たWyattを怒鳴りつけたこともある。女の子として生きたい息子への対応をめぐって夫婦の間には亀裂ができ、一時は離婚の危機すらあった。

 それを乗り越えた原動力は、母としてのKellyの精神力と行動力だ。

 Kellyは、Wyattにあう児童心理セラピストを探し、家族ぐるみのセラピーを続けながら児童性転換の唯一の専門家もみつけた。

 幼いときに「身体の性」と「心の性/性同一性(性の自己意識・自己認知)」が異なる「性同一性障害」と診断されたとしても、現在のアメリカでは即座に性転換のプロセスを行うことはできない。

 性転換のプロセスは「12-16-18プログラム」と呼ばれる。12歳前後に望まない性の思春期開始を抑える療法を行い、16歳前後に望む性のホルモン摂取を開始する。この療法により、女性に性転換する場合には女性らしく成長し、男性に性転換する場合には男性らしく成長する。そして、ほぼ大人になった18歳前後に性別適合手術(sex reassignment surgery)を行う。

 思春期が始まるぎりぎりまで最初の療法を開始しないのは、成長を止めてしまうからだ。だから、それまで子どもたちは心とは違う性の身体に閉じ込められたままで外の世界と戦うことになる。Nicoleという女の子になると決めたWyattもそうだった。

 双子が通っていた小学校では、小学校5年生から女子トイレと男子トイレが別々の部屋に分かれる。女の子らしく友達と一緒に女子トイレに行っていたNicoleのことを、Jacobという同級生の少年が過激な宗教右派に属する祖父に告げ口し、宗教右派による学校への攻撃が始まった。それと同時に、JacobはNicoleに執拗な嫌がらせとストーキングをするようになった。

 息子の性同一性障害を受け入れられずにいたWayneが大きく変わったのは、この時期だった。

「わが子を守りたい」という父の愛情が、これまで根強くあった偏見に打ち勝ったのだろう。Wayneは、判事の前で息子がNicoleと公式に名前を変更するのを支え、小学校での「父と娘のダンス会」にも出かけ、妻と一丸になり、娘の安全のために女子トイレを使わせてくれるよう学校を訴えたのだ。

 こういうとき、普通の親ならどうするだろう?

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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