コラム

2000万円不足問題をめぐる日本の「年金デモクラシー」は成熟? それとも未成熟?

2019年06月20日(木)17時00分

では、この「年金デモクラシー」というのは、空疎な感情論が吐け口を求めているだけ、あるいは内容のない「長期政権への飽き」という「ふわっとした民意」がうごめいているだけであり、民主主義としては次元が低いものなのでしょうか?

そうかもしれません。ですが、違うとも言えます。

同じ民主主義でも、ブレグジットを認めた国民投票結果をどう受け止めるか苦しんでいるイギリス、貿易戦争や移民排斥を進めているアメリカなどでは、確かに「具体的な政策」に民意が反映して、賛否両論の駆け引きが続いています。

ですが、イギリスのブレグジットにしても、アメリカの貿易戦争にしても自国の国益を毀損する誤った判断です。そうなのですが、民主主義のルールに従って、あるいは選挙で選ばれた大統領の権限により、国益を損なう判断がされつつあるわけです。

そうした例と比較すると、日本の世論はもっと賢いのだと思います。

年金問題については、財源をこれ以上税金に求めるのであれば、10%どころではない率に消費税を上げなくてはなりません。そうなれば、消費はより低迷して経済全体が大きく失速する危険があります。一方で、富裕層への課税を強化すれば、資産や人材の海外逃避を招く危険もあるでしょう。

これ以上、生産者人口が減って平均寿命がさらに伸びるようでは、それこそ大幅な「マクロ年金スライド」をしなくては、あるいは大規模な支給年齢の引き上げをしなくては、制度が維持できないわけです。

若者に貯蓄を勧めても、年収の低い層では難しいし、そこを無理に貯蓄へ回そうとすれば消費の足を大きく引っ張り、また一段と少子化が進むという悪循環に陥る可能性もあるでしょう。

日本の世論は愚かではなく、そうした現状をよく理解しているのだと思います。その上で、年金という大きな関心事項について、政治がどれだけ誠実な姿勢を示しているのかを静かに見守っているのではないでしょうか。だとすれば、日本の世論、あるいは日本のデモクラシーは決して未熟なのではなく、むしろ成熟していると言えます。

もちろん、問題を分かりすぎるぐらい分かっていることで、リスクを取った変革ができないという自縛状態にあるのは事実です。ですが、この年金問題については、今すぐにドラスティックな変革をするのは適当ではないし、むしろ我慢の時期だというのも世論としては広い合意ができているのではないかと思います。

であるならば、今回の年金に関する議論では、揚げ足取りや、ワンフレーズで相手を罵倒したりするのは巧手ではありません。あくまで世論が求めているのは、冷静な議論と誠実な姿勢です。その意味で「報告書撤回」は悪手であったし、同じように野党の罵倒攻勢もダメだと思います。

【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!
気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きを
ウイークデーの朝にお届けします。
ご登録(無料)はこちらから=>>

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

養命酒、非公開化巡る米KKRへの優先交渉権失効 筆

ビジネス

アングル:米株市場は「個人投資家の黄金時代」に、資

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダック小幅続落、メタが高

ビジネス

NY外為市場=ドル上昇、156円台前半 FRB政策
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめる「腸を守る」3つの習慣とは?
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    「すでに気に入っている」...ジョージアの大臣が来日…
  • 5
    「サイエンス少年ではなかった」 テニス漬けの学生…
  • 6
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 7
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 8
    世界最大の都市ランキング...1位だった「東京」が3位…
  • 9
    なぜ筋肉を鍛えても速くならないのか?...スピードの…
  • 10
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 7
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 8
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story