コラム

日本の核武装コストは、どのように計算すれば良いのか

2025年08月20日(水)14時40分

ウクライナの博物館が展示しているソ連時代の核弾頭搭載可能ICBM Mykhaylo Palinchank/SOPA Images/REUTERS

<単純な開発費・維持費に加えて、国際秩序を揺るがすことで経済制裁や外交リスクを抱え込むことになる>

核武装はコスパが良いのか悪いのかという問題が、7月の参院選で賛否両論になっていました。本当はこの種の議論というのは、もっと以前にやっておくべきでした。ですが、実際は、長い間、この種の議論自体がタブー視されていたので議論は十分に行われませんでした。タブー視したいという戦争体験世代の心情は理解できるものの、今となっては戦争を体験した世代とともにリアリズムの視点から議論をしておくことは必要だったように思います。

さて、この問題ですが直接的なコストの数字を出すのはそれほど難しくありません。核弾頭の開発費用については当初20兆円前後で、以降は維持費用として年間数兆円を見ておく必要があると言われています。こちらは、項目を特定して精査すれば具体的な数字は出るでしょう。


加えて、抑止力維持のためには実装する長距離ミサイル、重量の大きな弾頭を運べる爆撃機、深海に潜んで重要な抑止力となる原潜の3つの「輸送手段」が必要です。高額になりますが、こちらも具体的な実勢価格は調べがつきます。非常に大ざっぱに考えれば、オール込みでの初期費用が30兆円前後で、以降の年間の維持運用の費用が5~7兆円という「桁」の話が議論の出発点になると思います。これを現在の年間防衛費9兆円弱、そして一般会計の115兆円と比較して、財政危機の中で「コスパ」がいいのかどうかを政治的に判断する、そのような議論は成立しそうです。

問題は、コストがそれだけではないということです。まず、日本が核武装を宣言するということは、重要な国際条約であり、したがって国際法の一つであるNPT(核拡散防止条約)に違反します。これは、日本にとって外交面での大きな障害になります。シナリオは2つあります。

日本の核武装は国際秩序を揺るがす

1つは、人口1億2400万で、GDPが世界有数の規模である日本が核武装を宣言することで、瞬時にNPT体制が崩壊して、日本以外の多くの国も核武装に走るという可能性です。その場合は、核戦争を抑止するための仮想敵が全世界に分散する中で、日本一国だけをとっても安全を保障するには非常に複雑な軍事面、外交面でのコストが掛かりそうです。日本が自国の安全を保障するために独自核武装したところが、NPT体制が崩壊して核軍拡競争が中小国も含めて展開されると、日本の安全はかえって守れなくなる、そんなシナリオです。

もう1つは、NPT体制が崩壊せず、日本一国が「経済規模の大きな産業国として新たに核武装することの罪」を問われるという可能性です。経済制裁は当然として、大規模な査察、核武装を解除するような国連の勧告などが行われ、場合によっては西側同盟と権威主義諸国が一緒になって、日本を非難するという筋書きもあるかもしれません。貿易を国の経済の柱としている日本の場合は、エネルギーや食糧の自給ができないこともあって、経済制裁への耐久力は弱く、一気に国難が深まりそうです。

核武装のためには最低でも開発した核弾頭が計画通りの性能を持っているか、暴発の危険はないかなどを核実験で確認する必要があります。これは北朝鮮の事例でも明らかです。ですが、現在の国際社会では部分的核実験禁止条約(PTBT)が発効しており、大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験は禁止されています。また、包括的核実験禁止条約(CTBT)については発効はしていませんが、多くの国が批准しており、日本も批准しています。仮に日本が本格的な核実験を行った場合には、未発効のCTBTも発効しているPTBTも体制としては崩壊してしまう可能性があります。この問題も、NPT違反同様に十分に制裁の対象になると考えられます。

NPTが合法保有を認めている5カ国(米英仏中ロ)以外にも、核保有国はあり、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の4カ国が、一種の例外的な存在として事実上核武装しています。では、仮に日本が核武装した場合には、この例外的存在がもう一カ国増えるだけかというと、そうではないと思います。ロケット技術を持ち、電子工学や機械工学、素材、加工技術など20世紀型の製造技術では依然としてトップレベルにあり、しかも原子力の平和利用を大規模に展開している日本の場合は、核武装をすることが世界の秩序を大きく揺るがすことになるからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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