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被爆80年の今、真剣に議論しなければならないこと

広島の平和記念式典で石破首相は「核兵器のない世界」の実現に向けて日本が主導して取り組むと誓った Rodrigo Reyes Marin/ZUMA Press Wire/REUTERS
<悪しき自国中心主義の蔓延、核禁条約派とNPT派の対立......核戦争の脅威を引き寄せる危険な風潮が強くなっている>
戦後80年にあたる今年は、広島、長崎における被爆からも80年が経過したことになります。被爆体験の語りも、第2世代以降の若い世代が伝承しつつあるなど、年月の経過は否定できないのは事実です。ですが、被爆地からのメッセージ発信ということを考えますと、被爆経験が遠くなったなどと言っている場合ではないと思います。むしろ核戦争の発生する危険性はここ数年、一気に悪化しているからです。
この被爆80年にあたり、あらためて議論しておくべき問題点を確認しておきたいと思います。
まず、一般論として、世界の各国で「自国中心主義」が蔓延しています。国際協調とか、異文化の共存というのは「教育や富に恵まれた一部の特権階級の偽善的姿勢」だ――背景にはそんな思想もあり、これも各国に広まっています。その上で、そうではない「庶民性」なるものに正義を与えつつ、排外的な態度や国家間の対立を煽ることで国内政治の求心力にするという政治手法です。
こうした悪しき自国中心主義の蔓延は、各国の国内政治に影響を与えているだけではありません。国際法を無視した力による現状変更を生み、さらには核威嚇などといった戦後世界では禁忌とされた言動にも、簡単に踏み込んでしまう風潮を作っています。被爆80年にあたり、そのような国際情勢の認識をしたうえで、その背後にある誤った国家観、世界観、人間観について徹底した批判が必要と思います。
次に、核禁条約と核拡散防止条約(NPT)の両立の問題があります。核禁条約はあらゆる核兵器の保有と使用を禁止しています。一方で、NPTは5カ国(偶然にも国連の安保理理事国と一致します)の保有を認め、それ以外への拡散を厳しく禁止するものです。2つの条約は歴史的経緯も異なり、内容も異なります。ですが、核戦争を防止するという目的は共通のはずです。
互いに相容れない核禁条約派とNPT派
そうなのですが、核禁条約の側では、即時核廃絶を求める中で保有5カ国に対する批判を継続しています。主張は正当だと思います。ですが、政治的には「核保有を模索する諸国」の主張、つまり「5カ国だけ保有が認められているのは不公平」だから「自分たちも核武装したい」という主張に重なってしまう危険があります。また、5カ国への批判ばかりが強く、拡散への危機感が少ない傾向もあります。
一方で、NPT陣営では、核拡散を防止するために様々な努力を行っています。ですが、確かに長期的な核廃絶を見据えた動きは、オバマ大統領が「プラハ宣言」で口にした以外は、ほとんど見られません。その結果、この2つの陣営、核禁条約派とNPT派は、お互いに相容れないということになっています。
例えば、日本の場合は佐藤栄作首相がNPT成立に奔走し、成立した以降はIAEA(国際原子力機関)による核査察などを強く支援してきました。その一方で、アメリカの核の傘が非合法になるのは形式的な論理矛盾という立場から、核禁条約には否定的であり、そのような政府とは日本被団協などが強く対立しています。
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