コラム

チップ制廃止の「失敗」で揺れるアメリカの外食業界

2018年05月15日(火)19時20分

というわけで、この「チップ制廃止の試み」は失敗し、静かに多くの店でチップ制が復活していたのです。当然のことですが、チップ込みの価格からは17%ぐらい値下げになるので、お客からは歓迎され客足が戻ったという店も多いそうです。

ところが、この問題に関しては別の議論も起きています。

まず、ニューヨーク州など民主党色の強い地域では、最低賃金のアップを強く進めています。例えばニューヨーク州の場合は、2018年の後半からは1時間15ドル(1600円相当)にまでアップされます。その恩恵を「全労働者に行き渡らせなくてはならない」という考え方から、従来からあった「チップの平均額を入れて最低賃金をクリアして入ればいい」という制度についてはこれを廃止しようとしているのです。

つまり「チップの平均額相当分だけ、固定給を下げていい」という「チップ・クレジット」の措置を止めるというわけです。法律がそう来るとなると、さすがに「時給15ドル+チップ」ということでは人件費アップは避けられないわけで、レストランの経営側としては、チップ制を廃止するか、あるいはこの「アップ分を価格転嫁」するかという苦渋の選択を、改めて迫られたのでした。これに関しては、現在は「制度的強制による価格上昇分」は別建ての追加料金とするという制度が模索されています。

さらに別の議論もあります。「#MeToo」運動が盛り上がりを見せる中で、「チップ制」がセクハラの温床だという議論が活発になっています。もちろん、アメリカでは具体的に不適切な行動があれば、すぐ警察を呼ぶのは当たり前です。ですが、そこまでは行かない、例えば言葉による嫌がらせの被害に関して、「チップの支払い者」という「経済的に強い立場」を利用して「泣き寝入りさせる」のはおかしい、そのような指摘です。

高級レストランの価格は高騰しており、ディナー料金が一人前で200ドルとか300ドルという店も当たり前になっています。仮に1テーブルの売り上げが1グループ500ドルだとして、その20%ということは100ドルというカネが動くわけです。その100ドルという金額が、支払い者によって恣意的に上下させることができれば、それは物理的な権力行使となり、不適切な言動の温床になるというわけです。

そうではあるのですが、冒頭に述べた「廃止したが失敗した」という議論の中にあったように、零細なレストランでチップの現金収入を頼って生活している現場労働者からは、懸念の声も上がっています。つまり、「チップ・クレジット廃止」や「チップ制廃止」が現実になれば、強い店、強い労働者だけが勝ち残るというのです。この「チップ制の行方」について最終的な方向性が出るまでには、まだもう少し時間がかかりそうです。


【お知らせ】ニューズウィーク日本版メルマガのご登録を!
気になる北朝鮮問題の動向から英国ロイヤルファミリーの話題まで、世界の動きを
ウイークデーの朝にお届けします。
ご登録(無料)はこちらから=>>

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

アングル:バフェット後も文化維持できるか、バークシ

ビジネス

バフェット氏、バークシャーCEOを年末に退任 後任

ビジネス

OPECプラス、6月日量41.1万バレル増産で合意

ビジネス

日本との関税協議「率直かつ建設的」、米財務省が声明
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
特集:英語で学ぶ 国際ニュース超入門
2025年5月 6日/2025年5月13日号(4/30発売)

「ゼロから分かる」各国・地域情勢の超解説と時事英語

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得る? JAXA宇宙研・藤本正樹所長にとことん聞いてみた
  • 2
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見...「ペットとの温かい絆」とは言えない事情が
  • 3
    【クイズ】世界で2番目に「軍事費」が高い国は?...1位はアメリカ、2位は意外にも
  • 4
    野球ボールより大きい...中国の病院を訪れた女性、「…
  • 5
    日々、「幸せを実感する」生活は、実はこんなに簡単…
  • 6
    インドとパキスタンの戦力比と核使用の危険度
  • 7
    「2025年7月5日天体衝突説」拡散で意識に変化? JAX…
  • 8
    なぜ運動で寿命が延びるのか?...ホルミシスと「タン…
  • 9
    「すごく変な臭い」「顔がある」道端で発見した「謎…
  • 10
    【徹底解説】次の教皇は誰に?...教皇選挙(コンクラ…
  • 1
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 2
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 3
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新研究】
  • 4
    「2025年7月5日に隕石落下で大災害」は本当にあり得…
  • 5
    ロシア国内エラブガの軍事工場にウクライナが「ドロ…
  • 6
    日本の未婚男性の「不幸感」は他国と比べて特異的に…
  • 7
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは…
  • 8
    タイタニック生存者が残した「不気味な手紙」...何が…
  • 9
    マリフアナを合法化した末路とは? 「バラ色の未来…
  • 10
    古代の遺跡で「動物と一緒に埋葬」された人骨を発見.…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    日本史上初めての中国人の大量移住が始まる
  • 3
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 4
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 5
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 8
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
  • 9
    クレオパトラの墓をついに発見? 発掘調査を率いた…
  • 10
    MRI検査で体内に「有害金属」が残留する可能性【最新…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story