コラム

数学者ジョン・ナッシュ夫妻の訃報

2015年05月26日(火)10時49分

 ジョン・ナッシュ氏と言えば、著名な数学者であると同時に、ゲーム理論に関して大きな功績を残したことで有名です。特に彼の証明した「ナッシュ均衡」というのは「ゲーム参加者の相互が非協力的」である場合、例えば「囚人のジレンマ」のようなケースで、個々のプレーヤーが自分の選択によって利得を最大化することの限界を数学的に証明したものとして、よく知られています。

 出身はウェストバージニア州。学士と修士はカーネギー工科大学(現在のカーネギーメロン大学)、博士号はプリンストンで、西海岸のシンクタンクであるランド研究所、MITの教員を経てプリンストンの教員となっています。

 その生涯は映画『ビューティフル・マインド』(ロン・ハワード監督、ラッセル・クロウ主演)並びに、その原作で描かれており、統合失調症による闘病生活、そしてアリシア夫人との夫婦関係といったエピソードも含めて世界的にも広く知られることとなりました。

 特に、中年期になってナッシュ氏の症状が重かった時期、とりわけ「自分は南極王国の王になる」的な妄想に取り憑かれている時期には、アリシア夫人は籍を抜いてナッシュ氏と距離を置きながらも、遠くからナッシュ氏を見守り続けたこと、そしてナッシュ氏の症状が落ち着いた後年には、あらためて2人は結婚して現在は一緒に静かに暮らしていること、そうした「夫婦の物語」も有名になりました。

 ちなみに、映画ではアリシア夫人の役を、ジェニファー・コネリーが演じており、エモーションの幅をよく表現してオスカーの助演賞を受賞しています。

 プリンストン大学の教員としては、事実上は引退した格好ですが、今でも数学科のビルディングにはオフィスがあり、その前の横断歩道などで時折見かけることがありました。また、自宅は私の家の近くの駅前の地味なコミュニティーにあり、近所のショッピングモールで見かけたことも何度かありました。

 いずれにしても、プリンストンのコミュニティーでは、この数奇な運命を辿った偉人夫妻を、静かに見守りながら誇りにしていたのです。そのナッシュ夫妻が急逝したというニュースは、ですから、私には個人的には大変にショックでした。

 ナッシュ氏の「ゲーム理論」に関する業績は若い時代のものですが、世界的な評価が進んだのは後年で、ノーベル経済学賞が1994年に授けられています。また、ノーベル賞に数学の賞がないことの埋め合わせ的な意味もあってノルウェーがアーベル賞という賞を、21世紀になって創設しているのですが、今年2015年にはこれを受賞しています。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米「夏のブラックフライデー」、オンライン売上高が3

ワールド

オーストラリア、いかなる紛争にも事前に軍派遣の約束

ワールド

イラン外相、IAEAとの協力に前向き 査察には慎重

ワールド

金総書記がロシア外相と会談、ウクライナ紛争巡り全面
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:大森元貴「言葉の力」
特集:大森元貴「言葉の力」
2025年7月15日号(7/ 8発売)

時代を映すアーティスト・大森元貴の「言葉の力」の源泉にロングインタビューで迫る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首」に予想外のものが...救出劇が話題
  • 3
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打って出たときの顛末
  • 4
    イギリスの鉄道、東京メトロが運営したらどうなる?
  • 5
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 6
    どの学部の卒業生が「最も稼いでいる」のか? 学位別…
  • 7
    主人公の女性サムライをKōki,が熱演!ハリウッド映画…
  • 8
    【クイズ】未踏峰(誰も登ったことがない山)の中で…
  • 9
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 10
    『イカゲーム』の次はコレ...「デスゲーム」好き必見…
  • 1
    「ベンチプレス信者は損している」...プッシュアップを極めれば、筋トレは「ほぼ完成」する
  • 2
    「弟ができた!」ゴールデンレトリバーの初対面に、ネットが感動の渦
  • 3
    日本企業の「夢の電池」技術を中国スパイが流出...APB「乗っ取り」騒動、日本に欠けていたものは?
  • 4
    シャーロット王女の「ロイヤル・ボス」ぶりが話題に..…
  • 5
    「お腹が空いていたんだね...」 野良の子ネコの「首…
  • 6
    千葉県の元市長、「年収3倍」等に惹かれ、国政に打っ…
  • 7
    完璧な「節約ディズニーランド」...3歳の娘の夢を「…
  • 8
    「飛行機内が臭い...」 原因はまさかの「座席の下」…
  • 9
    トランプ関税と財政の無茶ぶりに投資家もうんざり、…
  • 10
    アリ駆除用の「毒餌」に、アリが意外な方法で「反抗…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 3
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事故...「緊迫の救護シーン」を警官が記録
  • 4
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 5
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...…
  • 6
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 7
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 8
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々…
  • 9
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 10
    「うちの赤ちゃんは一人じゃない」母親がカメラ越し…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story