コラム

日本語はどうして「暴言」に甘いのか?

2013年06月20日(木)13時56分

 国連の委員会で、日本の人権人道担当大使が英語で「ご静粛に」と言うつもりが表現力の不足のためか、公の席では普通は使わないような汚い表現をしたというニュースがありました。この問題に関しては、色々な角度からの評論がされているようですが、私には「日本語では暴言に対するタブー意識が少ない」という問題があるように思われます。

 この「大使」が暴言を吐いたという事件そのものよりも、この事件のインパクトが余り日本では広がらなかったことが気になります。例えば、事件が起きてから、新聞やTVなど全国的なメディアが取り上げるまで半月近くかかっています。その背景には、外務省の記者クラブの構造もあるのでしょうが、この問題、つまり「暴言」というのは反社会的な行為だということが、伝わりにくいカルチャーがあるのだと思います。

 それにしても、日本というのは暴言に甘い社会だと思います。

 例えば、現在問題になっている在日韓国人・朝鮮人の人々への憎悪スピーチの問題に関してもそうです。企業内におけるパワハラやセクハラ、大学や研究機関でのアカハラ、高校以下の教育現場における暴言と体罰、そうした問題の背景も同じです。子供同士の社会における「いじめ」の問題も「暴言に甘い」文化は反映していると思われます。

 理由については、私は日本語の特質に原因があると考えます。

 日本語というのは、表現が多種多様のバラエティに富んでいます。そのために、同じことを言うのに「新しい言い方や強い言い方」をしないとすぐに「陳腐化」してしまうのです。これが1つ目の問題です。表現の強度を変えずに同じような表現を繰り返していると、本当に陳腐化して行きますし、時には滑稽になることすらあるわけです。

 例えば、自分の気に入らない人がいて、その嫌悪感を伝えたい(仮の話です)場合ですが、最初は「キミなんか嫌い」とか、流行の表現であれば「アンタってビミョー」とかいう軽度の表現から始まるわけです。ところが、例えば「キミなんか嫌い」という表現の強度は「全く同一の表現」を反復すると急激に下がっていくわけです。3回も同じ表現を繰り返したら、それこそ宮藤官九郎さんの脚本ではありませんが、ギャグになってしまいます。

 そこでどうしても表現はインフレ化します。「キミなんか嫌い」の次には「顔も見たくない」になり、それが「俺の前から消え失せろ」とか、更にはそれこそヘイト表現のような強度になって行くわけです。言っている側の悪意が増加しているのではなくても、強度を少しずつ高くしていかないと陳腐化するから表現がエスカレートするのです。

 では、こうした現象は仕方がないのかというと、そんなことはありません。本人は陳腐化を避けて表現の強度を上げているだけでも、相手を傷つける度合いは確実に上がるからです。言う側の悪意はエスカレートしていないのに、相手の心理的なダメージはエスカレートするのです。その全体の構造に無自覚というところに、暴言への寛容性が生まれるスキがあるのだと思います。

 もう1つは、これも同じような日本語の表現バラエティが「ありすぎる」ための問題ですが、とにかく「真っ当な表現」では「ありきたり」になってしまうという問題があります。そこで、日本語の場合に、起きていることのニュアンスを正確に伝えるためには「あの手この手」で新しい表現を創造することになるのです。その場合ですが、昨今は「無難な」表現よりも「露悪的な」表現が許されるし、また好まれるようになっています。

 例えば、異性にモテない男性を「非モテ」だとか、胸の豊かな(古い表現ですが)女性を「巨乳」だというような表現は、露悪的ですし、人間性を安売りするような語彙であるわけです。元来はこうした語彙というのは忌避されるべきです。

 ですが、それが堂々と横行する背景にはあるメカニズムがあります。それは、先ほどお話をした「陳腐化を避けるには真っ当な表現はダメ」ということに加えて「過度に露悪的な表現は逆に『おかしみ』が発生するので有害性が薄められる」というメカニズムが働いているのだと思います。

 これに「皆が使えば怖くない」中で既成事実化するとか、自分で自分を「卑下する」ために使うと「安全な人物だと見せることができる」などという理由で自ら使う人などもいるわけです。羞恥心を突き破るカタルシスなどもこれに拍車をかけています。そうした結果として、こうした「悪どい語彙」が白昼堂々と大手を振って歩くことになるわけです。

 いずれにしても、日本語には言語自体に表現のインフレ化や、新奇な語彙を好む傾向を抱えています。その背後には「非常に繊細なニュアンスの共有」がある一方で、攻撃的あるいは露悪的な語彙による形容を「向けられた」人は、密かに深く傷つくということが起きているように思います。

 こうした日本語の特質に起因する問題に加えて、もう1つ、日本語には「上下の感覚」というものがあります。正義が「上」で不正義が「下」であるとか、大使は「上」でそれ以外の人は「下」、あるいは自国民は「上」で移民やその子孫は「下」だとか、何でも上下の関係に結びつけてしまうのです。

 ですから、他者への否定とか敵意というものが、「自分が正当だ」とか「自分が格上だ」という意識に乗っかって「山の上から岩を転げ落とす」ように、言語表現を暴走させるのだと思います。

 では、この問題をどうしていったらいいのでしょうか? 例えば、英語圏のように卑罵語(ひばご=卑猥であったり、敵意のある下品な言葉=profanity)を教育現場や、メディア、実社会などから厳しく「追放」する努力をすればいいのでしょうか?

 ヘイトスピーチであるとかパワハラなどが深刻な社会問題になる中で、私は何らかの努力がされるべきだと思います。例えば初等教育段階での卑罵語の追放は、効果的な方策の研究を含めて努力がされるべきだと思います。子供の見るTVやネットでの言語環境を「もう少しまし」にする努力も必要と思います。

 ですが、卑罵語の使用に対して、校則で取り締まったり刑事罰を加えるのは困難です。というのは、日本語の場合、同じ語彙でもコンテキストによってニュアンスが全く変わるので、表面的な「言葉狩り」をやっても、実質的に「人を傷つける暴言」は止められないからです。

 もっと言えば、日本の「規則カルチャー」が非常に形式的・硬直的である一方で、日本語の語彙のニュアンスが豊かに変幻してゆく「言語表現のカルチャー」は生き物のように流動的である以上、取り締まりは追いつかないことになると思います。従って「ヘイト・スピーチ」や「パワハラ」を現在の刑事司法制度で解決するのも不可能です。

 対策としては、極端に人を傷つける行為は民事的な仲裁の制度が使えるようにするのと、社会的な運動として「卑罵語の社会的露出」を下げていくことを地道にやるしかありません。そのような人々の自発的なしかし広範な運動として、「暴言」や「卑罵語」を少なくしていく努力を続けることが必要だと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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