コラム

野田内閣「国家戦略室」の「40歳定年制」は議論の材料になるのか?

2012年07月11日(水)10時55分

 国家戦略室という役所に置かれた諮問委員会である「フロンティア分科会」が「報告書(案)」というのを発表しています。その内容に関しては既に公開されていますので、ご覧頂いて議論を進めてゆくのが良いと思いますが、一言申し上げておけば100点満点で10点程度の内容だと私は思います。

 まず、やたらに悲愴(パセティック)な言葉を使って「最悪のシナリオ」を描いている点が気になります。委員には、キチンとした見識を持った方も入っているのですが、「官僚の作文」というのが悲観的な方向に振れると「こうなる」ということなのでしょうか。例えば、

「現在の延長線上にある2050年の日本の姿は、経済が停滞し、貧困と格差が広がり、国民がアイデンティティを喪失し、中核的国益の維持も危うい「坂を転げ落ちる日本」である。」

 といった調子なのですが、とにかく、「何が問題なのか」という危機の分析がないままに「日本オワタ」的なネガティブな言葉が並んでいる点は百害あって一利なしと言わざるを得ません。更に言えば、その反対である「目指すべきシナリオ」の方は、これに輪をかけて抽象的であり、「言葉が滑りまくっている」としか言いようがないのです。

「2050年のあるべき日本は、社会の多様な主体が、いま使っている能力や資源、眠らせている能力や資源を最大限に引き出し、創造的結合によって新たな価値を創出する「共創の国」である。創造的結合の促進には、「交流」「混合」「変容」を社会基盤として定着させていく必要がある。」

 何を言っているのかチンプンカンプンですが、世代間の軋轢であるとか、格差の問題、価値観の多様化、移民との摩擦、国際派と国内派といった「ケンカ」はやめましょうという、「和を以って尊しとなす」的なカルチャーの再確認に加えて、一種の「雑種文化」として異文化を吸収し、混合し、変容させてきた日本文化の強みを活かそうという話が「混合されて」いる、この意味不明な「共創」というのはそうしたことのようです。

 そんなわけで、言葉の遊びのオンパレードであり、読めば読むほど違和感だらけなのが、この報告書(案)なのですが、「0点」ではなく「10点」という評価にしたのは雇用の問題で踏み込んだ提言をしている点です。

「企業内人材の新陳代謝を促す柔軟な雇用ルールを整備するとともに、教育・再教育の場を充実させ、勤労者だれもがいつでも学び直しができ、人生のさまざまなライフステージや環境に応じて、ふさわしい働き場所が得られるようにする。具体的には、定年制を廃し、有期の雇用契約を通じた労働移転の円滑化をはかるとともに、企業には、社員の再教育機会の保障義務を課すといった方法が考えられる。場合によっては、40歳定年制や50歳定年制を採用する企業があらわれてもいいのではないか。もちろん、それは、何歳でもその適性に応じて雇用が確保され、健康状態に応じて、70歳を超えても活躍の場が与えられるというのが前提である。」

 とりあえず終身雇用制の解体へと踏み込んでいるわけですが、ではどうして「10点」という評価しかできないのかというと、いかにも中途半端だからです。

 この提言の示唆しているのは「40歳定年までは管理職昇進を<人質>にしながら職務要件の曖昧な日本式雇用」を継続し、その後は「管理職の選別に漏れた人は40歳で高給のフルタイムからは降りてもらい」若手に機会を譲るというような話です。その先は「適性に応じた雇用」、つまり管理職になれなかった人は、この時点で非正規にというわけです。

 こんな中途半端な政策では問題の解決にはなりません。この「23歳から40歳まで」を「分厚い総合職的なジェネラリスト」としたままでは、この「出産・育児の適齢期ゾーン」でのワークライフバランスの実現は難しいこと、そして依然として「過去の実績と社内政治の勝者」に企業経営の中枢を委ねるという前近代的なカルチャーを残す意図を感じる点が気になります。それ以上に、柔軟な雇用といっても、人生の半ばで自分なりに「キャリアの転進」を図る人には、「ランクを下げた転進」が基本になってしまいそうです。

 いかにも現時点での財界幹部の考えそうなことです。旧態依然としたマネジメントを続ける中で「言うことを聞いてくれる」正社員集団は維持したい、その一方で「40過ぎの高給で使えなくなった人材は吐き出したい」というホンネがミエミエだからです。これでは、結果的にグローバルな労働市場から来た人間は実力を発揮できないし、最新の技術や知識を持った経営のプロが縦横に活躍することもできないでしょう。

 何よりも必要なのは、雇用と教育の整合性を図ること、その教育においても雇用に関しても年齢制限を撤廃すること、そして1つの企業でしか通用しない「企業風土に即した社内政治遊泳術」ではなく最先端の経営技術を持った人材を、企業内で評価し活用するようなカルチャーに、日本の経済界を変革することです。

 例えば、35歳になるまで非正規の仕事をしてきた人が、外食産業に興味が出てきて夜学で「フードビジネス」の修士号を取ったら年収500万の「チェーンレストランの本社商品企画」のポジションに就けるとか、45歳になってこれからは定時で帰れる仕事がいいと思ったら、通信教育でパラリーガルの資格を取って中堅企業の法務部で年収350万の安定したポジションが得られる、あるいはMBAとCPAの二重資格と実務経験があれば年収800万の中堅企業の経理部長になれるというような話です。

 要するに、上海やシンガポールで、あるいはEUや北米で当たり前になっている話を普通に適用するのです。但し、日本は日本ですから法務や会計(この2つはやがて英語になると思いますが)以外は教育も日本語でいいと思います。

 それはともかく、民主党の野田政権がこのように情緒的で悲観的な未来像を持っているというのは、私にはショックでした。このままでは「坂を転げ落ちる日本」になると言いながら、具体的な政策が描けていないというのはそういうことです。

 とにかく、日本の「下げ止まり」のシナリオを描くこと、今の政治家に求められるのは、この一点だと思うのです。「何で食ってゆくのか」を描いて、そのための人材を育て、組織を再構築し、制度を適正化し、必要な資金を調達する、そのための具体論が必要です。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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