コラム

土肥議員「竹島放棄」に見られる日本キリスト教の堕落

2011年03月11日(金)10時57分

 最初にお断りしておきますが、私は日本の領土問題の中で竹島問題に関しては、南千島や尖閣とは違い、強めの主張を続けるのには賛成できません。日韓関係は政治体制や価値観を共有しているだけでなく、歴史的経緯も南千島や尖閣とは異なるからです。ですから、島根県の「竹島の日」条例制定以降のプロセスはたいへんに苦々しく思ってきました。

 同時に私は今回の土肥隆一議員が「日韓キリスト教議員同盟」の席で、「キリスト教精神」を理由に竹島の領有権を放棄する宣言に署名したという事件は大変な問題だと考えます。それは日韓関係とか、民主党の外交がどうという以前に、日本におけるキリスト教の堕落を象徴するものだからです。ここでもう1つお断りしておきますが、私は内村鑑三の流れをくむ「無教会派」の影響を強く受けていることもあり、聖書に関する知識は一通り持っているつもりです。ちなみに、以降の批判の対象にはいわゆる「日本基督教団」などのプロテスタントに加えて、その「無教会派」の一部への批判も含みます。

 1つ目は、今回の土肥隆一議員の行動が典型であるように、「謙譲や自己卑下」がキリスト教精神だという誤解があることです。韓国へ行けば日本を代表して低姿勢になり、日本に戻れば迷惑をかけたと低姿勢になる、一見するとお行儀が良いように見えますが、要するに「自分の頭を低くしていれば紛争当事者にもならず、紛争の火の粉も、ましてや加害者の汚名からも逃げられる」という無責任な姿勢です。

 私に言わせれば、これはキリスト教でも何でもないと思います。江戸時代を通じて武士階級が体面を気にして生きた中での、悪しき「恥の文化」を背負っているなど極めて日本的な価値観です。特に、近代化以降は、インテリであること、富裕であること、男性として性欲を持て余していることなど、要は「解決を目指そうと思えば面倒な関係性に突入しなくてはならない辛さ」から逃避するためだけに、半端な知識でキリスト教の「原罪」という概念を捉えていただけです。

 明治期には内村鑑三や、新渡戸稲造などスケールの大きな人も出ましたが、大正期以降は白樺派を典型として、富裕である罪悪感に耐えられないからという個人的な動機だけで社会主義を目指したり、女性とまともな関係を築けないからと自己卑下的な文学をネチネチ書き続けたり、これでは社会的影響力など持てるわけがありません。

 更に戦後は「軍国日本という悪しき過去」を反省することが、まるで原罪を背負うかのようなヒロイックなものだと誤解して、硬直した政治性の中に落ちていったように思います。勿論、その背景には村落共同体や企業共同体など旧態依然とした社会体制への違和感などもあったでしょう。ですが、そうした個別の「たたかい」には参戦せず、いやそれを回避するために歴史認識にこだわってきたのだと思います。

 歴史認識や反戦において、日本では「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」というマタイ伝の一節を引用して「それが崇高な隣人愛だ」というような感覚もあるようですが、これも間違いだと思います。私はこのマタイ伝の部分は「自分に暴力を向けてくる敵からも一切逃げずに関係性を維持せよ」という倫理だと思います。非暴力は手段であり、目的は究極の問題解決や和解だという意味です。

 もう1つは、そうした一連の「卑下の姿勢、日本的なるものからの逃避、歴史認識」といった姿勢の中に根深い「大衆蔑視」があることに全く気づいていないという点です。土肥議員の言動は、本人や支持者にすると隣国との関係改善を狙っただけかもしれませんが、実はこうした一方的なやり方というのは「国土や国家に自分の安心感を投影してしまう」人々への暗黙の蔑視があるのです。

 この問題では、早速、三原じゅん子議員などが大騒ぎをはじめていますが、恐らくは土肥議員は「領土ナショナリズムを煽るポピュリズム」よりは「キリスト教的な隣人愛」の方が偉いと思っているに違いありません。そこに問題があるのです。国家に依存してしまう人間はどこの国のどの時代にも存在するのです。それは人間には危険を回避する防衛本能があり、また集団心理というものもあり、その結果として、自尊感情の弱い人間が「国家という集団」に自己を投影するというのには一種の必然があるからです。

 そうしたナショナリズムが往々にして暴走するのは、人間の本能と脆弱性に基づく心理だからですが、それを「より自己卑下することのできる教養や精神的余裕のある人間」が無自覚に批判したり対抗することは私は間違っていると思います。それは自己満足に過ぎないばかりか、相手からは恐ろしいほどの傲岸に見えるからであり、社会の和解には何ら役立たないからです。

 この点に関しては、やはりマタイ伝の「心貧しき人は幸いなるかな、天国はその人のものなれば」という一節が思い起こされます。要するに自尊感情の欠損に苦しんでいる人は純粋だというのです。その脆弱な自己に正直である中から、信仰心への道が開けるというのです。この一節について、多くの日本のクリスチャンは「自分は罪深い人間だからせめてこの言葉にすがるのだ」というようなことを言うのですが、これも逃避だと思います。

 そうではなくて、より精神的に追い詰められている人間の「心の貧しさ」を尊敬しなくてはならないのです。例えば、過去20年間の日本の社会苦、例えば援助交際の問題や自殺率の問題、若者のいじめや人々の孤立の問題、こうした問題は正に「心の貧しさ」です。ですが、その「貧しさ」に対して日本のキリスト教が何らかの問題提起や精神的な汗をかいたかと言えば、それはほとんどノーだと思うと何とも言えない感情を抑えることができません。

 キリスト教議員同盟なるものを名乗るのであれば、「心貧しき者」がナショナリズムに連れていかれることを批判したり、嘆くのではダメだと思います。正にその「心貧しき人々」の中へ入って家族の問題や雇用の問題、孤立の問題などを一緒に解決する中で、個別の社会苦がコツコツと救済されることで家族やコミュニティが再生する、そうした仕事に汗をかくべきなのです。他に問題が山積しているのに、領土ナショナリズムなどに熱を上げる精神の貧困は、そうした地道な努力でしか解決できないのです。

 政治や思想の論争も同じです。キリスト者を名乗るのなら、右の頬も左の頬も殴られても三原議員のような人に対して「日韓関係は東アジア安定の主軸だから竹島問題で領土ナショナリズムを煽るな」と睨み続ける迫力ぐらい見せたらどうなのかと思うのです。それを日本の世論に隠れてコソコソ韓国で行進したり署名したりというのは、単なる逃避に過ぎません。

 それ以前の問題として、こうした意味不明の言動こそ日韓関係を損なうものであり、竹島問題に関する和解を遠のかせるものだというのは、何もキリスト教を持ち出すまでもないことです。政治的にはそれで解説は十分だと思うのですが、今回の一件で、日本におけるキリスト教の影響力が更に低下するのではないかと思うと、何ともやりきれない思いがします。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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