コラム

アメリカ人父は日本国籍?「話が違ってきた」親権争い事件

2009年10月02日(金)16時48分

 一昨日のこの欄でお伝えした「日米親権争いでの逮捕」事例ですが、その後様々な動きが出てきています。まず大きかったのは、9月30日の水曜日にNBCテレビの朝のニュース番組『トゥデイ』でこの事件が取り上げられたことでした。日本で逮捕されているサボイエ容疑者の弁護士が、NYのスタジオに生出演して「日本には違法に略取された米国市民の子供が最低125人いて、未だに1件も解決していないんです」と主張したばかりか、テネシーからはサボイエ容疑者のエミイ「夫人」が登場して「私はあの子達(サボイエ容疑者が連れ出そうとした日本人女性との2人の子供のこと)を可愛がっていました」とか「早く夫を返して欲しい」と涙ながらに訴えたのです。

 このNBC『トゥデイ』の視聴率は「ニュース専門ケーブル局」のCNNなどとは比較になりません。ある意味でアメリカの「本流メディア」であり、ここで10分間も取り上げられるということは、世論形成に大きな影響があるのです。事態は更に深刻化する・・・ように見えました。ところが、これと前後してCNNでは奇妙な報道が流れたのです。サボイエ容疑者は日本に帰化しており、日本国籍なのだというのです。そこで米国国務省は「この問題は日本の国内問題」という立場を取り始めている、CNNはそう伝えています。

 ここまではNBCやCNNといった「大手」の報道からお話ししていますが、これでは、何のことか意味不明ですので、これ以降は、テネシーの放送局に間接的にリンクされた、ローカルな「ブログ」でのこの事件の議論を踏まえてお話しすることにします。事件の具体的な背景について、個々の情報の信憑性は確認できていませんから、「どうやらそういうことらしい」というレベルですが、とりあえずどうしてサボイエ容疑者が日本に帰化しているのか、どうして国務省が急に「引いたらしい」のかということに関しては、当面納得させられる内容です。

 どうして、サボイエ容疑者は日本国籍を持っているのか? それは彼が日本でビジネスを営んでおり、この2人の子供さんの母親と日本で結婚生活を営んでいたからのようです。つまり、法的には日本人同士の普通の結婚生活です。ところが、この結婚は残念ながら破綻しました。そこで、両親はテネシーに行って、テネシーで離婚手続きをしたのです。(母親は一緒にテネシーへ行こうと言われて、着いたら離婚届を持ち出されたという説がありますが真偽のほどは分かりません)日本人の母親はそこで「もう1人の女性」の存在を知らされます。それがエミイ「夫人」であり、サボイエ容疑者とエミイ「夫人」は直後に「結婚」しています。(尚、この2人は高校の同級生という情報もあります)ところで、この2人は日本では離婚手続きをしていないようですから、厳密に言えばサボイエ容疑者は「重婚」状態になっているようです。

 つまり、このストーリーが本当であるならば、サボイエ容疑者は「別の女性と再婚しつつ、子供の親権を確保したい」という動機に基づいて、日本人の奥さんと日本で育った日本人の子供(出生地は米国のため米国籍もあるという説もあるようですが)を計画的にテネシーに連れて行って、テネシーの裁判所で離婚手続きをした上に、日本人の「元」妻と2人の子供をテネシーに「監禁」したとも言えるのです。となれば、母親と子供は「逃亡」ではなく「脱出」したということになります。では、どうして母親は最初はテネシーでの手続きに同意したのでしょう?

 ここに問題があります。母親サイドがどうして日本での離婚手続きに持って行けなかったのか? 勿論、父親サイドが強引だったということもあるでしょう。父親サイドとしては、日本で離婚裁判をやってしまっては、このケースの場合はほぼ自動的に母親に親権が行ってしまい、自分の面会権も十分に保障されないからと、当初から「日本法での離婚はしない」と決めていたのだと思います。一方で母親の側としても、日本の離婚法制では、相手が国境を越えてしまった時に手出しができないのです。仮に子供の親権を取ったとしても、「元夫」が養育費の支払い義務を怠った場合に、強制的な取り立てもできないし、まして国外逃亡をされた場合には手も足も出ないという問題があり、渋々テネシーでの手続きに従ったのではないでしょうか。

 仮に日本の離婚法制が、共同親権(この場合は離婚の原因を作った有責配偶者は父親だとすれば、相当に不利な扱いで良いと思いますが)、面会権の保障(仮に子供たちの幸福になるのであれば)、養育費の国境を越えた強制取り立てといった問題に対応しており、日本がハーグ条約に加盟していれば、堂々と日本で裁判をすることができたと思います。このケースに関しては「騙されてアメリカで離婚手続きを進めさせられた」可能性があるので、やや例外ですが、とにかく日本側に十分な法制がないために、どうしても相手方の国で離婚裁判をすることになり、親権を取っても渋々その国に母子で暮らし続けている、そんな例は多いと思うのです。

 とにかく、このサボイエ容疑者のケースは、(これまでお話してきた内容、もしくはそれに近いストーリーであれば)日本の国内問題であり、司直の手で「別居中の配偶者による子供の誘拐未遂事件」として思い切り懲らしめてもらうべきです。エミイ「夫人」も「早く夫を返して」などと涙を見せるのではなく、「重婚」の被害者として、女性2人でタッグを組んで日米双方の法制からこの男性にお灸を据えるぐらいであって欲しい(まあ、男女の問題に異文化が絡むのでそう簡単には行かないとは思いますが)です。まして、外交問題にするようなケースではありません。CNNによれば、国務省は「引いた」ということのようですので、それが本当であればそれで良いと思います。

 というわけで「アメリカ市民が不当に日本で逮捕された。子供を含めて3人のアメリカ市民を返せ」というストーリーは、実は全く逆だったばかりか、父親の行動は日米法制の盲点をついた悪質なものだという可能性が出てきました。オバマ大統領と、日本の新政権が新しい日米関係を模索しているこのタイミングでは、この「逮捕」そのものが外交課題から外れるのであれば、それは良いことだと思います。福岡の警察当局が「純粋な誘拐未遂」として立件しようというのは恐らく正しいと思います。と言いますか、外交ということでは、逆に日本がアメリカに圧力をかけてこの母親への逮捕状を取り下げさせるべきでしょう。

 ですが、他の「裁判を経ないで日本に子供を連れ帰った」多くの日本人母の問題は、このまま放置はできません。ヒラリー・クリントン国務長官とルース駐日大使は、自分の任期中に何とかしたいと考えていると見るべきでしょう。今回のサボイエ容疑者の件は別として、やはり民法の改正と、ハーグ条約の批准は急務だと思うのです。「連れ帰り事例」の中には、DVの被害に遭っていたケースも多いと思いますが、ハーグ条約に入って関連法制を整備すれば、日本で安全を確保しつつ、元夫の犯罪についてしっかりと刑事、民事の双方から責任追及ができることにもなると思います。むしろ、悪質なアメリカ人「夫」をどんどん懲らしめるためにも、ハーグ条約の批准は必要です。対外的な「攻め」の政策として、そして日本人母に「拉致犯、逃亡者」という汚名を着せるような「同盟国」の一方的な姿勢を改めさせるためにも必要なのです。これも1つの「対等外交」の重要なテーマです。


≪講演会告知≫

「日本人の美しさ」inロサンゼルス、のお知らせ
櫻井よしこ氏と冷泉彰彦の公開対談を含めた講演会がロサンゼルスで開催されます。
www.us-lighthouse.com/information/list.html#10561
(第一部)櫻井よしこ氏講演、(第二部)櫻井よしこ氏×冷泉彰彦 対談
対談内容:「どう変わる? 民主党政権の日本」、「日本国と日本人の未来を考える」

日時:2009年10月11日(日)・開演 2:00pm
会場:Redondo Beach Performing Arts Center
チケット価格:A席 $40/B席 $30
チケットのお求めは、Lighthouse:310-782-1269
E-mail: esker@us-lighthouse.com(担当:明子)

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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