コラム

ついに逮捕者を出した「日米の親権争い」、ヒラリーはどう出てくる?

2009年09月30日(水)12時05分

 このブログで以前にお話した日米での親権争いですが、遂に今週は逮捕者を出すという事態となりました。まず改めて背景をお話しておきましょう。世界中で国際結婚が増加する中、国際間の結婚が不幸にも破綻した場合に、親権を決め、親権のない方の親の面会権を保障し、養育費の支払いに強制力を働かせなくてはなりません。その場合に、子供の人権を守るために国境を越えて関係国が協力して、離婚調停の結果を履行させるために「ハーグ条約」というものがあり、多くの国がこれを批准しています。

 ところが日本はこの条約を批准していません。理由は明白で、日本の民法では両親が離婚した際に、(1)子供が双方の親を行き来する共同親権制度がない、(2)親権のない方の親の面会権が保障されていない、(3)養育費の支払いについて「差し押さえ」などの法的な強制力がない、という制度となっており、ハーグ条約の前提を全く満たしていないからです。これに加えて(4)子供は余程のことがない限り母親が育てるという慣習が強い、(5)親権のない親が再婚した場合は「それぞれの人生」になったとして子供との面会を「自粛」あるいは「忌避」する慣習がある、といった社会慣行上の障害もあります。

 今回逮捕されたのはテネシー州の男性、クリストファー・サボイエ氏です。サボイエ氏は日本人の女性と結婚して子供を2人もうけていましたが、残念ながら離婚に至っています。離婚の調停はテネシーで行われ、その結果として子供たちの母親は、テネシーに居住して子供は父親との面会を続けること、母親は夏休みだけ子供を日本に連れて帰ることが可能であること、などを取り決めていました。

 ところがサボイエ氏は(恐らく弁護士が入れ知恵したのでしょう)多くの場合「離婚した日本人親が子供を日本に連れ帰って戻ってこない」ケースがあり、今回もその危険があるということで、裁判所に「夏休みの日本への帰国を停止する命令」を出すように申し立てをしています。この申し立ては一旦は認められて命令が発効したものの、母親サイドが異議を申し立てたために撤回されています。そこまでは母親サイドもアメリカの法律のシステムに乗って行動していました。

 ですが「このままでは子供に日本の地を踏ませることができなくなるかもしれない」という危機感に駆られたのか、母親は子供の父親サイドには知らせぬまま、そのまま子供を連れて日本に帰国してしまったのです。テネシーでは大騒動になり、直ちに裁判所は母親の「親権剥奪」を宣告するとともに「誘拐罪」の逮捕状を発行しました。ところが、いくら親権剥奪とか誘拐罪として逮捕といっても所詮はアメリカの法律であり、日本の領土では効力がありません。また似たような「裁判所の命令に反して、または、そもそも裁判も省略して」子供を日本に連れ帰っている母親の例も多く、ほとんどが解決に至っていないことから、サボイエ氏は日本に乗り込んだのでした。

 恐らく色々なやり取りがあったのでしょう。最終的に思い詰めたサボイエ氏は、福岡県に乗り込んで母親と一緒にいた2人の子供の手を取ると、クルマに乗せてアメリカ領事館に駆け込もうとしたのです。ところが、そこには母親が日本の警察官と一緒に先回りしていました。サボイエ氏はそのまま「誘拐罪」で日本の警察に逮捕され、現在は拘留されています。このニュースは、地元のテネシー以外では、今現在はCNNがアジアで報道したようで、アメリカではウェブサイトでの報道を開始したところです。

 この問題は、恐らく11月のオバマ訪日へ向けたヒラリー・クリントン国務長官、ルース新駐日大使による対日外交の中で、かなりの優先順位で迫ってくることが予想されます。法律家であるルース大使は日米間に突き刺さったこの「国際間親権」の問題を正確に理解して「自分の力で解決に持っていきたい」と考える可能性は十分にあります。またヒラリー・クリントン長官にも「核家族のバリュー」をライフワークとして取り組んできたこともあり「琴線に触れる」話題に違いありません。

 では、この問題に落とし所はあるのでしょうか? 問題は単純ではありません。例えば、アメリカの裁判所の命令に従って子供さん達をアメリカに送るとか、日本人の母親をアメリカ側に逮捕させるというのは、日本国が自らの主権を放棄することになりできません。それこそ「対等な日米関係」に逆行することになります。ですが、アメリカ側からすれば、米国市民3人が不当に日本で拘束されているという理解になります。また両親の間は非常に「こじれて」いますから、長年続いている、同種の問題に関する日米の紛争を解決するには良いケースではありません。

 更に言えば、サボイエ氏は既にエミイさんというアメリカ人女性と再婚しています。ですから「日本の常識」からすると「もう新しい奥さんがいるんだから」ということになるのでしょうが、テネシーではそのエミイさんがTVのインタビューに答えて「夫が前妻との子供を愛しているのは私が一番良く知っています。その愛情のために起こした行為で、夫は子供を失う危険にさらされているばかりか、自分の自由も失って拘束されているのは許せません」と訴えているのです。恐らく、このエミイさんに「日本では再婚したダンナさんは、新しい奥さんへの遠慮もあるし、子供も新しい奥さんに違和感を持つだろうから、もう前妻の子には会わないという習慣があるんですよ」などと言えば「私はそんな狭量な女じゃない」と激怒するでしょう。

 1つの判断は、今回のトラブルについては、現在拘留中のサボイエ氏を不起訴とする代わり、子供さんについては一連の「連れ帰り事例」と一緒に時間をかけて処理するということで日本に留め置くという選択です。問題の先送りに他なりませんが、お子さんの感情を考えると「両親のそれぞれが、それぞれの国を味方につけてお互いを誘拐の犯罪者として罵倒し合っている」という状態は一刻も早く解消する必要があるからです。他のケースと共に、母子については当面は日本で生活して様子を見るという判断です。ただし、アメリカ側はこの条件では引っ込まないかもしれません。日本の新政権を「追い詰める」材料にされると厄介です。

 もう1つのアイディアは、父親の日本での誘拐罪容疑と母親のテネシーからの誘拐容疑を「相殺」して、双方を不起訴とし、とりあえずテネシーで共同親権で生活していた状態に「現状復帰」するというやり方です。これは、両国において司法に外交が介入するわけで、法律論からすると難しいですし、仮に連邦政府とディールが出来ていても、母親がテネシー州に入った途端に逮捕されることを本当に止められるのかといったテクニカルな問題もあるでしょう。ただ、「共同親権、面会権、養育費」についての法的拘束力をもった法制がアメリカにしかない以上、法律的な「現状復帰」はこの形しかないと思います。

 とにかく、問題は日本がハーグ条約を批准していないことです。そして批准するためには、離婚した両親間の「共同親権、面会権、養育費請求権」に強制力を認めるように民法改正を行う必要があるのです。この2点を早急に進める、そのための議論を開始しなくてはなりません。仮に批准ができたとしても、勿論、移行措置として「法律の手続きを省略して子供を連れ帰ってしまっているケース」には改めて公正な裁判を受けたり、子供の立場に立った心理カウンセリングを行う体制などが必要でしょう。ハーグ条約を批准した途端に、日本人のお母さん達に一斉に逮捕状が執行されるようなことがあってはならないからです。

 民法の問題と言えば夫婦別姓と非嫡出子の相続権などの改正に時間を取られているヒマはないと思います。こちらの問題はそれこそ「家族観の多様化」をどう法制化するか、真剣な議論が必要な問題です。千葉法務大臣、福島担当大臣には必死になって合意形成のために取り組んでいただきたいと思います。堂々と民法改正を行い、堂々とハーグ条約を批准することは、何もガイアツに屈したことにはなりません。アジアの中でも、こうした問題を解決するには日本の法制が一番公正だと言われるようにすべきであり、いわば時代の中での当然の流れであると思うからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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