コラム

フロリダ篤志家夫婦殺人事件の冷血

2009年07月17日(金)12時51分

 先週フロリダ州のペンサコーラ近郊に住むビリングス夫妻が自宅で殺された事件は、捜査が進展するに従ってその異常さが浮き彫りになってきており、全米のニュースでは連日報道されています。このビリングス夫妻ですが、自分たちの子供(再婚のためこの夫婦の間の子ではありませんが)以外に10人の子を養子に迎えて育てていたのです。その多くが、いわゆる「ダウン症」や障害を持つ子であり、そうした子を迎えて幸福に大家族を築いていた、正に篤志家といって良い夫婦でした。

 そんな夫妻が惨殺され、多くの子が後に残された悲劇もさることながら、複数の犯人が自宅を襲撃した、しかも相当に計画性のある犯行ということ、そこまではまだ通常の殺人事件とも言えます。ですが、計画に関与していたのが現時点で8人、その多くがイラク帰還兵であり、犯行の中心には1人の中年女性が重要なカギを握っているらしい、これはやはり異常な事件です。

 現在のところ分かっているのは、動機は「カネ」であるらしく、持ち出した夫妻の金庫が発見されています。かなり周到に計画をして犯人グループはそれぞれに持ち場を決めて襲撃をしたようです。その女性というのは、犯人の1人の若い男の家主だそうで、その接点から若い男の職場仲間、帰還兵仲間などが犯行の輪に加わっていったようです。

 この事件に非常にイヤな感じがするのは、犯人たちが夫妻が多くの養子を育てていることを知っていたという事実です。犯行は子供たちの数名の見ている前で行われ、子供たちは巻き込まれてはいません。証言能力の低い子供たちであろうということを計算の上の犯行であることが推測されます。イヤな感じというのはそのことだけではありません。帰還兵として貧困にあえいでいる犯人たちには「他人の子供を養子に迎えて育てるだけのカネと愛情のあり余った夫妻」を簡単に襲撃対象としてしまった、そこに絶望的な病理を見てしまうからです。

 では、どうして帰還兵のグループが周到に計画した犯行にも関わらず簡単に「足がついてしまった」のでしょうか? それは非常に簡単な理由です。ビリングス夫妻は防犯用の監視カメラを設置していたのですが、犯人グループは全くそれに気づいていなかったようで、侵入の様子が堂々と映っているのです。これもイヤな感じのするエピソードで「障害児を養子に迎えるような善人は防犯カメラは使っていないだろう」という思いこみがあった、そんな推測が可能です。

 余りにアッサリ逮捕されてしまったというショックから、多くの容疑者は犯行を否認しています。そこには「完全犯罪のはずが、こんなことになるとは」という憤りのようなものがあるようなのです。善行を行っている篤志家を憎み、冷血きわまる完全犯罪を計画しながら、善人なら防犯カメラを使わないだろうという間抜けな思いこみから逮捕される、まだ、事件の全貌は明らかではないので、これから二転三転する(女性の位置づけと心理的動機の解明がヤマ場になるでしょう)可能性がありますが、仮にここまでお話したような概略であるのであれば、そのストーリー全体が何ともやり切れません。

 事件の中で僅かな救いは、担当のデビット・モーガン保安官が毎日の会見で怒りをにじませながら誠実な説明に努めていることです。事件を憎みつつ、真相解明に情熱を燃やす姿は、昔のTVドラマシリーズ『ツイン・ピークス』(デビット・リンチ製作総指揮)の中に出てくるクーパー捜査官のようです。犯人グループのドロドロした人間模様がこれから明らかになってゆくと思いますが、そうなるにつれて、モーガン保安官の苦渋に満ちた表情が益々険しくなってゆくことが予想されます。事件の背景には、帰還兵士の社会復帰と精神的なケアの問題が根深く横たわっていますが、こちらも頭の痛い問題です。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:ウクライナ和平に向けた対ロ交渉、米政権混乱の

ワールド

アングル:高関税に知恵絞るインド中小企業、欧州・ア

ワールド

ドイツ失業者、10年ぶりに300万人突破 景気低迷

ワールド

英、防衛装備見本市からイスラエル政府排除 ガザ軍事
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:健康長寿の筋トレ入門
特集:健康長寿の筋トレ入門
2025年9月 2日号(8/26発売)

「何歳から始めても遅すぎることはない」――長寿時代の今こそ筋力の大切さを見直す時

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が下がった「意外な理由」
  • 2
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ」とは何か? 対策のカギは「航空機のトイレ」に
  • 3
    1日「5分」の習慣が「10年」先のあなたを守る――「動ける体」をつくる、エキセントリック運動【note限定公開記事】
  • 4
    豊かさに溺れ、非生産的で野心のない国へ...「世界が…
  • 5
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 6
    トレーニング継続率は7倍に...運動を「サボりたい」…
  • 7
    「ガソリンスタンドに行列」...ウクライナの反撃が「…
  • 8
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    自らの力で「筋肉の扉」を開くために――「なかやまき…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ女性が目にした光景が「酷すぎる」とSNS震撼、大論争に
  • 3
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット民が「塩素かぶれ」じゃないと見抜いたワケ
  • 4
    皮膚の内側に虫がいるの? 投稿された「奇妙な斑点」…
  • 5
    東北で大腸がんが多いのはなぜか――秋田県で死亡率が…
  • 6
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 7
    飛行機内で隣の客が「最悪」のマナー違反、「体を密…
  • 8
    25年以内に「がん」を上回る死因に...「スーパーバグ…
  • 9
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 10
    脳をハイジャックする「10の超加工食品」とは?...罪…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 7
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 10
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story