コラム

パレスチナ問題の特殊性 中東全体の危機へと広がり得る理由

2019年04月25日(木)11時35分

「17歳の息子アフマドが、抗議デモで頭を撃たれた」

UNRWAは2018年10月と11月に負傷した子供や家族にインタビューをしたという。報告書では次のようなインタビューの内容が掲載されている。

タリク君(13歳)の話。

「僕は抗議デモの初日に負傷した。参加することは親には言わずに、好奇心からデモに向かう車に飛び乗った。僕はデモの時、分離壁から100メートルほどのところに立って、見ていた。手には何も持っていなかった。その時、ふくらはぎを撃たれて、病院に運ばれた。病院に13日間入院し、傷が治るまで学校は3カ月休んだ」

タリク君の話の後に、次のような担当者の補足がある。

「タリクは5回の手術を受け、8カ月間のリハビリ治療をしてやっと松葉づえを使わないで歩くことができるようになったが、歩く時も足を引きずり、昔のように走ったり、サッカーをしたりすることはできなくなった。彼はくりかえし悪夢に悩まされ、学校でも勉強に集中することが難しくなり、黙り気味で、引っ込み思案になった。UNRWAは彼が自身の障害に適応でき、学校に慣れるように支援することを試みている」

また、息子が抗議デモに参加して大けがした母親の話もある。

「私は6人の子供の母親です。一番年下の息子アフマドは17歳ですが、抗議デモで頭を撃たれました。それですべてが変わってしまいました。家庭の幸せはなくなりました。息子の怪我は重傷で、脳が頭蓋骨の外に出ていました。幸いなことに医師が息子の命を救ってくれましたが、息子は20日間、集中治療室にいて、2カ月間、特別のリハビリ施設で過ごしました。

アフマドは精神的には退行して、幼児のようになってしまいました。服を着るのも、食事も、排せつも、すべて私と夫が世話をしなければならなくなり、私は片時も息子を一人にすることができません。息子は携帯電話を使ったり、テレビを見たりして、楽しそうですが、私の生活は変わってしまいました。親戚を訪ねることもなくなり、息子が人混みを怖がるので、どこにも行くことができません。私は疲弊して、ストレスを感じています。この2~3カ月の間に、20歳も年をとったような気がします。夜、眠ることもできませんし、横になると、胸が苦しくなります」

負傷者のうち7000人が実弾による負傷であり、その中には、かなりの確率で生涯にわたって障害が残った者がいる。ガザのパレスチナ社会に将来、深刻な影響を残しそうだ。

報告書には、「事態は国際社会によって全く過小評価されている。わずか10日間のほとんど平和的なデモでの負傷者は、14年に50日間にわたったイスラエルによるガザ攻撃の時よりも数が多い。(世界は)もっとしっかりとした対応をすべきだ」というクレヘンビュールUNRWA事務局長の言葉が掲載されている。

ガザで若者たちが死傷している間に、湾岸諸国がイスラエルに接近

「難民の帰還」デモが続いているガザは、2007年にイスラム組織ハマスが支配下に置いて以来、10年以上にわたって、イスラエルによる経済封鎖の下に置かれている。

360平方キロの土地に約200万人が住むガザの失業率は52%(18年)。自治政府や警察が最大の就職先であり、民間経済はほとんど破綻している。人口中央値が17歳代で、25歳未満の人口が66%と、全体の3分の2を占める。失業率の高さは、そのまま若者たちの苦難となる。

イスラエル軍は非情に撃ってくることを知りながら、若者たちがデモに参加するのは、失業や貧困、閉塞感などの状況に対する絶望とやり場のない怒りを示していると言えるだろう。ガザを追い続けるジャーナリスト、土井敏邦氏は「若者に広がる『殉教』という名の自殺」として、デモの背景にあるガザ内部の現状を報告している。

圧倒的な軍事力を持つイスラエル軍とパレスチナの若者たちが対峙する救いのない構図は、1987年に始まった第1次インティファーダや、2000年に始まった第2次インティファーダとも通じる。このような状況で、ネタニヤフ首相はトランプ大統領の後ろ盾を得て、ヨルダン川西岸の入植地の併合を言い出しているのである。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米ウクライナ首脳、日本時間29日未明に会談 和平巡

ワールド

訂正-カナダ首相、対ウクライナ25億加ドル追加支援

ワールド

ナイジェリア空爆、クリスマスの実行指示とトランプ氏

ビジネス

中国工業部門利益、1年ぶり大幅減 11月13.1%
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 2
    マイナ保険証があれば「おくすり手帳は要らない」と考える人が知らない事実
  • 3
    【銘柄】子会社が起訴された東京エレクトロン...それでも株価が下がらない理由と、1月に強い秘密
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 6
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」と…
  • 7
    「アニメである必要があった...」映画『この世界の片…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    2026年、トランプは最大の政治的試練に直面する
  • 10
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 1
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 2
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 3
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 4
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 5
    中国、インドをWTOに提訴...一体なぜ?
  • 6
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    海水魚も淡水魚も一緒に飼育でき、水交換も不要...ど…
  • 9
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 10
    アベノミクス以降の日本経済は「異常」だった...10年…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    90代でも元気な人が「必ず動かしている体の部位」とは何か...血管の名医がたどり着いた長生きの共通点
  • 3
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 4
    アジアの豊かな国ランキング、日本は6位──IMF予測
  • 5
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「…
  • 6
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした…
  • 7
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 8
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 9
    『SHOGUN 将軍』の成功は嬉しいが...岡田准一が目指…
  • 10
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story