コラム

プーチンで思い返す対ヒトラー「宥和政策」の歴史

2022年03月24日(木)16時45分
ネビル・チェンバレンとアドルフ・ヒトラー

チェンバレン元英首相(前左)はドイツに対する宥和政策でヒトラーの要求を認めた(1938年9月) By Bundesarchiv, Bild 183-H12751 / CC BY-SA 3.0 de

<ヒトラーを勢いづかせた、当時の英首相ネビル・チェンバレンの「宥和政策」はあまりに非難されているが、現代の国際社会はプーチンに対して何をしてきたのか>

僕は大学で歴史を専攻したから、ちょっとした歴史オタクだ。そんな僕が気になって仕方ないことの1つが、ネビル・チェンバレン元英首相と、彼のヒトラーに対する「宥和政策」が、いかに誤解され不当に非難されてきたか、という点だ。

彼の宥和政策は、何があろうと疑いなく間違った政策だった。だがそれは、主に歴史を振り返る中で明らかになった。宥和政策が第2次大戦を止められなかったこと、そして実際にはヒトラーの攻撃性と拡張主義を助長するだけだったことを、僕たちは今よく理解している。

それでも、正しく理解することが必要だろう。チェンバレン(首相在任期間1937~40年)は、一般的には軟弱で臆病で愚かな男と見られている。でも他の視点で見れば、彼は何であれ可能な手段を駆使してヨーロッパでさらなる戦争が起こることを阻止しようとした、真っ当な人物だった(第1次大戦の大量殺戮は、ほんの20年前だったのだ)。

そもそもチェンバレンはヒトラーによる残酷な要求に何でも屈したわけではない。彼のヒトラーに対するはなはだしい「降伏」の最たる例は、1938年にドイツのズデーテン地方併合を認めたことだった。事実上、チェンバレンは領土の一部をドイツに割譲することをチェコスロバキアに強いたことになる。でもここに、一定の論理が存在する――この地方は人口の50%以上がドイツ系だったのだ。

国境線を引き直すに当たって、彼は「民族自決」の原則で動いたとも言える。つまり、ドイツ人はドイツ国家で暮らすようにさせよ、というわけだ。民族自決は、ウッドロー・ウィルソン米大統領が1918年に提唱した14ヵ条の平和原則の1つで、世界の平和的秩序を意図したものだった。

ヒトラーが続いてチェコスロバキアの残りの領域を1939年3月に占領した際(この時はもはや正当化できる理由は何もなかった)、時すでに遅すぎではあるが、チェンバレンはヒトラーに対する政策を180度転換した。イギリスでも本格的な再軍備が始まった。イギリス(とフランス)は、ドイツに侵攻された際には援助するとの保障をポーランドに与えた。これは口約束ではなく、事実、ドイツがポーランドに侵略した1939年9月にイギリスとフランスはドイツに宣戦布告した。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

イラン仮想通貨取引所から資金流出が急増、米・イスラ

ワールド

アングル:イラン攻撃で中東観光業に激震、「安全・高

ワールド

金相場は上昇トレンド維持へ、キャッシュ化の動きに強

ビジネス

ノルウェー政府系ファンド、米再生エネルギー資産へ初
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプのイラン攻撃
特集:トランプのイラン攻撃
2026年3月10日号(3/ 3発売)

核開発の断念を迫るトランプ政権が攻撃を開始。イランとアメリカの本格戦争は始まるのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 2
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズった理由
  • 3
    少子化に悩む韓国で出生率回復...昨年過去最大の伸び率を記録した「勝因」と「今後の課題」
  • 4
    サファリ中の女性に悲劇...ライオンに「くわえ去られ…
  • 5
    イラン猛反撃、同士討ちまで起きる防空戦はいつまで…
  • 6
    核合意寸前、米国がイラン攻撃に踏み切った理由
  • 7
    「死体を運んでる...」Google Earthで表示される「不…
  • 8
    人気の女性インフルエンサー、「直視できない」すご…
  • 9
    イランへの直接攻撃は世界を変えた...秩序が崩壊する…
  • 10
    「日本食ブーム」は止まらない...抹茶、日本酒に「あ…
  • 1
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからくりとリスク
  • 2
    村瀬心椛は「トップでなければおかしい」...スノボの謎判定に「怒りの鉄拳」、木俣椋真の1980には「ぼやき」も
  • 3
    日本の若者「韓国就職」憧れと現実のギャップ ── ビザの壁、会社都合の解雇、帰国後も続く苦境
  • 4
    BTS復活...でも、韓国エンタメが「苦境」に陥っている
  • 5
    中国、4隻目の空母は原子力艦か──世界3番目の原子力…
  • 6
    縫いぐるみが相棒、孤独なサル「パンチくん」がバズ…
  • 7
    「毎日が人生最後の日」だと思って酒を飲む...84歳医…
  • 8
    少女買春に加え、国家機密の横流しまで...アンドルー…
  • 9
    中国で今まで発見されたことがないような恐竜の化石…
  • 10
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 1
    ウクライナ戦闘機「F-16」がロシア軍「シャヘド」を空中爆破...地上から撮影の「レア映像」を公開
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    台湾侵攻「失敗」の大きすぎる代償
  • 4
    「最恐」恐竜T・レックスの定説を覆す新研究が
  • 5
    イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた…
  • 6
    アルコールは血糖値を下げる...「脳と血管を守る」医…
  • 7
    見事なカンフーを見せた中国ヒト型ロボットのからく…
  • 8
    「ヘル・コリア」から日本へ7万人 ── 大企業の高給より…
  • 9
    中国、パナマ運河の港湾喪失でパナマに報復──トラン…
  • 10
    命は長し、働け女たち――88歳「働くばあさん」が説く…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story