コラム

「LGBT理解増進法」の罪と共振するクィア映画『怪物』

2023年06月20日(火)13時25分

この映画はクィア映画と呼べるが、その矛先は当事者ではなくマジョリティに向けられている。マジョリティが自らのマジョリティ性に安住し、無知であることは罪なのだ。複数の視点が交錯する映画の構成も、単なるギミックを越えた意味がある。無知を前提にしたマジョリティ側からの視点、マジョリティ側からの配慮は、独りよがりのものにすぎないということだ。この映画はそのことを残酷なまでに描き出す。

学校教育の現場での「理解増進」が必要な理由はここにかかっている。日本社会の空気は、いまだ性的にはストレートの人間たちの「当たり前」を基準に形成されている。従って、我々は普通に生活しているだけで、悪意はなくても当事者を傷つけることになる。それを防ぐために、早い段階からの教育が必要だということになる。

マジョリティへの「理解」を求める「LGBT理解増進法」

6月16日に成立した、いわゆるLGBT理解増進法は、当事者にとって希望となるどころかむしろ不安を煽るものとなった。法案は、2021年に既に超党派によってまとめられ、既に成立を待つばかりのはずであったが、主に自民党内の右派の抵抗によって、その審議過程で大きく内容が歪められた。

たとえば「差別は許されない」という文言が「不当な差別はあってはならない」という、まるで正当な差別が存在するかのような言い回しに変更され、また「民間の団体等の自発的な活動の促進」も削られてしまった。また維新と国民民主党の修正案で「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」というマジョリティへの配慮を求める文言も追加された。

学校での性的少数者に関する教育・啓発の規定は、さらに問題があるものになった。「保護者の理解と協力を得て行う心身の発達に応じた教育または啓発」という文言が追加され、理解増進は「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ」行われることになったのだ。

しかしその「保護者」とは何者か。『怪物』の登場人物に喩えれば、それはクィア的傾向を持つ自分の子供をモンスター扱いする父親であり、「男らしい」父親像を悪意なく理想化してしまう母親のことだ。

この「理解増進法」が配慮せよと述べている対象は、当事者を少しずつ、ボディーブローのように傷つけていくマジョリティの空気なのだ。映画の中でも、当事者がいかにマジョリティに「気をつかって」生きているのかを述べるくだりがあるが、この法律はそれを当事者にますます強く要求するのだ。

プロフィール

藤崎剛人

(ふじさき・まさと) 批評家、非常勤講師
1982年生まれ。東京大学総合文化研究科単位取得退学。専門は思想史。特にカール・シュミットの公法思想を研究。『ユリイカ』、『現代思想』などにも寄稿。訳書にラインハルト・メーリング『カール・シュミット入門 ―― 思想・状況・人物像』(書肆心水、2022年)など。
X ID:@hokusyu1982

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米上院共和党、EVの新車税額控除を9月末に廃止する

ワールド

米上院、大統領の対イラン軍事力行使権限を制限する法

ビジネス

バフェット氏、過去最高のバークシャー株60億ドル分

ビジネス

トランプ大統領、「利下げしない候補者は任命しない」
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本のCEO
特集:世界が尊敬する日本のCEO
2025年7月 1日号(6/24発売)

不屈のIT投資家、観光ニッポンの牽引役、アパレルの覇者......その哲学と発想と行動力で輝く日本の経営者たち

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影してみると...意外な正体に、悲しみと称賛が広がる
  • 3
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急所」とは
  • 4
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 5
    キャサリン妃の「大人キュート」18選...ファッション…
  • 6
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 7
    ロシア人にとっての「最大の敵国」、意外な1位は? …
  • 8
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝…
  • 9
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 10
    「水面付近に大群」「1匹でもパニックなのに...」カ…
  • 1
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 2
    「小麦はもう利益を生まない」アメリカで農家が次々と撤退へ
  • 3
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門家が語る戦略爆撃機の「内側」と「実力」
  • 4
    定年後に「やらなくていいこと」5選──お金・人間関係…
  • 5
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
  • 6
    飛行機内で「最悪の行為」をしている女性客...「あり…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    サブリナ・カーペンター、扇情的な衣装で「男性に奉…
  • 9
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 10
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    一瞬にして村全体が消えた...スイスのビルヒ氷河崩壊…
  • 5
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 6
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 7
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 10
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story