コラム

30年以上の時を経ていま明かされる、ディストピアSF『侍女の物語』の謎

2019年10月24日(木)16時40分

それほど期待されたThe Testamentsだが、何十年も前からThe Handmaid's Taleを愛してきた読者にとっては不安な本でもあった。せっかくの名作の価値を損なう駄作だったらどうしよう?

結論から言うと、駄作ではないが、前作のように歴史に残る名作でもない。前作が紛れもない「文芸小説」だったのに対し、新作はよくある「ディストピア・ファンタジー」のように感じられる。読んでいて面白いが、前作のように、行間から漂う不気味さや絶望感はない。

しかし、前作では不明だった独裁国家Gilead(邦訳版ではギレアデ共和国)の初期、構造、命運、そして主人公Offred(邦訳版ではオブフレッド)のその後などの回答を得ることができるので、アトウッドが多くの読者から受けた質問の回答編としては納得できる。また、アクションが多くて決して読み飽きない。

ギレアデの成人女性にはWife(妻)、Handmaid(子供を生むだけの道具である侍女)、Martha(手伝い)、Aunt(小母)という4つの階級しかない。上流階級の若い女性は学校で良き妻になる教育を受け、十代のうちに年上の司令官や上官の「幼妻」になる。上流階級の家で料理や掃除を行う手伝いには個々の名前はなく、誰もがマーサと呼ばれる。何人のマーサをあてがわれるかでその家の主人の重要さがわかるようになっている。文字が読めるのはカトリックの尼僧のように女子の教育係もつとめる小母だけであり、そのほかの女性は本だけでなく文字を読むことが禁じられている。掟を破ったら広場で絞首刑になるか、罪が軽くて若ければ司令官たち専用の娼婦という運命しかない。

The Testamentsの主要人物は、前回でオブフレッドのサディスティックな教育係だったAunt Lydia(リディア小母)、Kyle司令官の養子として育てられたAgnes(アグネス)、そしてカナダで育った16歳のDaisy(デイジー、読者には「カナダが盗んだギレアデの所有物の象徴的存在」として取り戻したがっているBaby Nicole〔ベイビー・ニコル〕だとすぐわかるようになっている)の3人の女性だ。

描かれるリアルな人物像

この中で最も興味深いのはリディア小母だ。前の世界では元女性判事だったリディア小母がいかにしてGileadの主要人物になったのか、そしてこの国の未来をどう操ろうとしているのかが次第に明かされていく。リディアは「Aunt(小母)」という階級が作られたことにも関わっているのだが、フェミニストであったはずの女性が、ある時点で女性を抑圧する権力層の一部になり、今度はその立場を利用して陰で男たちの権力を削り取る。かといって、個々の女性を救うような慈愛や憐憫はない。ある意味、怪物のような女性だが、多くのフィクションでの善悪がはっきりした主要人物に比べ、リアルな人間の複雑さを感じる。

権力を持つ男の妻になるためだけに育てられたアグネスは、抑圧された世界で育った女性の視点を読者に見せる重要な存在だ。「こんな人生は嫌だ」と思っても、それを感じる自分のほうが悪いので、黙っているほかはないと思い込む。女性にとって学ぶことが悪だと教えられていたら、向上心そのものが悪になる。自己犠牲のみが女の美徳なのだ。

アグネスのような立場の女性は、実際、ディストピアのギレアデでなくても、アメリカ合衆国や世界中に実際に存在する。そして、トランプ大統領の言動を見ていたら、彼が目指しているのはこんな世界ではないかと思えてくる。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国、春節中の日本渡航自粛勧告 航空券無料キャンセ

ワールド

OPECプラス有志国、3月の据え置き方針維持か 2

ワールド

インドネシア中銀理事に大統領のおい、議会委員会が指

ビジネス

欧州委、XのAI「Grok」を調査 性的画像生成巡
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:「外国人問題」徹底研究
特集:「外国人問題」徹底研究
2026年1月27日号(1/20発売)

日本の「外国人問題」は事実か錯誤か? 7つの争点を国際比較で大激論

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 2
    【銘柄】「住友金属鉱山」の株価が急上昇...銅の高騰に地政学リスク、その圧倒的な強みとは?
  • 3
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 4
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 5
    「外国人価格」で日本社会が失うもの──インバウンド…
  • 6
    「楽園のようだった」移住生活が一転...購入価格より…
  • 7
    「20代は5.6万円のオートロック、今は木造3.95万円」…
  • 8
    私たちの体は「食べたもの」でできている...誰もが必…
  • 9
    麻薬中毒が「アメリカ文化」...グリーンランド人が投…
  • 10
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレ…
  • 1
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡張に新たな対抗手段
  • 2
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」と「フリース」に移った日
  • 3
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コングスベルグ社のNSMにも似ているが...
  • 4
    データが示す、中国の「絶望的な」人口動態...現実味…
  • 5
    ラブロフ、グリーンランドは‌デンマーク​の「自然な…
  • 6
    【銘柄】「古河機械金属」の株価が上昇中...中国のレ…
  • 7
    ニュージーランドの深海に棲む、300年以上生きている…
  • 8
    完全に「ホクロ」かと...医師も見逃した「皮膚がん」…
  • 9
    ピラミッドよりも昔なのに...湖底で見つかった古代の…
  • 10
    麻薬中毒が「アメリカ文化」...グリーンランド人が投…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    ウクライナ水中ドローンが、ロシア潜水艦を爆破...「史上初の攻撃成功」の裏に、戦略的な「事前攻撃」
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 5
    「腸が弱ると全身が乱れる」...消化器専門医がすすめ…
  • 6
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 7
    前進するロシア、忍び寄る限界...勝者に見えるプーチ…
  • 8
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 9
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 10
    【クイズ】韓国を抜いて1位に...世界で最も「出生率…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story