コラム

IAEA事務局長が日本の元外交官である偶然をどう生かしたら良いのか?

2011年04月06日(水)11時18分

 なんという偶然でしょう!

 東電福島第一原子力発電所が事故を起こした今、IAEA(国際原子力機関)の事務局長を、日本の元外交官である天野之弥(ゆきや)氏が務めている、これは偶然というにしても大変なことです。

 勿論、IAEAの事務局長が厳正中立だという前提に立てば、この「偶然」は意味がないことになります。IAEAは権威のある組織ですし、現時点ではアメリカで見ている限り「日本人の事務局長」への批判は特には起きていません。ですが、そうであっても外交や原子力関係の査察というのは、人間の行為に他ならないわけです。天野事務局長自身が厳格な中立を貫くことができたとしても、周囲の人間には何らかの「ブレ」が生じる可能性はゼロではありません。

 実は、事故発生の直後に私は天野氏に辞任を勧めることを考えました。その理由は、大きな原発事故の当事国からIAEA事務局長を出しているというのは、誤解を招く危険があるという点であり、具体的には「規制が甘いという批判を浴びる危険」と「その批判を恐れて規制が厳しくなりすぎる危険」を考えたからでした。

 ただ、私自身が天野氏の人物や評価を知らない中では無責任と考え、辞任を勧めるのはやめました。その後、天野事務局長は3月18日から2日間日本に滞在してIAEAとして陣頭指揮をするともに、菅総理とも会談しています。日本のメディアは(恐らく外務省がそうせよと要請したのでしょう)日本人である天野氏に対して「来日・訪日」という表現を使い、IAEAの代表が来たということを、ある種の重みを持って伝えていました。

 その前後から、IAEAは福島周辺での線量の計測をはじめ、様々な活動を開始しています。こうなると天野氏はもう辞任はできません。事故直後に間髪を入れずに辞めれば、「出処進退」として鮮やかだったと思いますが、IAEAが日本で動き始めてから辞任するのはいけません。日本の外務省出身ということから「何らかのトラブルがあったのでは?」などという憶測を生むことになるからです。それは日本としても、IAEAとしても良いことではありません。

 であるならば、この際「IAEAはいい仕事をした」「天野氏は事務局長として立派だった」という評価につながるように、そしてそのことが日本の事故処理にもエネルギー政策にもメリットになるように、日本側としても真剣に考え直す必要があると思います。

 何故ならば、IAEA事務局長というのは、極めて政治的なポストだからです。例えば、前任のエルバラダイ氏は、現在エジプトの次期大統領候補として有力視されていますが、それはイラクにおける「大量破壊兵器の存在」について、断定的な立場であった当時のブッシュ政権と距離を置くことで、国際社会の信頼を得たからでした。

 ちなみに、このエルバラダイ氏は、2007年の中越沖地震の際に火災と放射性物質の漏洩を起こした東電の柏崎刈羽原発に対して査察を申し入れています。この時は、自民党の安部晋三政権は「対応する余裕がない」ことを理由に一旦は査察を断っていますが、その後、新潟県の泉田知事が強く要請して査察が実現した経緯があります。

 この柏崎刈羽原発の事故は、今回の福島第一の事故と比較すれば軽微な事故だったわけですが、それでも査察に当たっては政治的駆け引きが起きたのです。今回の事故に関してはその重大性を考えると、やがて調査が進むにつれて、何から何までがそうした「IAEAと日本政府の綱引きはどうなっている?」という見方で、内外から見られることを覚悟すべきだと思います。

 具体的には、以下の2点を提言したいと思います。

 1つ目は、この際、IAEAに日本政府と東電に対する「チェック機関」として、最大限に活躍してもらうということです。例えば、新潟の例のように、福島県として政府や東電の動きに疑問があればIAEAの査察や調査に期待をしていって良いのだということです。勿論、法的にはIAEAに加盟しているのは日本国ですから、政府を飛び越して交渉することはできません。

 ですが、日本の政府の判断が誤らないようにするために、IAEAに期待するということが福島県なり市町村から非公式のコメントとして出る、それによってIAEAが活動しやすくなり、日本政府の行動が修正されるということはあって良いと思うのです。例えば、20キロ圏の外にある飯舘村が「風の通り道」になっているために線量が高いという問題などは、IAEAの調査が公表されて初めて明るみに出たわけで、こうしたことはこれからも起きるでしょうし、それでいいのだと思います。

 これに関連して、仮に「政府の発表とIAEAの見解が異なる」ような場合に、メディアは「スキャンダル」のように政府を追求するのではなく、「チェック機関が機能している」ということで冷静に報道すべきだと思うのです。不自然な形でIAEAが譲歩するようなことでもあれば、国際社会において天野事務局長の権威は失墜してしまうこともあり、IAEAは簡単には妥協してはこないでしょう。その方が回り回って事態の収拾には良い方向になる、そのことを信じて報道すべきだと思います。

 2つ目ですが、これも極めて切羽詰った問題です。それは、事故処理における様々な規制とルールをIAEAに緊急で整備してもらうということです。放射性物質を含む汚染水の海洋への放出などを「IAEAへの報告で良いのか?許可制にするのか?」という点、それから、様々な基準での線量の計測と公開の基準の設定、そして野菜、食肉、牛乳、魚などの食品における安全基準の確立です。

 例えば、汚染水の漏出や放出の問題ですが、国際基準がない現状では、枝野官房長官が「国の基準の百万倍」などという言い方をすると、アメリカのCNNや三大ネットワークのニュースでは、そのまま「日本の安全基準の百万倍」という言い方で流れてしまっています。そうすると、それはそのまま「日本は何をやっているんだ」という憤慨や、「日本からの食品輸入禁止」などという風評につながってしまうわけです。放出については、いくら苦渋の選択とはいえ、日本一国の判断で行えば非難は避けられません。

 勿論、IAEAという大きな国際組織がそんなに早く規制を整備できるとは思えませんし、汚染水放出の責任を分担してくれるというわけでないでしょう。特に食の安全に関してはFAO(国連食糧農業機関)など他の組織との調整が必要かもしれません。ですが、少なくとも「国際的な規制作りを前提に細かく相談してやっている」という形を取れば、諸外国に与えるイメージも緩和できるのではないかと思います。

 こう申し上げると、具体的な規制は各国の主権に属するもので、日本は独自にやればいいという批判があるかもしれません。ですが、今回の事故を契機にしっかりした規制を作っておくことは、仮に将来において情報に関して閉鎖的な国が原発事故を起こした場合に(あってはならないことですが、仮の話として)国際社会としては、非常に重要になると思うのです。

 それ以前の問題として、現在の日本の状況においては規制があった方が万事動きやすいと思います。その動きを今年のG7やG20にも連動させていけば、新しい規制づくりの努力は意外に早く実を結ぶかもしれません。日本の中長期のエネルギー政策の再設計は、その上で可能になるのだと思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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