コラム

朝鮮半島有事の際に、自衛隊による邦人救出は可能か?

2010年12月17日(金)10時11分

 先週から今週にかけて、菅総理が「自衛隊派遣を念頭に朝鮮半島有事の際の日本人救出計画を策定する意向」を示したという報道がありました。これに対して韓国側からは、金星煥外交通商相による「どのような文脈で話されたのか分からないが、韓国側と事前の協議はなかった」というコメントが出ています。また、社民党の福島党首は「これはひどい。自衛隊を派遣すれば、戦争に突入するかもしれない」と批判したそうです。

 例えば、北朝鮮内部に動揺が起きる中で「イチかバチか」という判断、38度線を越えてソウルが砲撃されるということは、想定せざるを得ないと思います。そうした事態に関して日韓側の動揺を最小化させる準備がされているというのは、それだけでも、攻撃を抑止する政治的圧力にはなると考えられます。

 さて、仮にソウルが大規模な攻撃を受けた場合ですが、北朝鮮側は金浦・仁川の両国際空港の滑走路も破壊した上で攻撃を行うとか、高速道路や海上輸送路なども寸断してくることが予想されます。そうなれば、ソウルに大勢住んでいる日本人は帰国ルートが寸断されてしまいます。民間機や民間船舶の活動は不可能という前提で、自衛隊が救出に向かうことは必要になるでしょう。

 しかし問題は簡単ではありません。まず対象者は誰なのかという問題があります。今は多少改善されていますが、外務省が「公式に認める在外邦人」というのは、現地日本商工会議所に加盟している企業の駐在員とその家族が優先されています。留学や転職、国際結婚というような個人的な渡航者は除外されがちですが、この対象をどうするのか、例えば韓国人と結婚している日本人の場合、子供や日本国籍のない配偶者はどうするのかという問題があります。また日本の特別永住資格を持っている在日韓国人が一時的に韓国に居住している場合はどうなのかという問題もあります。

 さて、それ以前の問題としてソウルが火の海になりつつある中、日本人とその縁者だけが日本の自衛隊の艦船や航空機で日本へ避難するということ自体が可能なのでしょうか? 韓国の国民感情だけでなく、具体的には韓国が朝鮮戦争の教訓に基づいて独自に策定しているであろう、有事の際の民間人の避難保護体制に従わずに、日本人とその縁者だけは自衛隊による救出を可能にするよう韓国側の危機管理体制を変更してもらうことがテクニカルに可能なのか、という点です。

 菅首相は韓国領内からの救出だけでなく、拉致被害者も助け出すと言っています。どこまで本気で言っているのかは分かりませんが、そうなれば混乱の渦中における北朝鮮領内で拉致被害者を1人1人救出する、つまり戦闘員による保護だけでなく、混乱の渦中における他国での工作が可能な特殊工作員を訓練しておく、あるいは現地に協力者を配置しておく必要も出てきます。その場合も、では韓国の拉致被害者はどうするのか、著しい人権被害に遭っている日本人妻や「帰還」した元日本居住者はどうするのか、それ以前に動揺する北朝鮮の住民への人道支援はどうするのか、という問題が出てきます。

 私はそうした深刻な動乱が発生した事態の中では、日本国民だけに絞って「救出」を行うというのは、テクニカルにほとんど不可能ではないかと思われますし、更に動乱の鎮静化の後に、苦労して国家インフラを再建することになる韓国の世論を考慮した場合には極めて慎重であるべきだと考える者です。大勢の人が危険に晒されている中で、日本人だけを助ける、韓国軍と米軍は戦闘態勢に入っている中で、日本の自衛隊だけが天災時の救援活動のような動きをしているという図は、あり得ないのではないかと思うのです。

 考えられる策としては、韓国政府と韓国軍による有事における民間人の保護体制に日本人も加えてもらう、その上で仮にソウルが火の海になると想定された事態には、ソウル住民と一緒に日本人も整然と避難をし、危険から十分に離れたところではじめて、日本人の希望者を分離して整然と日本へ帰還させるように日韓で協力するというのが唯一現実的でしょう。大勢の韓国人が生命の危険に晒されている地域から、日本人だけは韓国人を見捨てて自衛隊機で逃げるというのは不可能だからです。

 その場合に、仮に1950年の事態のように、一旦韓国領内への北の侵攻を許す場合、つまり大規模に韓国北部の住民を南へ逃がす必要が出た場合は、韓国人を含む避難民への食糧供給や医療サービスなどに日本も協力する必要があるように思います。また、万に一つの可能性ですが、韓国の相当南部まで北の侵攻や砲撃などを許したりする事態においては、韓国人避難民を九州で受け入れるなどの措置も準備しておく必要があると思います。

 福島氏の言う「戦争になる」というのは、北朝鮮で拉致被害者の救出行動を行う際に戦闘に発展する危険を指しているだけではないように思います。昔から言われている「日本の自衛隊が朝鮮半島に侵入したら南北が力を合わせて撃退するだろう」という曖昧模糊とした言説を心配している、あるいはそうならないまでも韓国の世論として日本の自衛隊が韓国領内で活動することへの抵抗感を拡大評価しているということでしょう。実際に北朝鮮は、菅首相の発言を「日本による再侵略」の宣言だなどと反発しています。ですが、そうではあっても「これはひどい」などと言って、在留邦人の安全確保を全く考えないというのも「ひどい」と思います。

 こうした問題に対しては、韓国人と日本人、あるいは北朝鮮の住民の生命を公平に扱う、つまり日本人だけを独善的に救出するのではない、日韓があるいは日米韓が連携して民間での被害を最小限に食い止める「防衛計画」を立てていくことでしか、解決はないように思うのです。そのために法改正なり憲法解釈論議が必要なのであれば、毅然として理屈を詰めていくべきでしょう。いずれにしても、朝鮮半島有事に関しては「動乱が沈静化した後の韓国において国家再建への求心力に反日カードを使わせない」ということを日本の国家目標として、そこから全てを逆算することでしか道筋は見えてこないと考えます。そうした議論が対外的な説得力を持てば、広義の抑止力ともなるのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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