コラム

PCR検査も抗体検査も無料――大江千里氏がつづるニューヨークの「新しい日常」

2020年08月28日(金)16時50分

検査会場のバスケットコートがある体育館。手書きで書かれた「EXIT(出口)」がなんともラフ SENRI OE

<ニューヨーク在住の大江千里氏が新型コロナの抗体検査を受けた。ネットで予約して「30分後」から受けられる手軽さで、もちろん無料。さて、検査結果は――?>

「抗体検査がタダです」――ニューヨーク市保健局からメッセージが届き、自宅に籠もっている間に何度か喉や肺に痛みを覚えたので受けることにした。予約時間をクリックすると、「今から30分後?」と。さすがにそれは無理なので、翌日の昼12時30分に予約した。

ニューヨークの街は随分開いてきたけれど、人の心は開かない。レストランのテラス席にも人はまばらだ。見えない敵と戦ったあの真っ暗なトンネルの中へ戻りたくない。誰もがそう思っているはずだ。

尋常じゃない数の救急車が行き交うのを、息を潜めて見守った日々。地下鉄にはホームレスが増えた。バスは運転手の感染防止のため、前方部分が分厚いビニールと鎖で塞がれている。後ろ半分に乗るので緊張感がある。道行く人のほとんどはマスクを着けているが、若者を筆頭に外し始めた人も。スーパーのレジ付近などは、距離を取らずに急ぐ人も多い。

新型コロナウイルスのエピセンターとなったニューヨークは、感染者数も死者の数もうなぎ上りだった。外に出るにも緊張の日々が続いた。これまでの人生で、4カ月家にいたことなどない。夢中で練習や作曲をしてSNSにアップし、掃除から料理までありとあらゆることをやった。

だから今、レストランの屋外席での食事が夢のようだ。ただ、風の流れによっては危険を感じるときもある。あれだけマスクを嫌がっていたアメリカは、今やおしゃれマスクに身を包むマスク大国へ大変身だ。

抗体検査の結果は......

翌日、早く起きたので早々に検査会場へと家を出た。雨が降りそうな空を見上げてくてく歩くとあっという間に到着。少し早いが中をのぞくと、「検査でしょ?」と全身防護服の黒人の女の子に検温された。言われたとおりに進むとソーシャルディスタンシングを保ちながら並ぶ列がある。

焦って近づくと「ダメよ」と言われ、他の人が近づくと、今度は僕が「ダメダメ」と言う。嫌な感じは全くなく、つい近づいてしまう自分たちを突っ込み合いつつ安全を保とうとする。黒人の若いバイトの男の子も防護服姿で、「これ読んでウェブサイトを見れば数日で結果が出るよ」と教えてくれる。

「この後はずっと右折」。人が対面せぬよう右折を繰り返し、たどり着いた先はバスケットコートだった。あ、ここは小学校なんだ。「あなたは一番左ね」「IDを見せて。どっちの手?」結構血を取られたがあっけなく終了。ガーゼを患部に貼って「いい一日を」と送り出される。

外に出るとポツポツ雨が降り始めていたが心は晴れやかだった。この街ではPCR検査も無料だ。国民に対する現金給付も中小企業支援の「給与保護プログラム(PPP)」も個人失業保険も、税金をきちんと納めている市民に届く仕組みになっている。この国は、市民を徹底して守っている。

2日ほどで結果は出た。陰性。まずはホッとしつつ、不謹慎にもどこかでほんの少し落胆する。ニューノーマルの距離感をまとった日々がゆっくり動き始めたことを、痛切に感じる。そんな体験だった。

<2020年8月25日号掲載>

プロフィール

大江千里

ジャズピアニスト。1960年生まれ。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー後、2007年末までに18枚のオリジナルアルバムを発表。2008年、愛犬と共に渡米、ニューヨークの音楽大学ニュースクールに留学。2012年、卒業と同時にPND レコーズを設立、6枚のオリジナルジャズアルパムを発表。世界各地でライブ活動を繰り広げている。最新作はトリオ編成の『Hmmm』。2019年9月、Sony Music Masterworksと契約する。著書に『マンハッタンに陽はまた昇る――60歳から始まる青春グラフィティ』(KADOKAWA)ほか。 ニューヨーク・ブルックリン在住。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

パキスタン国際航空、地元企業連合が落札 来年4月か

ビジネス

中国、外資優遇の対象拡大 先進製造業やハイテクなど

ワールド

リビア軍参謀総長ら搭乗機、墜落前に緊急着陸要請 8

ビジネス

台湾中銀、取引序盤の米ドル売り制限をさらに緩和=ト
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者・野村泰紀に聞いた「ファンダメンタルなもの」への情熱
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    ジョンベネ・ラムジー殺害事件に新展開 父「これまでで最も希望が持てる」
  • 4
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 5
    批評家たちが選ぶ「2025年最高の映画」TOP10...満足…
  • 6
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 7
    12歳の娘の「初潮パーティー」を阻止した父親の投稿…
  • 8
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 9
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 10
    なぜ人は「過去の失敗」ばかり覚えているのか?――老…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 3
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 4
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリ…
  • 9
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 10
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story