コラム

新型コロナで戦略物資になった医療用マスクで日本は大きく出遅れた

2020年05月11日(月)11時40分

中国製マスクには品質への疑問があるかもしれない。コロナ危機にともない各国が輸入を増やした中国製マスクのなかには、気密性の保持といった基準を満たさない粗悪品も多いからだ。医療現場で粗悪品が出回れば、医療従事者のクラスターすら発生しかねないため、例えばアメリカは4月24日、中国企業66社に国内でのマスク販売を禁止した。

もっとも、BYDはその対象となっておらず、露骨な粗悪品は確認されていない。そのため、BYDのN95が日本で供給されることは、ひっ迫する医療現場を支援し、コロナ感染の拡大を防ぐ一助になるだろう。

中国のマスク外交

ただし、その重要性が高いだけに、BYDマスクの輸入は外交的にも大きな意味をもつことになる。

医療用マスクは、すでに国際的な戦略物資になっている。そのなかでN95の最大の生産国である中国は、マスクを外交手段としても用いている。

中国政府は国内メーカーに対して国内のマスク需要を優先させるよう通達している。その結果、アメリカやヨーロッパに進出している中国企業が、進出先の政府・自治体などとの契約を一方的にキャンセルしてまで中国にマスクを送る事態が頻発している。

一方、中国はマスクを用いて友好国との関係強化を進めている。例えば、中国政府は4月6日、イタリアに20万枚のN95を含む220万枚の医療用マスクを送った。イタリアは中国の「一帯一路」構想のヨーロッパにおける重要な拠点だ。同様に5月5日、感染者が再び増加しているシンガポールにも、2万枚のN95を含む62万枚の医療用マスクが提供されている。

こうした環境のもと、ソフトバンク経由とはいえBYDのN95が日本の医療現場を支える状況が常態化すれば、中国の外交的影響力が大きくなることは避けられない。

マスク安全保障を考える転機に

平時においてさえ、食糧であれエネルギーであれ、必要性の高い物資を供給する側は強い影響力を握る。日本がアメリカの影響を強く受けやすいのは、安全保障面での依存だけが理由ではなく、食糧やエネルギーの多くを輸入していることがある。緊急時のいま、N95はこうした物資に並んだといってよい。

そのうえ、コロナは貿易、投資、インバウンドなどで海外に依存する経済の脆さを露呈させた。その結果、各国はこれまでのグローバル化の流れを逆転させ、経済的効率を無視してでも必要物資をできるだけ国内で確保する姿勢に転じている。同盟国の同士討ちも珍しくない。

だとすると、一時的にはやむを得ないとしても、戦略物資となったマスクを特定の国に依存し続けることは外交的リスクが高すぎる。マスクに限らず、感染症対策に不可欠な人工呼吸器、防護服、医薬品といった医療用品がおしなべてここに含まれるだろう。今後、コロナの第二波、第三波がくると想定すれば、日本は食糧安全保障やエネルギー安全保障とともにマスク安全保障を国策として考える必要に迫られている。

20050519issue_cover_150.png
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2020年5月19日号(5月12日発売)は「リモートワークの理想と現実」特集。快適性・安全性・効率性を高める方法は? 新型コロナで実現した「理想の働き方」はこのまま一気に普及するのか? 在宅勤務「先進国」アメリカからの最新報告。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国万科、最終的な債務再編まで何度も返済猶予か=ア

ビジネス

中国、来年も政府債発行を「高水準」に維持へ=関係筋

ワールド

ロシアがウクライナを大規模攻撃、3人死亡 各地で停

ワールド

中国、米国に核軍縮の責任果たすよう要求 米国防総省
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ISSUES 2026
特集:ISSUES 2026
2025年12月30日/2026年1月 6日号(12/23発売)

トランプの黄昏/中国AI/米なきアジア安全保障/核使用の現実味......世界の論点とキーパーソン

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 2
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    【外国人材戦略】入国者の3分の2に帰国してもらい、…
  • 5
    「信じられない...」何年間もネグレクトされ、「異様…
  • 6
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 7
    素粒子では「宇宙の根源」に迫れない...理論物理学者…
  • 8
    「個人的な欲望」から誕生した大人気店の秘密...平野…
  • 9
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 10
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 5
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 6
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 7
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 8
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 9
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 10
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    兵士の「戦死」で大儲けする女たち...ロシア社会を揺…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story