コラム

スコットランド投票の残したもの

2014年10月06日(月)12時43分

 日本の人々は、もうスコットランド独立の住民投票の話題には飽き飽きしているのではないかと思う。結局、投票は終わり、独立は否決されるというニュース価値がイマイチな結果に落ち着いた。

 だけど、再度この話題について書くことをお許し願いたい。
僕にとっては生涯で最も興味深い出来事の1つで、イギリス全土の人々があれほどの盛り上がりを見せた事件だったのだから。僕たちにとってこの問題は、まだとても「済んだこと」とは言えない。

 今回の住民投票については、こんなことが言えそうだ。

 第1に、僕の人生で政治がこれほど面白くなったことはなかった。投票終了の1時間ほど前、僕はたまたま電車に乗っていたが、乗り合わせた乗客たちの間で投票に関する話が始まった。

 2人の若者は投票結果発表を見届けるパーティーに向かうところで、スコットランドの歌の歌詞を覚えようとしていた。僕がこの2人との議論に熱中していると、他にも数人の乗客が加わってきた。

 イギリスの通勤客は、めったに会話を交わすものではない。したとしても話題は、天気や電車の遅れをぼやく程度。政治の話などまずしない。ところがこのテーマについては、誰もが興味を隠しきれなかった。僕の行く先々で、人々はこの話題で盛り上がっていた。

 第2に、もしも独立「賛成」が過半数を占めていたとしたら、その結果は計り知れないほど大きかっただろう。

 車内で話をした乗客の1人は、ジャーナリストだった。スコットランド独立についての記事を書いたし、今後も書く予定だと言っていた。だが彼は、骨董品取引に関する記事が専門だという。僕は面食らって、スコットランド独立をどんなアングルで記事にするのかと尋ねた。

 今にしてみれば、ちょっと考えればすぐに分かることだった。
つまり、スコットランドが独立国になったら、イギリス国有の美術品を分けなくてはならないということだ。たとえば、スコットランドの領主が100年前にロンドンのナショナル・ギャラリーに寄贈した絵画があれば、独立したスコットランド政府から返還要求されるだろう(これはかなり明快な例えだが、「グレーゾーン」の作品はもっと大変なことになるだろう。「英王立エジプト学協会」が資金提供した「イギリスの発掘隊」に参加した「スコットランド人考古学者」によって発見され、今では「大英博物館」に所蔵されているエジプトのミイラはどうしたらいいのか)。

 この骨董品ジャーナリストは、スコットランドが独立したら、大邸宅の固定資産税が大幅に増税されるだろうから、裕福なスコットランドの貴族階級は保有していた骨董品や価値ある美術品を大量に手放すだろうと考えていた。独立の影響は単純じゃない――そんなことを思わせる一例だ。住民投票にいたく関心を抱いていた僕も、ここには考えが及ばなかった。

■イギリス政治を揺さぶった

 第3に、今回の住民投票は真に歴史的なものだったが、厳密な歴史的意義はまだ明らかになっていないのかもしれない。独立「賛成」が勝った場合、その影響は計り知れなかったかもしれないが、独立「反対」の結果も、すでにイギリス政治を複雑に揺さぶっている。

 イギリスの主要3政党はスコットランドの分離独立を食い止めるため一時的に結託して、スコットランドに自治権の拡大を提案した。住民投票が終わった今、イングランド北部やロンドン市、ウェールズなどイギリス連合の他の地域で、同様に自治権を拡大してもいいはずだという論議が沸き起こっている。

 たとえば、イングランド南西に位置するコーンウォールはどうだろうか。この地域は周囲に比べて極端に貧しく、イングランドの他地域とは異なる歴史を持つ(ケルト地域の1つで、独自の言語がある)。ロンドン市民が別荘としてこの地を買い占めているため、住民には手が届かないほど不動産価格が高騰していることも、地元民の怒りを買っている。

 スコットランドの住民投票は、パンドラの箱のようなものだった。ひとたび浮上した問題は決して元に戻して蓋をすることはできない。

 新しいスコットランドの権限拡大を「本末転倒」というイングランド人の声も聞いた。たかだか200万人程度のスコットランド人有権者が独立を考えたことで、人口6000万人の国から大きな譲歩を引き出したのだ。イングランド人の怒りは、今後ナショナリズムの高まりにつながるかもしれない。

■議論されなかった宗派対立

 第4に、僕にとっては癪に障る話だが、ゴードン・ブラウンはいつかイギリス政治の偉人とみられることになりそうだ。

 ブラウンは人気のある政治家ではなく、首相として総選挙で勝利したこともない。イギリスがいまだに回復に苦しんでいる経済危機を招いた責任の多くが彼にあると僕は思っている(イギリスが経済危機へと進んだ10年間、彼は財務大臣だった)。

 だが投票直前の数日で、彼は独立反対派の支持を広げることに大きく貢献した。ブラウンは実質的に政治の表舞台から身を引いていたが、投票が僅差の競り合いになると、数々の集会で演説に引っ張り出されるようになった。

 スコットランド人として、労働党の「大物」として、彼は驚くほど情熱的な演説で、多くの浮動層を取り込んだ。彼を「イギリス連合を救った男」と呼ぶのは言い過ぎかもしれないが、彼は確かに大きな役割を果たした。

(ところでブラウンは、自らを世界の金融システムを救った男だと主張している。破綻しかけた銀行に政府が無尽蔵に資金をつぎ込むという策は、良くも悪くも彼のアイデアだ。彼はまた、イギリスのユーロ加盟の議論を阻んだ男でもある。ユーロに加盟しないという選択は、イギリスに極めて大きな恩恵をもたらした。だから総合的に考えれば、ブラウンは将来的には重要な政治家と判断されるだろう)。

 最後に、今回の投票には、まだあまり語られていない面白い部分がいろいろある。

 サッカー・ファンならスコットランドに宗派対立めいたものが存在することを知っているかもしれない。グラスゴー・レンジャーズはプロテスタントのチームだが、グラスゴー・セルティックはカトリックのチームだ。それぞれのチームのファンは互いに、強烈で時に暴力的なほどのライバル意識を抱いている。セルティックからレンジャーズに移籍したあるカトリック教徒の選手は、古巣セルティックのファンからは殺しの脅迫を受け、レンジャーズファンからは敵意を向けられた。

 試合となるとレンジャーズのファンはユニオン・ジャックを振り、セルティックのファンはアイルランドの三色旗を振る。「すべてのスコットランド人が団結して」いないことは明らかだし、少なくともグラスゴーでは、宗派にのっとった帰属意識が存在することを示している。

 住民投票では、世代によって意見が大きく分かれたことが盛んに報道されていたが(年配の人々は独立反対に投票する傾向があった)、僕はむしろ、宗派ごとの投票傾向はどうだったのだろうと疑問に思う。

 電車内の会話に戻ろう。議論に加わったある男性が、BBCが出口調査をしないことを気にしていた。スコットランドは面積が大きく、人口密度が低いことから、人口1人当たりのコストに換算すると出口調査は異常に高くつくとBBCは考えたらしい。それにいずれにしろ、投票結果は終了後数時間でわかる。

 だが車内でこの男性は言った。「これまで経験したなかで最も重要な選挙なのに、政治学者が研究するためのデータもないとはね!」

 それでもこの住民投票は研究対象になるはずだ。そして、僕は今後も常に注目し続けるだろう。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

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