コラム

移民問題が「タブー」でなくなったわけ

2014年07月17日(木)12時57分

 ここ数年、僕たちイギリスの国民は、一部の政治家からこんな寛大な言葉を聞かされてきた。移民について懸念するのは、決して人種差別なんかではないですよ――。

 こんな「お許し」が出たのは、大きな変化だ。10年以上にわたり、多くのイギリス人が移民の大量流入に懸念をおぼえながらも、そんな心配を口にしようものなら非難されてきたのだから。僕の友人の1人も、大量の人々を外国から輸入するという事実上の「政策」をずばり批判したために、事あるごとに人種差別主義者だと非難されていた。

 僕は、もっと慎重に発言するようにと彼をたしなめたこともあった。それに正直に言うと、数年前ならこのブログにこんなことを書くのすらためらわれただろう。

 イギリス政治に関心のある人なら、2010年の総選挙でのあの出来事を覚えているかもしれない。当時のゴードン・ブラウン首相が遊説中、テレビカメラの前である熱心な労働党支持者の女性から移民問題についての質問を受けたときのことだ。車に戻ったブラウンは、マイクが付きっぱなしになっていることに気付かず「偏狭な差別女め」と激怒。この女性との対面を準備した選挙スタッフにも当たり散らした。熱心な支持者との間で起こった価値観の不一致にさらされ、怒りがわいてきたというわけだ。

■社会的な死をもたらす話題

 移民は大きな問題だが、つい最近までは話すこともままならない事実上のタブーだった。移民政策を問題視すれば人種差別主義者と呼ばれた。現代のイギリスでこう呼ばれたら、社会的に抹殺され、政治キャリアもおしまいだ。

 イギリスは50年代から移民を受け入れてきたが、90年代後半からはその量も性質も様変わりした。僕の生きてきた期間において、イギリスを変えた唯一最大の出来事こそ移民だったと言っていい。

 移民には総じて経済的メリットがあるという事実は広く知られている。移民は働いて税金を払うし、高齢化するイギリス社会の年金制度を支えてくれることにもなる。移民はイギリス人より低賃金で働いてくれるので、物価も抑えられる。例えば、農産物を収穫するのは主に移民労働者だ。移民に利点があることに異論はない。

 とはいえ、長年語られずにきたデメリットもある。興味深いことに、そうした移民のデメリットの影響を受けるのは、ほとんどがいわゆる低階層の人々だ。まず、低賃金労働者が大量に供給されると、イギリス人の労働者階級は自分も低賃金で働くことを受け入れるか、失業するしかなくなってしまう(移民の多くは、最低賃金でも母国の賃金に比べればずっと高いので満足だ。微々たる貯金も、母国の家族に送れば大金になる)。

 移民はさまざまな側面で負担になっている。中期的にはもちろんのこと、長期的にもそうなるかもしれない。イギリスの住宅問題は慢性化し、需要に供給がまったく追い付かない。新築住宅の不足と小規模な世帯の増加が大きな原因だが(例えば離婚すれば住宅がもう1つ必要になる)、突然の大規模な人口増加が明らかに拍車を掛けている。国民保険サービス(NHS)が破たん寸前なのも、イギリス人よりも子だくさんな移民がイギリスの国営医療制度をすぐに無料で利用できる、ということが少なからず影響しているだろう。

 個人的にひどいと思ったのが、移民の大量流入についてイギリス人に民主的選択が与えられていなかったことだ。選挙の際のマニフェストにも記されないまま進められ、今や廃止もできなければ制限も難しい政策になってしまった。ブレアとブラウンの労働党政権下で移民は野放し状態だった(内務省は合法的な移民の数も不法移民の数も、滞在者数も把握していないことを事実上認めている)。

 アイルランドや旧植民地などイギリス旅券を所持する人々だけでなく、ソマリアやアフガニスタンの亡命者らイギリスと何ら歴史的・文化的つながりのない国からも移民を受け入れてきた。ビザのシステムも、大規模に悪用されている。偽装結婚もあれば、学校に通いもしない人々が「学生ビザ」で入国する場合もある。

 膨大な数が流入しているのは、中東欧からの移民だ。(ポーランドやルーマニアなどの)中東欧の国々がEUに加盟したことによって、こうした国の人々がイギリスに入国して働き、育児給付や無償教育といったイギリスの社会福祉を受ける自由が保障されたからだ。

(例の差別主義者呼ばわりされた)僕の友人は、社会に貢献もしないうちに福祉の恩恵にだけあずかるのは不公平だと思う、といつも断言していた。

■膨らむ中産階級の不満

 最近、労働者階級より上の階層も移民のマイナス面を感じ始めていることに僕は気付いた。中産階級の若者(35歳未満)の多くは(生まれながらの権利と信じて疑わなかった)ロンドンの住宅を買うことができなくなっている。貧しい移民が多くの公営住宅や安い賃貸住宅を占拠する一方で裕福な駐在外国人はロンドンの不動産を投資対象として買い占め、肝心のロンドン市民が締め出されている。

 僕にはロンドンの一等地にすばらしい家を所有している友人が2人いる。2人とも自分の子供を地元の公立学校に通わせるつもりだった(2人とも公立学校出身だ)。でも下見したところ、さまざまな国から来た移民の子供たちで教室はあふれかえっていた。イギリスに来てまだ日が浅く、英語が母国語ではない子が多いので、1、2年生のクラスは英語を教えることで精一杯になることが分かった。ということは、友人の子供はその期間を無駄にすることになる。2人とも、大金を掛けて私立学校に通わせるしかないと感じたそうだ。

 長年のあいだ、文化摩擦に苦しんできたのは貧しい地域の人々だった。高齢のイギリス人の団地住民は、次第にサリーやブルカ姿の女性に圧倒されていった。それが今では移民の規模はこうした地域を超えて拡大する一方。小さな町や村では新入りの移民が曜日構わずごみを捨てたり、(あえて国名を挙げれば)ポーランド人の若者が夏に毎日、庭先で母国語でラップをがなりたてていたりする。

 今になって移民を疑問視してもいいという政治家が出てきたのはなぜか。彼らがたいして気にかけていない「一般大衆」だけでなく、政治家と付き合いのあるそれなりの階層の人々にまで、移民問題が影響を与えるようになったからではないだろうか――そんなふうに強く感じるのは、僕が皮肉屋だからだろうか。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:トランプ税制法、当面の債務危機回避でも将来的

ビジネス

アングル:ECBフォーラム、中銀の政策遂行阻む問題

ビジネス

バークレイズ、ブレント原油価格予測を上方修正 今年

ビジネス

BRICS、保証基金設立発表へ 加盟国への投資促進
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプvsイラン
特集:トランプvsイラン
2025年7月 8日号(7/ 1発売)

「平和主義者」のはずの大統領がなぜ? 核施設への電撃攻撃で中東と世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギに挑んだヘビの末路
  • 2
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 3
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコに1400万人が注目
  • 4
    【クイズ】「宗教を捨てる人」が最も多い宗教はどれ?
  • 5
    後ろの川に...婚約成立シーンを記録したカップルの幸…
  • 6
    ワニに襲われた直後の「現場映像」に緊張走る...捜索…
  • 7
    職場でのいじめ・パワハラで自死に追いやられた21歳…
  • 8
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた…
  • 9
    吉野家がぶちあげた「ラーメンで世界一」は茨の道だ…
  • 10
    為末大×TAKUMI──2人のプロが語る「スポーツとお金」 …
  • 1
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で大爆発「沈みゆく姿」を捉えた映像が話題に
  • 2
    ワニに襲われた男性の「最期の姿」...捜索隊が捉えた発見の瞬間とは
  • 3
    ディズニー・クルーズラインで「子供が海に転落」...父親も飛び込み大惨事に、一体何が起きたのか?
  • 4
    突然ワニに襲われ、水中へ...男性が突いた「ワニの急…
  • 5
    イランを奇襲した米B2ステルス機の謎...搭乗した専門…
  • 6
    「飲み込めると思った...」自分の10倍サイズのウサギ…
  • 7
    夜道を「ニワトリが歩いている?」近付いて撮影して…
  • 8
    仕事ができる人の話の聞き方。3位は「メモをとる」。…
  • 9
    「やらかした顔」がすべてを物語る...反省中のワンコ…
  • 10
    砂浜で見かけても、絶対に触らないで! 覚えておくべ…
  • 1
    日本の「プラごみ」で揚げる豆腐が、重大な健康被害と環境汚染を引き起こしている
  • 2
    「コーヒーを吹き出すかと...」ディズニーランドの朝食が「高額すぎる」とSNSで大炎上、その「衝撃の値段」とは?
  • 3
    「あまりに愚か...」国立公園で注意を無視して「予測不能な大型動物」に近づく幼児連れ 「ショッキング」と映像が話題に
  • 4
    妊娠8カ月の女性を襲ったワニ...妊婦が消えた川辺の…
  • 5
    庭にクマ出没、固唾を呑んで見守る家主、そして次の…
  • 6
    10歳少女がサメに襲われ、手をほぼ食いちぎられる事…
  • 7
    JA・卸売業者が黒幕説は「完全な誤解」...進次郎の「…
  • 8
    「ママ...!」2カ月ぶりの再会に駆け寄る13歳ラブラ…
  • 9
    気温40℃、空港の「暑さ」も原因に?...元パイロット…
  • 10
    燃え盛るロシアの「黒海艦隊」...ウクライナの攻撃で…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story