コラム

郵政民営化で届かなくなった手紙

2014年02月07日(金)15時44分

 僕はその月曜日を、不安と苛立ちが入り混じった気分で過ごした。金曜日に届くはずだった銀行からの重要な書類が、金曜日にも土曜日も届かなかったからだ。

 週末の間はあえて、この件について考え過ぎないようにしていた。月曜に届けば間に合うから大丈夫......。でも、その郵便物は月曜日になっても配達されなかった。

 こうなると、その先に待ち受けるまずい状況について考えざるを得ない。僕はまず、現状を確認するためにいくつか電話をかけた。書類にはある個人情報が含まれており、それが届かないと銀行口座の情報をリセットしなければならなくなる。その手続きには1週間ほどかかるうえに、パスワード変更も必要だ。そのうえ、僕は重要な支払い期限に間に合わないせいで、100ポンドの罰金を科せられてしまう......。

 郵便が滞りなく届くという簡単な話がなぜ、これほどややこしい問題になってしまったのだろう。僕の人生の大半において、郵便とはシンプルなものだった。第一種郵便の場合、イギリス国内のどこのポストであれ、夕方5時までに投函すれば90%以上の確率で翌日に配達される。残りの10%も、その翌日には届く。割安な第二種郵便はたいてい2日必要で、遅くとも3営業日以内には必ず配達されたものだ。

 結局、木曜日に第一種郵便で投函された銀行からの手紙が僕の手元に届いたのは火曜日だった。小さな遅れに聞こえるかもしれないが、僕にとってはものすごいストレスだ。しかも悲しいことに、こうしたケースは増え続けている。

■意図的にサービス水準を引き下げたという見方も

 イギリスの経済や国民生活は少なくとも部分的には郵便システムに依存しており、郵便物は4営業日以内に配達されるものという前提の上に成り立っている。だが過去1年間を振り返ると、配達の遅延のせいで予定が狂ったことが何度もある。

 僕は以前、DVDの定期レンタルサービスを利用していた。借り出しと返却は郵送で行うのだが、配達が遅れたり到着しなかったりで、結局退会した。郵便局の都合に振り回されるより、リサイクルショップで中古DVDを買うほうが得だと判断したからだ。おかげで新作を見る機会は減ったが、週末に見ようと思っていたDVDが月曜日に届くという困惑を味わうことはなくなった。

 イギリスの郵政事業を担ってきたロイヤル・メールが昨年民営化されると、国民はサービスが低下すると予想した。国営時代には国内の全域で、日曜日を除く毎日配達が行われた。だが民営化されたロイヤル・メールはいずれ、地方での配達頻度を減らすなどのコスト削減策を進めるだろう。各地域のセンターまでは毎日配達するが、後は各自がセンターまで取りに来るか、週2回の配達を待つ方式になるかもしれない、と。

 実際には、イギリス政府は民営化に移行する前に大胆なコスト削減を進めた。僕の子供時代には、郵便は1日2回届くものだった。1度目は出勤前の早朝に、2度目は午後に。それが今では配達は午前中の1度きり。大半の労働者にとって、「翌日配達」はすでに「翌日の夕方」の意味になってしまっている。

 ロイヤル・メールはこの数年、大規模な「合理化」の波に飲み込まれてきた。自動化が進み、より弾力的な勤務形態が導入され、少ない数の大規模な配送センターに業務が統合された(労働者にとってはポストが減り、労働条件が悪化したわけだ)。2年前には、切手代が第一種郵便で30%、第二種郵便で39%も値上がりした。 

 国営時代のロイヤル・メールは民営化に備えて、たくさんの「汚れ仕事」を担っていたのだろう。民営化後にコスト削減や値上げ、利幅確保のためのサービス低下などを行って世論の反発を買うような会社では、投資家に敬遠されるだろうから。

 イギリスでは、ロイヤル・メールの幹部たちが民営化前に意図的にサービス水準を引き下げたという説が、広く信じられている(もちろん証明はできないが)。そうしておけば、民営化後も以前と同じ水準を維持していると主張できるからだ。僕には真偽のほどは分からないが、今のイギリスにはこの手の皮肉な見方が広がっている。

■民営化は金持ち有権者への賄賂?

 首を長くして待っていた銀行からの書類が火曜日に届いた時点で(まさにギリギリのタイミングだった)、僕の気持ちは収まるはずだった。ところが翌日、知人の女性がロイヤル・メールのIPO(新規株式公開)で400ポンド儲けた話を聞いてしまった。新規公募で購入した株をすぐに売って利益を得たのだという。

 IPO初日に株価が40%近く跳ね上がったのは、事前の株価評価が低すぎたせいとしか言いようがない。どう見ても証券会社の怠慢だが、新株発行で多額の手数料を受け取った彼らが、その後何らかの責任を取ったとは思えない。

 郵政民営化を行ったのは、株式公開によって資金を集め、それを元手にビジネスを発展させるためだった。実際、その狙いは当たっている。電子メールの普及による郵便物の減少を恐れる声もあったが、深刻なダメージにはなっていない。アマゾン・ドットコムのようなネット通販の台頭で、より利益率の高い配送ビジネスが拡大しているからだ。

 そうなると民営化はむしろ、「自由な市場競争こそ善である」というイデオロギーに駆り立てられた保守党の情熱の産物であり、株を買う財力がある有権者への賄賂に思えてくる。

 有権者の1人として、僕は怒りを感じる。その怒りは、切手代が値上がりし、配達に5日かかると覚悟しなければならないことへの怒りだけではないように思う。

プロフィール

コリン・ジョイス

フリージャーナリスト。1970年、イギリス生まれ。92年に来日し、神戸と東京で暮らす。ニューズウィーク日本版記者、英デイリー・テレグラフ紙東京支局長を経て、フリーに。日本、ニューヨークでの滞在を経て2010年、16年ぶりに故郷イングランドに帰国。フリーランスのジャーナリストとしてイングランドのエセックスを拠点に活動する。ビールとサッカーをこよなく愛す。著書に『「ニッポン社会」入門――英国人記者の抱腹レポート』(NHK生活人新書)、『新「ニッポン社会」入門--英国人、日本で再び発見する』(三賢社)、『マインド・ザ・ギャップ! 日本とイギリスの〈すきま〉』(NHK出版新書)、『なぜオックスフォードが世界一の大学なのか』(三賢社)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米イラン協議、相違残しいったん終了 再開時期は明示

ワールド

アングル:中南米系の共和党支持に動揺の兆し、民主党

ワールド

アングル:結婚式前に手っ取り早くやせたい インドで

ワールド

米軍、ホルムズ海峡の機雷除去へ「条件整備」開始 米
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの大誤算
特集:トランプの大誤算
2026年4月14日号(4/ 7発売)

国民向け演説は「フェイク」の繰り返し。泥沼化するイラン攻撃の出口は見えない

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    健康を守るはずのサプリが癌細胞を助ける? 思いがけない副作用に研究者が警鐘
  • 2
    中国がイラン戦争一時停戦の裏で大笑い...一時停戦によって中国が「最大の勝者」となる理由
  • 3
    中国が恐れる「経済ドミノ」
  • 4
    新しいアメリカンドリームは「国外移住」...5人に1人…
  • 5
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 6
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 7
    革命国家イラン、世襲への転落が招く「静かな崩壊」
  • 8
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国…
  • 9
    【銘柄】イラン情勢で一躍脚光の「NEC」 防衛・宇宙…
  • 10
    【銘柄】イラン情勢で「任天堂」が急落 不確実な相…
  • 1
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 2
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文章」...歴史を塗り替えかねない、その内容とは?
  • 3
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収される...潜水艦の重要ルートで一体何をしていた?
  • 4
    韓国、生理用品無償支給を7月から開始 靴の中敷きで…
  • 5
    「南東部と東部の前線で480平方キロ奪還」とウクライ…
  • 6
    「地獄を見る」のは米国か──イラン地上侵攻なら革命…
  • 7
    撃墜された米国機から財布やID回収か、イラン側が拡…
  • 8
    ポケモンで遊ぶと脳に「専用の領域」ができる? ポ…
  • 9
    停戦合意後もレバノン猛攻を続けるイスラエル、「国…
  • 10
    【銘柄】イラン情勢で一躍脚光の「NEC」 防衛・宇宙…
  • 1
    温暖化で増えた? サンマやサケ減少の裏で激増する「安価で栄養価の高い魚」の正体
  • 2
    米特殊部隊、米空軍兵士救出「大成功」に残る多くの疑問
  • 3
    「根底にあるのは怒り」...日本の「3Dプリンター住宅」企業が救う、ウクライナの未来
  • 4
    古代のパピルスから新たに見つかった「2500年前の文…
  • 5
    「ノーと言えるスペイン」の背景に国防意識...次期ス…
  • 6
    バリ島沖の要衝で「中国製水中ドローン」が回収され…
  • 7
    キャサリン皇太子妃、ナイジェリア大統領夫妻出迎え…
  • 8
    数時間以内に死に至ることも...若者の間で集団感染が…
  • 9
    米軍も防ぎきれないイランのドローン攻撃──イラン製…
  • 10
    メーガン妃、娘リリベット王女との「お手伝い姿」公…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story