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ヴィズマーラ恵子|イタリア

イタリア司法改革が問う民主主義の分岐点

Shutterstock- Bakhtiar Zein

憲法を逆さまに掲げた野党の抗議が象徴する民主主義の危機

憲法を逆さまに掲げる抗議の意味

2025年7月22日(水)、イタリア上院で「司法キャリア分離法案(ddl sulla separazione delle carriere)」が可決された瞬間、野党民主党(Partito Democratico, PD)の議員たちは前代未聞の抗議行動に出た。
彼らは議会本会議場でイタリア憲法のテキストを逆さまに掲げ、今回の法案可決に強烈な反発の意を示したのである。この象徴的な行為は、単なる政治的パフォーマンスを超えて、イタリア共和国の根幹を成す司法制度への深刻な懸念を表現したものであった。

憲法を逆さまに掲げるという行為は、まさに「憲法の精神が転倒されている」「司法の独立性が危機に瀕している」という野党の危機感を視覚化したものである。この劇的な抗議の背景には、戦後イタリアの民主主義体制の根幹に関わる深刻な対立が存在している。それは、司法の独立性と政治権力の関係、そして民主主義における権力分立の原則をめぐる根本的な価値観の相違である。

司法キャリア分離法案の詳細:制度改革か権力掌握か

今回可決された司法キャリア分離法案は、イタリアの司法制度に抜本的な変革をもたらす内容を含んでいる。その核心は三つの柱から構成されている。

第一に、裁判官(giudicante)と検察官(requirente)のキャリアの完全な分離である。現行制度では、両者は同じ「最高司法評議会(Consiglio Superiore della Magistratura, CSM)」の下で統一的に管理されており、キャリアの交差や相互の移動も可能であった。しかし新法案では、両者を明確に分離し、それぞれが独立したキャリアパスを歩むことになる。

第二に、現在のCSMを裁判官用と検察官用の二つの独立した機関に分割することである。これにより、人事、昇進、配置などの管理が完全に分離され、相互の干渉を排除することが目指されている。

第三に、新たな懲戒機関として「高等懲戒裁判所(Alta Corte disciplinare)」を設立し、裁判官と検察官の懲戒処分を専門的に担当させることである。これにより、懲戒プロセスの透明性と公正性の向上が期待されている。

メローニ政権は、この改革を「司法の独立性強化と効率性向上」を目的とした近代化政策として位置づけている。しかし野党や司法関係者の多くは、これを「司法の政治化」を促進する危険な政策として激しく批判している。この対立の根源には、イタリア特有の政治と司法の複雑な歴史的関係が存在している。


日本の司法制度との比較:異なる独立性の確保システム

イタリアの司法制度改革を理解するためには、日本の制度との比較が有効である。両国の司法キャリア制度には根本的な違いが存在し、それが独立性確保のアプローチの違いにも反映されている。

日本では、司法試験合格者は約1年間の司法修習を経て、裁判官、検察官、弁護士のいずれかの道に進む。裁判官と検察官は共に法務省の管轄下にあるが、裁判官は最高裁判所の人事権の下で独立性が確保されている。検察官は法務省の外局である検察庁に所属し、行政機関としての性格を持ちながらも、捜査・起訴の独立性が法的に保障されている。

重要な点は、日本では裁判官と検察官のキャリアが最初から明確に分離されていることである。司法修習修了後は、通常それぞれの職務に特化し、キャリアの途中での転身は極めて稀である。また、懲戒制度については、最高裁判所や法務省内部の規律に依拠しており、独立した懲戒機関は存在しない。

一方、イタリアの現行制度では、裁判官と検察官は同じCSMという独立機関に所属し、統一的な管理を受けている。これは戦後イタリアが選択した「司法の完全な独立性」を確保するシステムであり、行政権からの分離を徹底することを目的としていた。CSMは憲法上の機関として設置され、司法官の任命、昇進、配置、懲戒のすべてを担当している。

この違いは、両国の政治史と密接に関連している。日本では明治以来の官僚制度の伝統の中で司法制度が発展したが、イタリアでは戦後民主主義の確立過程で、ファシズム期の司法の政治従属への反省から、極めて強固な司法独立システムが構築された。今回の改革は、この戦後システムの根本的な変更を意味している。


メローニ政権の改革推進背景

汚職スキャンダルと検察権への批判

メローニ政権が今回の司法改革を強力に推進する背景には、複数の要因が絡み合っている。最も重要な要因の一つは、近年明らかになった司法界内部の汚職スキャンダルである。

特に決定的だったのは、元司法人協会(ANM)会長ルカ・パラマラ氏の収賄・影響力取引事件である。この事件により、CSM内部に「任命の談合」や「派閥支配」が蔓延している実態が白日の下に晒された。パラマラ事件は、司法官の人事が実力や適性ではなく、政治的なコネクションや派閥の力学によって左右されている現実を露呈した。

これらのスキャンダルは、国民の司法制度に対する信頼を大きく損なった。世論調査では、司法制度に対する不信が高まり、「CSM内部の腐敗構造を断ち切るべき」という声が強まった。メローニ政権は、この世論の後押しを受けて改革を断行したのである。

また、中道右派政治家にとって長年の懸案であった「検察権の暴走」問題も重要な推進要因である。イタリアでは1990年代の「清潔な手(Mani Pulite)」作戦以来、検察官が政治汚職摘発において強大な権限を行使してきた。この過程で多くの政治家が捜査対象となり、時として過剰な捜査権力の行使が批判されてきた。

特にベルルスコーニ元首相をはじめとする中道右派政治家は、検察による「政治的迫害」を長年主張してきた。検察官が捜査から判断まで一連のプロセスに関与する現行システムが、政治への過度な介入を可能にしているとの批判があった。今回の改革は、こうした「検察権の暴走」に歯止めをかける意図も含んでいる。

さらに、メローニ政権は憲法改正手続きを通じて改革を実現する強い政治的意志を示している。過去にも同様の改革案は提出されてきたが、政治的な妥協や反対勢力の抵抗により実現には至らなかった。しかし今回は、メローニ首相の強力なリーダーシップと与党の結束により、初めて法案可決に漕ぎ着けたのである。


野党・反対勢力の深刻な懸念:民主主義の後退への危機感

野党や司法関係者が今回の改革に激しく反対する理由は、単なる政治的対立を超えた深刻な危機感に基づいている。彼らの懸念は主に四つの観点から構成されている。

第一に、検察権の政治利用に対する懸念である。現行制度では、検察官はCSMという独立機関に所属することで、政府からの独立性が確保されている。しかし改革後は、検察官が独立した機関に所属することになり、逆説的に内閣(司法省)との距離が近くなる可能性がある。これにより、政府による検察への政治的影響が強まり、政権に不都合な捜査が阻害される恐れがあるとの指摘がある。

第二に、裁判官と検察官の相互牽制機能の喪失である。現行制度では、両者が同じCSMで人事管理を受けることで、相互のチェック機能が働いている。この仕組みが司法全体の均衡を保つ重要な役割を果たしてきた。キャリア分離により、この相互抑制システムが機能しなくなり、権力の濫用を防ぐメカニズムが弱体化する危険性が指摘されている。

第三に、司法の政治化の進行に対する懸念である。検察の独立性が削がれることで、政府が検察の動向を操作しやすくなり、政治家に不都合な捜査が減少するリスクがある。これは、1990年代の「清潔な手」作戦以来築かれてきた、政治汚職に対する司法の監視機能を著しく弱体化させる可能性がある。

第四に、改革の実効性への根本的な疑問である。野党や専門家の中には、「形式的にCSMを分割しても、実際の権力構造や派閥の動きは変わらない」として、この改革が根本的な問題解決にはならないとの見方がある。むしろ、制度を複雑化させることで、透明性や説明責任が低下する可能性も指摘されている。

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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