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ドイツの街角から

シュピッツナーゲル典子|ドイツ

コロナ禍2年目ドイツの冬 ホロコースト生還者に学ぶ苦境を乗り越える術とは

収容所の監視生活の中では、同じ境遇の人たちとの接触もなく、友人もいなかった。そもそも話すことは許されなかったし、別の収容所へ送り出され(殺害される)収容者もいて、飢えや寒さ、強制労働や孤独感、そして恐怖にさいなまれていた。1日が終わると、談話で気分転換などという気力さえなくなっていた。

そんな中、マルゴットさんは顔見知りだったアドルフ・フリードレンダーさんと収容所内で再会した。11歳年上のアドルフさんも家族をナチスの迫害で失っていた。同じ境遇の二人は後に結婚した。

「アドルフに恋したわけではありません。お互いを尊重することが根底にあった結婚でした。当時の環境では人を愛することができませんでした。私たち夫婦は、同じ思い出と痛みがベースとなって成立していました」

テレージエンシュタット強制収容所から生還した二人は、アドルフさんの親戚がいる米国へ渡った。

「夫をとても敬愛していました。彼はニューヨークのユダヤ文化会館の館長を28年務め、現地で尊敬されていました。二人で旅にもよく出ました。ごく普通の生活を求めて過ごしていましたが、どうしてもユダヤ人として体験したホロコーストの精神的な重荷を下ろすことは出来ません」

88歳でベルリンへ戻る

夫の死後(1997年)、マルゴットさんは2010年に米国生活を後にして、生まれ故郷ベルリンへ戻った。 88歳だった彼女にそうさせたのは何だったのだろうか。

「私は色々な面でラッキーでした。この幸運に感謝するしかありません。こうして生還できたのですから。年金生活に入ると、もう人生は終わりと思う人も多いでしょうが、ありがたいことに私は膨大なエネルギーに満ちていて、生きている限り生き証人として活動を続けたいと思います。

米国生活当時は、ユダヤ人社会でもホロコーストのことは誰一人として口にしませんでした。この悲劇の重荷を背負いながら、皆生活していました」

睡眠時間が極端に短く、ナチスの迫害は頭から離れないと明かすマルゴットさん。「なぜこんなことになったのか、何度も何度も考えてしまいます。魂と身体から経験を切り離すことはできないのです。全てを忘れることはできません」

ミッション「悲劇を忘れないために若者に語り伝える」

Profile

著者プロフィール
シュピッツナーゲル典子

ドイツ在住。国際ジャーナリスト協会会員。執筆テーマはビジネス、社会問題、医療、書籍業界、観光など。市場調査やコーディネートガイドとしても活動中。欧州住まいは人生の半分以上になった。夫の海外派遣で4年間家族と滞在したチェコ・プラハでは、コンサートとオベラに明け暮れた。長年ドイツ社会にどっぷり浸かっているためか、ドイツ人の視点で日本を観察しがち。一市民としての目線で見える日常をお伝えします。

Twitter: @spnoriko

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