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イタリア事情斜め読み

ヴィズマーラ恵子|イタリア

極左と極右、違法占拠が映す現代イタリア

Tgcom24 YouTube公式チャンネルより

| ミラノの朝、歴史の転換点

2025年8月21日の朝、ミラノのヴァトー通り7番地に警察の部隊が展開し、31年間にわたって続いた占拠の幕が静かに降ろされた。レオンカヴァッロ社会センターの強制退去である。この瞬間は単に一つの建物が行政によって回収されたという次元を超え、イタリアの都市における政治・文化的風景の根本的な変化を象徴する歴史的転換点となった。

133回の退去通告の延期を経て、ついに実現されたこの措置は、イタリア社会が長年にわたって抱え続けてきた「もう一つの都市空間」への寛容の終わりを告げている。レオンカヴァッロは1975年に最初の拠点が開設され、1994年に現在の建物へ移転して以降、法的根拠を持たない自主管理型の社会センターとして機能してきた。そこに集っていたのは、左翼的・リベラルな思想を持つ若者、アーティスト、政治活動家、そして移民やホームレス、学生、DIYカルチャーやサブカルチャーに共鳴する人々だった。彼らは単なる「不法占拠者」ではなく、「もう一つの都市」を築こうと試みる実験者たちだった。

|「もう一つの都市」の実験場

レオンカヴァッロが果たしてきた多層的機能

この場所では実に多彩な活動が繰り広げられていた。ライブ音楽、演劇、展覧会、映画上映、政治集会、移民支援、フードバンク、語学教室、法律相談といった文化的・社会的機能が重層的に存在し、夜になればバーやクラブとして若者たちの居場所となり、都市の脈動の一部を担っていた。さらに注目すべきは、移民の子どもや労働者のための補習授業やワークショップも開催される、オルタナティブ教育の拠点でもあったことだ。これらの活動は、伝統的な福祉や文化制度からこぼれ落ちた人々にとって、代替的な公共空間を提供する貴重な機能を果たしていた。

レオンカヴァッロの最も特徴的な側面は、その包摂性にあった。政治活動家、アーティスト、移民、ホームレス、学生といった多様な背景を持つ人々が一つ屋根の下で共存し、相互支援のネットワークを築いていた。反資本主義、反ファシズム、反グローバリズム、移民支援、環境保護といった政治的主張を掲げながらも、その活動の中核にあったのは、創造的な文化活動と実践的な社会支援であった。

多くのミュージシャンがここからキャリアを始め、演劇グループが作品を発表し、視覚アーティストが表現の場を見つけた。同時に、法的問題を抱えた移民への支援、ホームレスへの食事提供、語学教室の運営、医療相談など、公的サービスが十分に届かない層への具体的な支援も継続的に行われていた。これらの活動は、福祉国家の限界を補完する「民衆の自治」の実践であり、都市における公共性の新たな形を模索する試みでもあった。

| イタリア占拠文化の象徴としてのレオンカヴァッロ

レオンカヴァッロは、イタリアにおける「占拠文化」や「自主管理社会センター運動(CSOA)」の象徴的存在として位置づけられてきた。冷戦終結後の不安定な社会状況の中で、国家と資本の論理に対抗し、市民自らの手で空間を運営しようとする動きは、1980年代から90年代にかけてイタリア全国に広がった社会現象だった。

中でもミラノのレオンカヴァッロは、その規模と継続性、そして文化的影響力において極めて象徴的な地位を占めていた。
この運動の背景には、戦後イタリア社会の特殊性がある。第二次世界大戦後、イタリアではファシズムへの反動から強い左派文化と社会運動が育った。1968年以降の学生運動、労働運動、フェミニズム運動が都市空間に進出し、空きビルの占拠が政治実践の一部となった。特に1970年代から80年代の「鉛の時代」では、国家に対抗する市民の自治拠点としての意味合いが強まった。

レオンカヴァッロのような占拠型社会センターは、単なる違法行為ではなく、制度から疎外された人々が自らの存在と権利を都市空間に刻もうとする行為であり、同時にその都市が持つ可能性を拡張しようとする試みでもあった。彼らが追求していたのは、異なる価値観や生き方が共存できる都市空間、創造性と連帯を基盤とした共同体のあり方だった。


| メローニ政権による「法の支配」の実現

しかし、その「象徴」は、メローニ政権の眼には「法の支配を揺るがす自由地帯」として映った。実際、この建物は2003年から撤去手続きが進められ、これまで130回以上も延期されてきた複雑な経緯があった。その背景には、住民からの一定の支持、文化的価値への評価、自治体レベルでの政治的配慮などが複合的に作用していたが、現政権はそうした曖昧な均衡状態を一掃することを選択した。

メローニ首相は今回の強制退去について明確な政治的メッセージを発した。

「法治国家において、法的根拠のない"フリーゾーン"は存在し得ない。違法占拠は治安や市民、ルールを守る地域社会にとって害である。政府は常にどこでも法の尊重を徹底し、それがすべての人の権利を守るための不可欠な条件である」

と述べ、法の執行こそがすべての人の権利を守る不可欠な条件であると強調した。その語調には、単なる法令順守を超えた、イデオロギー的・文化的なメッセージが込められていることは明らかだった。

この出来事に対して、左派系活動家たちは激しく反発し、「都市のあり方」「文化の多様性」「貧困層への連帯」の破壊として捉え、2025年9月6日に全国規模の抗議デモを予定している。「歴史的な公共空間を奪うな」「社会的弱者への攻撃だ」との声も多く上がっている。だが一方で、SNS上では「違法行為を"権利"にすり替えるな」「法の前の平等を求める」との批判が高まっており、イタリア社会の深刻な分断があらわになっている。

| カーサパウンドという「鏡」

ローマに根ざす極右の占拠拠点

レオンカヴァッロの強制退去をめぐる議論の中で、イタリア社会の政治的矛盾を最も鋭く照らし出しているのが、ローマを本拠とするカーサパウンド(CasaPound Italia)の存在である。2003年12月26日にローマのエスクイリーノ地区でナポレオン3世通り8番地の元政府庁舎を占拠することから始まったこの団体は、明確にネオファシズム思想を掲げ、イタリアの「第三の道」的政治を標榜する極右運動の象徴的存在だ。

その名称は、反ユダヤ的発言でも知られ、ムッソリーニのイタリア社会共和国を支持したアメリカの詩人エズラ・パウンドに由来している。パウンドの「カントス」における反高利貸しの思想、資本主義と共産主義の両方を批判する経済思想、そしてファシズムへの支持が、この運動の理念的基盤となっている。組織のシンボルとして選ばれたのは、八角形の甲羅を持つ様式化された亀であり、これもまたファシズムの美学的伝統を継承したものだ。

カーサパウンドの指導者ジャンルカ・イアンノーネは、「我々はファシストだが、第三千年紀のファシストだ」と公言している。彼らの主張は排外的かつナショナリズムに根差しており、「イタリア人ファースト」を掲げて住宅政策や社会支援活動を展開してきた。しかし重要なのは、この活動がすべて「イタリア人に限る」という排他的な条件の下で行われていることだ。

| カーサパウンドの組織構造と活動内容

カーサパウンドの活動内容は表面的には社会的で、低所得層向けの炊き出し、教育・文化プログラム(読書会・スポーツクラブ)、さらには不法占拠を通じた住宅提供などを行っている。2010年時点で本拠地には23世帯82人が居住していたとされる。しかし、これらの支援はすべて「イタリア人に限る」とし、外国人排斥の政治的布石となっている点で、左派の社会センターとは根本的に異なる性格を持っている。

組織としてのカーサパウンドは、複数の関連団体を傘下に持つ。学生組織「ブロッコ・ストゥデンテスコ」、音楽グループ「ゼータゼロアルファ」、劇団「テアトロ・ノン・コンフォルメ F.T.マリネッティ」、ウェブラジオ「ラディオバンディエラネーラ」などがそれだ。さらに2013年には機関紙「イル・プリマート・ナツィオナーレ」を創刊し、一時は紙版の月刊誌も発行していた。

政治的には、2008年に政治運動として組織化され、2013年からは独自の候補者リストで選挙に参加するようになった。ボルツァーノ市議会選挙では6%を超える得票を記録し、3名の市議を当選させるなど、一定の政治的影響力を持つに至った。しかし2019年6月、代表のイアンノーネは政治政党としての活動を終了し、再び社会運動としての活動に専念すると発表した。

国際的なネオファシストネットワーク

カーサパウンドの危険性は、その国際的な連携にも現れている。ウクライナでは極右政党「プラヴィー・セクトル」や軍事組織「アゾフ大隊」、国際ネオナチ組織「ミザントロピック・ディヴィジョン」、準軍事組織「カルパツカ・シーチ」との関係を持ち、一部の活動家が軍事訓練を受けているとされる。ドイツではネオナチ組織「デア・III・ヴェーク」、ギリシャでは「黄金の夜明け」、スペインでは「オガール・ソシアル」、ロシアでは「ヴォタン・ユーゲント」、ポルトガルでは「エスクード・イデンティタリオ」といった極右組織との連携が報告されている。
これらの国際的なネットワークは、単なる思想的連帯を超えて、具体的な人材交流や戦術共有を行っているとされる。2023年7月の反極端主義組織「グローバル・プロジェクト・アゲインスト・ヘイト・アンド・エクストリーミズム」の報告では、カーサパウンドはネオナチ、反移民、反LGBTQ+、反ロマの立場を明確に持つ組織として分類されている。

| ダブルスタンダードの核心

選択的法執行

最も重要な事実は、カーサパウンドもまた20年以上にわたってローマ市内の建物を無断占拠して活動を行っているということだ。つまり、「違法占拠」という行為は、レオンカヴァッロとカーサパウンドの両者に共通している。しかし、後者は20年以上にわたって実質的に放置され、強制退去も法的追及も一切受けていない。コルテ・デイ・コンティ(会計検査院)の試算によれば、カーサパウンドの占拠によって国家が被った損害は460万ユーロ(約7.9億円)に上るとされているにもかかわらず、この「違法行為」に対して現政権が取っている態度は、レオンカヴァッロに対するそれとは明らかに異なっている。
さらに不可解なのは、イタリア憲法第12付則において「ファシスト政党の再建」を明確に禁じているにもかかわらず、カーサパウンドは「政党ではない」「文化運動である」として法の目をかいくぐりながら活動を継続している点である。

彼らは一時期、地方選挙や欧州議会選挙にも候補者を擁立していたが、それでも「政治政党」としての法的制約を受けることなく活動を続けている。
メローニ政権とカーサパウンドとの関係は表面的にはあいまいに保たれているが、思想的には極めて近い立場にあることは否定できない。2015年にはメローニ率いる「イタリアの同胞」と選挙協力の話も浮上した経緯もある。事実、今回のレオンカヴァッロ強制退去の直後からSNS上では「なぜカーサパウンドには同様の処置がされないのか?」という批判が殺到し、メローニ首相の投稿は左派系市民からの怒りに晒されている。

| 暴力と違法行為の記録

カーサパウンドの危険性は、その思想だけでなく、実際の暴力行為にも現れている。2011年から2016年2月までの間に、メンバーや支持者のうち20名が逮捕され、359名が告発されている。その中には、創設者のイアンノーネも含まれており、2009年には私服警官への暴行で4年の有罪判決を受けている(一審)。
最も深刻な事件は、2011年12月13日にフィレンツェで発生した人種差別的テロ事件だ。カーサパウンドの協力者ジャンルカ・カッセリが、セネガル系の露天商2名を射殺し、1名に重傷を負わせた後、自殺した。この事件は、カーサパウンドの思想がいかに危険な結果を招きうるかを示す象徴的な出来事となった。

さらに、2018年12月にはバーリの検察がカーサパウンドの地方支部を「解散したファシスト政党の再建」「ファシスト的示威行動」「反ファシスト・反人種差別デモ参加者への暴行」の容疑で閉鎖した事例もある。この際、反ファシストデモの参加者3名が負傷している。

| 法の選択的適用という政治的意思

このような状況にあって、「法の支配」が果たして中立的に適用されているのかという疑問が生じるのは当然だろう。国家が「どの占拠は排除し、どの占拠は黙認するか」という選別を行うことは、もはや法の問題ではなく、明確に政治の意思決定の問題である。法の適用における選択性は、権力の性格を最も端的に示すものだ。

ローマの元市長ヴァージニア・ラッジ氏も「政府は国有財産であるカーサパウンドの建物を退去させるべきだ。真の反ファシズムは行動で示すものだ」と政府に迫っているが、現在まで具体的な動きは見られない。これは、現政権の政治的優先順位を明確に示している。

都市における空間の管理、文化の容認、公共性の定義 これらすべては、制度だけでなく政治的・社会的選好に左右される。レオンカヴァッロが果たしてきた役割は、単なる福祉や文化の提供ではなく、「もう一つの都市のあり方」を示す社会実験だった。そこでは、異なる背景を持つ人々が共存し、相互扶助のネットワークを築き、創造的な文化活動を通じて都市生活の可能性を拡張しようとしていた。

一方でカーサパウンドは、その活動の表面上に社会支援を掲げながらも、その裏には排他的なナショナリズムと、国家権力の暗黙的庇護が透けて見える。彼らの「社会活動」は、イタリア人を特権化し、移民や外国人を排除することを前提としており、多様性を基盤とした都市共同体の理念とは真っ向から対立する。

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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