
イタリア事情斜め読み
イタリア「妊婦スリ」法改正の現実 - 制度は変わったが街角の安全は?

| 2年前の警鐘から現在へ
2023年3月、私はこの『イタリア事情斜め読み』で、「イタリアはスリ天国、逮捕されてもすぐ釈放され刑務所で服役しないワケ」という妊婦スリの問題について書いた。
記事は広く読まれ、「妊婦を理由に刑務所に行かない常習犯」の存在が、イタリア社会にどのような波紋を広げているかを記した。あれから2年が経った今、状況は変わりつつある。いや、変えざるを得なかったのだ。
当時のイタリアには、妊娠中または1歳未満の子を持つ母親に対して、自動的に刑務所収監を猶予する法律が存在していた。これは一見すると人道的に思える制度だった。母となる女性を守り、生まれてくる命を大切にするという、社会の温かさを象徴するかのような法律である。だが、現実には"妊娠のたびに刑を逃れる"ことが可能な法の抜け穴となっていた。
そして実際に、その抜け道を悪用する例が多発していた。
| 妊娠を「盾」にした犯罪の実態
スリ、詐欺、窃盗といった軽犯罪の常習犯たちの一部は、まるで妊娠を"戦略"として使っているようだった。彼女たちは法の保護を受けながら、同時にその保護の陰で他人の財産を奪い続ける。妊娠という生物学的現象が、犯罪を隠蔽する盾として機能していたのである。社会の怒りは当然だった。特に公共交通機関を利用する高齢者や観光客が被害に遭うたび、「なぜ捕まえても刑務所に行かないのか」という疑問が繰り返された。
ローマの地下鉄で財布を盗まれた高齢男性は言った。「あの女性は妊娠していたから、警察は何もできないと言われた。では私の年金は誰が返してくれるのか」。
ミラノの駅で観光客がスマートフォンを奪われた事件でも、加害者の女性が妊娠を理由に釈放された。被害者たちの怒りと困惑は、やがて社会全体の議論へと発展し、法改正への声となって結実していく。
| 刑法第146条改正 - 「自動免除」から「個別審査」へ
こうした声が重なり合い、2024年から2025年にかけて、イタリア政府は刑法第146条の運用を抜本的に見直すことになった。この改正こそが、「妊婦スリ」問題における最も重要な転換点である。
従来のシステムは極めてシンプルだった。妊娠中または1歳未満の子を持つ母親であれば、その事実だけで自動的に刑務所収監が猶予される。過去の犯歴がどれほど重くても、現在の犯罪がどれほど悪質でも、妊娠が確認されれば例外なく適用される一律免除のシステムだった。この「自動性」こそが問題の核心だった。
しかし新しい制度では、すべてのケースで裁判所が個別に審査することになった。妊娠は依然として考慮要素ではあるが、それ自体が免除の理由にはならない。裁判官は常習性、社会への危険度、犯罪の重大性を総合的に判断し、真に刑の執行を延期すべきかどうかを決定する。代替制裁措置として電子監視や社会奉仕なども積極的に活用される。
この改正により、「妊婦を盾にした犯罪行為」は法のもとに制限されることになった。
| 制度は変わったが現実は...
だが、制度が変わったからといって、状況がすぐに改善されたわけではない。
2025年8月現在、スリの発生件数は都市部で依然として高く、特にローマやミラノでは地下鉄や駅周辺での被害が相次いでいる。逮捕されたスリ犯の多くが過去に何度も摘発されており、中には数十年分の刑を言い渡されながら、これまで1日たりとも刑務所に入っていなかったケースもある。
最も象徴的なのは、10人の子を持ち、30年以上の刑を抱えながら自由に街を歩き続けていた女性のケースである。彼女は再逮捕されてもまた刑務所を免れた。理由は「また妊娠しているから」である。つまり制度改正が実施された今でも、裁判所の裁量によってはなお、同様の矛盾が残っているということだ。この事実は、法改正だけでは根本的な解決に至らないことを如実に示している。
| 日本人被害の深刻化 - 年間42件の衝撃
さらに見逃せないのは、2025年1月から3月までの間に、在イタリア日本国大使館に寄せられた日本人被害報告が42件にのぼったという事実である。これは単なる統計上の数字ではない。一件一件が、イタリアを訪れた日本人の貴重な思い出を台無しにし、場合によっては深刻な経済的損失をもたらした現実の被害なのである。しかもこの42件は大使館に正式に報告されたもののみであり、他にも旅券は無事だったものの、金銭やスマートフォンなどの貴重品を盗まれたケースが多数報告されている。
外務省 海外安全ホームページ:
イタリアにおいての犯罪発生状況、防犯対策
1 犯罪発生状況
2 日本人の被害事例等
3 都市別の日本人の犯罪被害事例
これらの被害は、まさに公共交通機関を中心に発生している。
ローマ地下鉄A線に乗車していた日本人観光客が、周囲に囲まれるようにもみくちゃにされた後、気づけばリュックの中から旅券や金銭が盗まれていたという事例がある。
また、駅のエレベーターで混雑に紛れてバッグから貴重品が抜き取られていたケースも報告されている。観光地周辺では、写真撮影に夢中になっている隙を狙った組織的な犯行も頻発している。
こうした現状は、スリの手口がより狡猾化し、観光客や在住日本人にとってリスクが高まっていることを意味している。妊婦や母親をめぐる法制度の議論が進む一方で、現実の街角では依然としてスリ被害が頻発しているという、あまりにも重大なギャップが存在している。この差異は、法改正だけでは社会的安心が実現しないことを浮き彫りにする。
この対策やってる人多い。私は20年数年イタリアに在住しているが、一度もスリに遭ったことがない。なぜなら、カバンのチャック部分をしっかり手で掴んで離さず、必ず3秒に1度は鞄全体を触る仕草をわざとしているから。間抜けな人を瞬で見分けるスリ犯との対決に圧勝しているpic.twitter.com/svfcgNxkMj
-- ヴィズマーラ恵子 (@vismoglie) August 9, 2025
| 根深い社会構造の問題
問題は、制度改正だけでは解決できない根深い社会構造にある。スリの温床となっているのは、しばしば特定の民族的・文化的背景を持つ女性たちだ。
ロマ系、移民、低所得層の女性たちは、教育の機会も少なく、社会から見放され、犯罪グループに取り込まれていく。彼女たちにとって、スリは生存のための手段であり、同時に組織に搾取される対象でもある。
スリとしての"役割"を与えられ、わずかな報酬と引き換えに組織の中で動かされる女性たち。なかには、妊娠を強要されるケースもあるとさえ言われている。こうした女性たちにとって、妊娠は「自らの意志による選択」ではなく、「組織による戦略的利用」の対象となっているのである。彼女たちの背後には、より大きな犯罪組織が存在し、妊娠した女性たちを「使い捨ての道具」として利用している構造がある。
このような現実を前にして、単純に「法を厳しくすればよい」という議論では限界がある。必要なのは、再犯防止と社会的統合を支援する制度の強化である。女性のための更生プログラム、就労支援、教育機会の提供、そして何より「母であること」を犯罪に利用させない支援体制が求められている。
| 新たな取り組み - 処罰から再生へ
2025年8月現在、イタリアのいくつかの州では、スリ常習者に対する新たなアプローチが始まっている。GPS監視システムによる行動管理、定期的な社会復帰プログラムへの参加義務、心理カウンセリングと職業訓練の提供などである。これらの取り組みは、単なる監視ではなく、女性たちが犯罪から抜け出すための具体的な支援を提供することを目的としている。
特に注目すべきは、ローマで設立された母子専用の更生施設である。この施設では、子どもの健全な成長と母親の更生を両立させる努力が続けられている。母親が職業訓練を受けている間、子どもたちは教育プログラムに参加し、犯罪とは無縁の環境で成長する機会を得ている。これは単なる「取り締まり」ではなく、「再出発」を支援する試みである。犯罪の温床に生まれ育った女性が、その環境から抜け出すのは容易ではない。しかし、制度がそれを支援し、社会がそれを受け入れる姿勢を持たなければ、同じ悲劇が繰り返されるだけである。
| 社会のまなざしの変化 - 加害と被害を同時に見つめる
そして重要なのは、社会のまなざしそのものの変化である。これまで「妊婦スリ」に対する社会の反応は、極端に二分されていた。ひとつは、「被害者に優しい顔をしながら、加害者には甘すぎる法制度」に対する怒り。もうひとつは、「貧困や差別に苦しむ女性たちへの同情と擁護」だ。だが今、私たちが向かうべきは、そのどちらでもない。加害と被害の構造を同時に見つめる複眼的な視点である。
被害者の痛みを軽視してはならない。同時に、加害者を生み出す社会構造にも目を向けなければならない。妊娠した女性を一方的に悪者扱いするのではなく、彼女たちがなぜそのような状況に追い込まれたのかを理解し、根本的な解決策を模索する必要がある。これは容易な道ではない。感情的になりがちな問題において、冷静で建設的な議論を維持することは困難を極める。
| 問われる司法の姿勢と市民の責任
だからこそ今、問われるべきは「制度」ではない。「その制度をどう使うか」という司法の姿勢である。法が存在しても、それを現場でどう適用するかは別問題であり、そこには価値観が、政治が、倫理が絡む。制度は人を守るためにある。しかし、制度が特定の人の手によって悪用された時、その"保護"は"加害"へと反転する。母であること、妊婦であること、それ自体は尊重されるべきだ。だが、もしそれが他人の財産を奪う行為の"盾"として使われるのであれば、社会は明確に拒否しなければならない。
法制度の改革が進む一方で、市民自身のリテラシーと自治の強化も不可欠である。大使館が発表した防犯対策を見ると、多くの被害が適切な注意で防げたであろうことがわかる。リュックに貴重品を入れて背負うだけでは不十分である。バッグを分散して持ち歩き、公共交通機関内では周囲の状況に常に警戒を払う。これは単なる"備え"ではなく、自らの安全を守るための小さな「主権」としての行動である。
旅行者や在住者一人ひとりが、自分の身を守ることの重要性を理解し、実践することで、犯罪者にとって「狙いにくい環境」を作り出すことができる。これは決して被害者に責任を転嫁するものではない。むしろ、社会全体で安全を守るための協働の一環として捉えるべきである。法制度による抑止だけでは足りず、私たち自身が生活者としての責任感を持たなければ危機を乗り越えられない。
子どもたちの未来のために 妊娠という生物的現象が、法と倫理と暴力とを交差させるこの問題において、私たちが見失ってはならないのは、「その子どもたちが将来どのような社会を生きるのか」という問いである。妊婦スリの背後には、必ず子どもがいる。生まれてくる子どもたちや、既に生まれた子どもたちが、再び同じ犯罪の連鎖の中に放り込まれるのか、それとも社会の一員として未来を選び取る機会を与えられるのか。それは私たちが今、何を選び、何を築くかにかかっている。
| 制度と意識の両輪で築く成熟社会
2025年8月の今、イタリア社会はようやくその難しい線引きに挑み始めた。妊婦であっても、母親であっても、社会の一員としての責任を求められる時代が来た。これは冷たい処罰の話ではない。むしろ、子どもたちに対して本当に「誇れる母」であるために必要な、もうひとつの"育児"なのだ。
制度の修正は第一歩にすぎない。本当の意味で社会が成熟するとは、制度を施行するだけではなく、それを支える文化と意識を育てていくことにある。誰を罰し、誰を助け、誰に責任を問うのか。イタリアは今、その問いに向き合い続けている。
法と現実の調和を図る必要性、市民の防犯意識と教育の強化の重要性、制度と市民意識の両輪が回る社会の構築。これらすべてが重要である。司法制度が母子保護と治安維持を両立させようとしても、現実社会で被害が続く限り、その努力は絵に描いた餅に終わる。
制度に頼るだけではなく、自らの行動で安全を確保する文化が不可欠だ。そして法改正が進む今だからこそ、人々の意識改革こそが次のフェーズへの鍵となる。
2025年8月の今、イタリアを訪れる、あるいは在住する日本人にとって、スリ被害は「他人事」ではない。司法制度の変革だけでなく、日常の行動においても伴走する安全文化の構築が問われている。制度と意識、ふたつが揃って初めて、社会は真に成熟へと歩みだすのである。
私たちが本当に向き合わなければならないのは、「制度が変わったこと」そのものではない。問題は、社会がどれだけ変化に応答できるかではないだろうか。制度が妊婦スリの抜け道を封じたからといって、犯罪者たちが突然更生し、市民が安心して暮らせる社会が生まれるわけではない。制度の背後には、根深い社会的排除、教育の欠如、経済的格差が存在しており、それらは簡単には解決できない複雑な問題なのだ。
しかし、変化の兆しも確実に見えている。法改正を機に始まった社会復帰支援の取り組み、市民の防犯意識の向上、そして何より「妊婦であることを犯罪の隠れ蓑にしてはならない」という社会的合意の形成。
これらすべてが相まって、ゆっくりとではあるが確実に、イタリア社会は新たな段階へと歩みを進めている。完全な解決には時間がかかるだろう。だが、その歩みを止めることなく、一歩ずつ前進していくことこそが、真の社会改革なのである。

- ヴィズマーラ恵子
イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie