コラム

オバマ回顧録は、類まれな人物の成長と冒険のサーガ

2020年12月10日(木)17時15分

ところが、ミシェルの視点では重要な出来事だったこれらの部分は、バラクの記憶ではあまりにもあっさりしていて肩透かしをくった気分だった。政治嫌いの妻が払い続けた犠牲については触れているが、それは「バラク・オバマ物語」の添え物でしかない。上院議員になったばかりだというのに、再選を目指すのではなく、大統領に立候補することを考慮するオバマにミシェルが「いつになったら十分になるの?」と非難する場面がある。オバマは「これは単なる見栄なのだろうか?」と自分を問い詰めるし、妻に対しては彼女が嫌ならやらないとも言う。けれども、最終的には妻を説得して出馬する。バラクは家族を経済的に支えないだけでなく、選挙で借金まで作ってしまう。選挙も議員生活も忙しいので、家に戻って家族に会うこともほとんどない。家族のニーズより自分の野望を優先する夫にムカムカしながらも、「この人は私が何を言ってもやりたいことをやってしまうから仕方ない」と受け入れて支えてしまう妻......。オバマ家では、たぶんこういった光景が何度も繰り返されたのだろう。そのくらい自己中心的で説得力がないと「黒人として初めてのアメリカ大統領」にはなれない、ということなのだろう。

とはいえ、オバマの文章の端々からは、妻のミシェルに対する尊敬や愛情がしっかり伝わってくる。直接褒めている文章よりも、2人の簡単なやりとりから、ミシェルが「妻」だけでなく「親友」なのだと感じられる。

また、aloofという評判にも関わらず、オバマは決して冷たい人物ではない。非常に公平だ。自分の言いなりにならない者なら側近であってもツイッターで侮辱する現役大統領とは逆に、勇気ある行動を起こした議員や閣僚、アドバイザーたちをしっかりと評価し褒めている。それには、2008年の民主党予備選で苦い戦いを繰り広げたヒラリー・クリントンや、自分とは信念が異なる共和党員も含まれる。イラク戦争で激しく批判したジョージ・W・ブッシュ元大統領についても、政権引き継ぎのときに家族ぐるみでオバマ家を暖かく迎えたことを良い思い出として書いている。しかも、ブッシュ政権時代に大統領を嫌っていたリベラルですらブッシュ元大統領に好感を抱かずにはいられないような内容だ。

こういった内容を読んだ後に本書から感じたのは、先に書いたaloofよりもsoberという表現だった。soberには「酔っていない(しらふ)」、「冷静」「地道」という意味があるが、大統領選挙、ノーベル平和賞、医療保険制度改革、ウサマ・ビンラディン殺害作戦などで大きな達成をした時でも、オバマは勝利や自分の偉大さに酔うことはない。常に第三者の視点で冷静に批評、批判し、「次」に来ることを予想して憂えている。そのsoberさは現大統領のドナルド・トランプと対極なのだが、一部の国民にとってはそれが「弱さ」に見えたのかもしれないと思った。

日本の存在の薄さ

ところで、日本についての記述だが、これだけのページ数がある本なのにたった1ページである。しかも首相については「やや風変わりなところがあるかもしれないが感じが良い人物である鳩山首相は、3年にもならない間の4人目、私の就任後では2人目の首相(A pleasant if awkward fellow, Hatoyama was Japan's fourth prime minister in less than three years and the second since I'd taken office)」と軽く触れただけだ。「A pleasant if awkward fellow」の部分を「感じ良いが厄介な同僚」とか「感じは良いがつきあいにくい」と翻訳した日本の記事が初期に流通したために「オバマは鳩山由紀夫元首相について『扱いにくい』『厄介だ』と批判した」という印象が広まってしまったようだが、それはうがち過ぎだ。

アメリカ人がawkwardという表現を使う典型的な状況は、何年も会っていない人と道でばったり会って親しげに名前を呼ばれたのに相手の名前が思い出せない時とか、Eメールを間違った相手に送ってしまった時とかだ。人物に関しては、「その場の雰囲気や状況といったニュアンスを察知できない人」つまり「空気が読めない人」についてよく使う表現だ。英語ネイティブのビジネス書作家でもある筆者の夫も「つきあいにくい人物だと思ったらオバマははっきりとそう書く」と言うが、私も同感だ。ボキャブラリーが豊富なオバマのことだから、もっと素晴らしく皮肉な単語で「扱いにくい奴」と描写してくれたことだろう。「厄介だ」と言われるほど重視されてはいない。

それとは対照的に、オバマが当時の天皇皇后両陛下(現在の上皇と上皇后)に対して抱いた好意や尊敬の念は、文章からしっかり伝わってくる。オバマがお辞儀をしたことについてアメリカの右派が「反逆的だ」「裏切り者」と批判したことについては、「アメリカの右派のこれほどまで大部分が、いったいいつ、すっかり正気を失うほど怯えて自信をなくしたのだろう」と呆れを隠していない。

オバマの回顧録でも明らかなように、アジアでの日本の存在感は薄くなっている。数多く出ているトランプ暴露本でも、日本についての記述は片手で数えられるほどしかない。筆者が記憶している中では、最近の回顧録の中で日本を重視する記述があったのは、2014年刊行のヒラリー・クリントン著『Hard Choices』だった。

オバマ政権で国務長官になったクリントンが真っ先に訪問したのが日本だった。クリントンは、いっときはアメリカを脅かす経済力を持っていた日本の経済が後退している懸念を説明した後で、「(それでも)日本はいまだに世界最大の経済大国のひとつであり、世界的な金融危機に対応するための主要なパートナーである。この地域(アジア)における我々の戦略の礎が(日本とアメリカの)同盟関係だと(オバマ大統領の)新政権がみなしていることを強調するために私は最初の訪問先として東京を選んだ」と書いた。少なくとも、クリントンは2009年当時には日本をそれほど重視していたのだ。日本に関して言えば、オバマの回顧録に書かれていることよりも、1ページしか書かれていないという国際的な影響力の低下のほうが問題ではないだろうか。

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

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