コラム

「文化の盗用」は何が問題で、誰なら許されるのか? あるベストセラーが巻き起こした論争

2020年08月04日(火)09時15分

パフォーマンスに和服?をモチーフにした衣装で登場し、炎上したケイティ・ペリー Lucy Nicholson

<キム・カーダシアンの下着ブランドへの批判で日本でも話題になった「文化の盗用」だが、その判断基準は明確ではない>

アメリカで2020年1月に発売されてから、半年を過ぎた今でもベストセラーを続けている小説がある。メキシコから国境を越えてアメリカに移住しようとする難民の母子の物語であり、売れるのが納得できるページターナーだ。だが、それ以上にこの小説を有名にしたのは、Jeanine Cumminsという名前の白人(彼女の祖母はプエルトリコ出身のラテン系だということが後にわかった)が、メキシコからの移民について書いたことだった。

あらすじをざっと紹介しよう。

メキシコのアカプルコで書店を経営するリディアは、ジャーナリストの夫や親族と愛情たっぷりの生活を送っていた。リディアは、書店を訪れた年上の紳士ハヴィエルと好きな本について語りあい、意気投合する。リディアはハヴィエルを「友人」とみなしているが、彼はリディアに恋心を抱いているようだった。

ハヴィエルがアカプルコで新たに勢力をつけている麻薬カルテルのボスであることを夫が調べて記事に書くが、リディアはまだ安全だと信じていた。だが、ハヴィエルは部下に命じてリディアの一家をすべて惨殺した。

トイレにいた8歳の息子のルカと一緒に隠れて生き延びたリディアは、ハヴィエルの勢力が届かない地、アメリカを目指して2人で逃亡した。愛する者を失うまで違法移民としてアメリカに渡ることなど考えたこともなかったリディアは、同じように国境を目指して旅する人々から手法を学んでいく。だが、旅の途中で何人かが脱落、死亡する現実も言い渡される......。

麻薬カルテルによる家族惨殺のシーンから始まる『American Dirt』(邦訳:『夕日の道を北へゆけ』〔早川書房刊〕)は、最初のページから読者を引き込む。次から次にリディアとルカが直面する危機は、息をつく暇がないほどだ。特に、「La Bestia」と呼ばれる貨物列車の屋根に乗って移動する箇所は、読んでいるこちらの筋肉がこわばるほどだ。

この小説をめぐって、白人の作者がメキシコからの不法移民の母と息子を描くのは「現在政治的に話題になっているテーマを使ってベストセラーにしようとした日和見的な動機だ」、あるいは「ステレオタイプだ」という批判が、作品が発売される前から高まっていた。

私自身もその影響で最初は読むのをためらったほどだった。

だが、自分自身で読んでから判断しようと思って読んでみた。読んでからも、しばらくはどう書くべきか悩んでいたほど、現在アメリカの難しい社会問題が絡んでいるフィクションだ。

論争の中心にあるのが、最近アメリカでよく話題になる「文化の盗用(Cultural Appropriation)」だ。これは、他者の文化をあたかも自分のものかのように扱うことを意味する。

<関連記事:警官と市民の間に根深い不信が横たわるアメリカ社会の絶望

プロフィール

渡辺由佳里

Yukari Watanabe <Twitter Address https://twitter.com/YukariWatanabe
アメリカ・ボストン在住のエッセイスト、翻訳家。兵庫県生まれ。外資系企業勤務などを経て95年にアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』(新潮社)で小説新潮長篇新人賞受賞。近著に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)などがある。翻訳には、レベッカ・ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)、『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社、日経ビジネス人文庫)、マリア・V スナイダー『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)がある。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

冷戦時代の余剰プルトニウムを原発燃料に、トランプ米

ワールド

再送-北朝鮮、韓国が軍事境界線付近で警告射撃を行っ

ビジネス

ヤゲオ、芝浦電子へのTOB価格を7130円に再引き

ワールド

インテル、米政府による10%株式取得に合意=トラン
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
特集:台湾有事 そのとき世界は、日本は
2025年8月26日号(8/19発売)

中国の圧力とアメリカの「変心」に危機感。東アジア最大のリスクを考える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「このクマ、絶対爆笑してる」水槽の前に立つ女の子、ホッキョクグマが取った「まさかの行動」にSNS大爆笑
  • 3
    3本足の「親友」を優しく見守る姿が泣ける!ラブラドール2匹の深い絆
  • 4
    なぜ筋トレは「自重トレーニング」一択なのか?...筋…
  • 5
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 6
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 7
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 8
    一体なぜ? 66年前に死んだ「兄の遺体」が南極大陸で…
  • 9
    これぞ「天才の発想」...スーツケース片手に長い階段…
  • 10
    海上ヴィラで撮影中、スマホが夜の海に落下...女性が…
  • 1
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 2
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに感染、最悪の場合死亡も
  • 3
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人」だった...母親によるビフォーアフター画像にSNS驚愕
  • 4
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
  • 5
    頭部から「黒い触手のような角」が生えたウサギ、コ…
  • 6
    中国で「妊娠ロボット」発売か――妊娠期間も含め「自…
  • 7
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 8
    20代で「統合失調症」と診断された女性...「自分は精…
  • 9
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大…
  • 10
    【クイズ】次のうち、「海軍の規模」で世界トップ5に…
  • 1
    「週4回が理想です」...老化防止に効くマスターベーション、医師が語る熟年世代のセルフケア
  • 2
    こんな症状が出たら「メンタル赤信号」...心療内科医が伝授、「働くための」心とカラダの守り方とは?
  • 3
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 4
    デカすぎ...母親の骨盤を砕いて生まれてきた「超巨大…
  • 5
    デンマークの動物園、飼えなくなったペットの寄付を…
  • 6
    ウォーキングだけでは「寝たきり」は防げない──自宅…
  • 7
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果…
  • 8
    山道で鉢合わせ、超至近距離に3頭...ハイイログマの…
  • 9
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 10
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story