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抗生物質

イースター島の先住民から資源を略奪、島を「生きた実験室」に...抗生物質の「不都合」な真実とは

Biopiracy and Easter Island

2026年2月5日(木)17時40分
テッド・パワーズ (カリフォルニア大学デービス校分子細胞生物学教授)
モアイ

モアイで有名なイースター島は「絶海の孤島」として研究対象になったが JIRI SOURAL/SHUTTERSTOCK

<イースター島での調査活動が生み出した奇跡の薬、ラパマイシン。その裏にある科学的植民地主義の罪とは>

チリ領のイースター島で1964年に採取された土壌に由来する抗生物質は、巨額の成功をもたらした。だがこの「奇跡の薬」の歴史が触れずにきた存在がある。発見を可能にした人々と政治の力学だ。

【動画】ラパマイシンとイースター島の物語

イースター島の現地語名、ラパ・ヌイにちなんで名付けられた抗生物質ラパマイシン(別名シロリムス)は、移植臓器拒絶の予防や虚血性心疾患のステント治療に役立つ免疫抑制剤として開発された。その後、さまざまな癌の治療にも用いられるようになり、糖尿病や神経変性疾患の治療効果ばかりか、アンチエイジング作用の研究も進んでいる。


実際、ラパマイシンが寿命延長や加齢関連疾患に有効な可能性を示す研究は続々と発表されている。医学・生物学文献データベース、PubMedの検索結果によれば、ラパマイシンに言及する論文は約6万件で、最も話題の医薬品の1つだ。

その効力の中心は、TOR(ラパマイシン標的タンパク質)キナーゼを阻害する能力にある。細胞の成長や代謝の調節に大きく関与するTORはパートナータンパク質と共に、栄養素やストレス、環境シグナルへの細胞の反応を制御し、タンパク質合成や免疫機能といった重要な作用に影響を及ぼしている。癌や加齢性疾患にTORの機能不全が関連しているのは当然だろう。

その実力にもかかわらず、ラパマイシン発見の経緯は一般の人にほぼ知られていない。

専門家なら承知しているように、ラパマイシンは70年代、製薬会社アイアスト・リサーチ・ラボラトリーズ(当時)の科学者によって、ある土壌サンプルに含まれていた細菌から単離された。だが問題の土壌が64年、カナダの科学者が率いるイースター島医学調査隊(METEI)の活動の一環で採取されたことを知る者はより少ない。

ラパマイシンの細胞への作用を研究してきた科学者として、筆者は発見の裏側にある人間ドラマを理解し、広めることが義務だと感じた。私や多くの仲間が、自身の研究分野を根本から見つめ直す契機になったのが、カナダ人医史学者ジャカリン・ダフィンのMETEIに関する研究だ。

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バイアスの所産として

ラパマイシンの複雑なレガシーを掘り起こすことには、重大な問いが伴う。生物医学研究が内包する制度的バイアスや、大ヒット薬の「原産地」に対して製薬企業が負う責務をめぐる問いだ。

METEIは、カナダの外科医スタンリー・スコリナと細菌学者ジョルジュ・ノグラディによって発案された。孤立集団の環境ストレス適応の研究が目的で、イースター島で当時、進行していた国際空港の建設計画が絶好の機会になると考えた。空港ができれば外部との接触が増え、島民の健康状態やウェルネスが変化するはずだったからだ。

WHO(世界保健機関)の資金提供とカナダ海軍の輸送支援を受けた調査隊が現地に到着したのは64年12月。その後の3カ月間、島民約1000人のほぼ全員の健康診断を行い、生体試料を収集し、島の動植物を体系的に調査した。

ノグラディは土壌サンプルを200以上も採取した。その1つにラパマイシンを生産する細菌が含まれていたのだ。

見過ごしてはならないことだが、METEIの主な目的は「生きた実験室」のようにイースター島の住民を研究することだった。彼らは贈り物などをして島民の歓心を買うのと同時に、現地の司祭の協力を得て研究参加を強要した。

意図は立派でも、これは科学的植民地主義のいい例だ。白人の調査隊が、非白人が大半を占める集団を勝手に研究対象に選ぶ行為は、権力の不均衡を引き起こす。

METEIには、その始まりからバイアスが存在した。例えば、イースター島は外部世界から比較的、隔絶された場所だと研究者らは見なしていたが、実際には島外の国々との長い交流の歴史がある。

島民は遺伝的に同質だという考えも、移住や奴隷制、疾病が織り成す島の複雑な歴史を無視していた。同島の現住民は混血者で、ポリネシア人と南米出身者を先祖に持つ。奴隷貿易によって住民が連れ去られ、生き残って帰島した人々によって天然痘などの疫病が持ち込まれた歴史もある。

こうした思い違いのせいで、METEIは疾患リスクの遺伝要因評価という主要な研究目的の1つを損なった。67年の空港完成後、追跡調査が実施されなかったのは、そのせいだろう。

ラパマイシン誕生の物語における「省略」は、科学的発見の記憶のされ方によくある倫理的盲点を浮き彫りにする。

ノグラディが持ち帰った土壌サンプルの1つは、やがてアイアストが入手し、同社のスレンドラ・セーガルらがラパマイシンの単離に成功した。免疫抑制剤として商品化されたのは90年代後半だ。セーガルは画期的文献を発表しているが、ノグラディとMETEIの功績には触れていない。

ラパマイシンは莫大な収益をもたらしているものの、イースター島の住民は現在に至るまで金銭的利益を手にしていない。この事実は、先住民族の権利やバイオパイラシー(生物資源の盗賊行為)をめぐる問いを投げかけている。

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島では毎年2月、先住民の文化を伝えるタパティ祭が行われる LUCAS AGUAYO ARAOSーANADOLU/GETTY IMAGES

先住民族の貢献に光を

ラパマイシンを生産する細菌はその後、ほかの場所でも見つかったことから、イースター島の土壌は必要不可欠ではなかったとの主張もある。さらに、島民がラパマイシンを利用していたわけではないため、資源の「盗用」には当たらないとの声も聞かれる。

だがラパマイシンの研究と商品化は、島民が研究対象にならなければあり得なかった。彼らの貢献に対して補償を行うには、イースター島が果たした不可欠な役割を公認し、啓発することが重要だ。

製薬業界では近年、先住民族への正当な補償の重要性を認める動きが広がっている。貴重な天然物の産地である地域社会への再投資を約束している製薬会社もある。しかしラパマイシンから直接的な利益を得ている企業は今も、イースター島に対してそうした姿勢を示していない。

究極的に言えば、METEIは科学の勝利と社会的曖昧さの物語だ。ラパマイシンの発見は医学を変えたが、調査活動が島民に与えた影響はそう単純ではない。生物医学における同意取得、科学的植民地主義や見過ごされた貢献という問題は、画期的な科学的発見のレガシーをより批判的に検証し、認識する必要を示している。

「自国がイースター島にかつておこなった略奪行為について」ダフィン教授がキングス・カレッジ大学で行った講義より

The Conversation

Ted Powers, Professor of Molecular and Cellular Biology, University of California, Davis

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.


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