メルケル時代が終わる理由は、難民・移民問題ではない
Angela Merkel Failed
選択肢を示さないツケ
メルケルは脱原発に政策転換を図った。それが可能だったのは官僚的と評され、合理的で党派を超えた選択ができたためだ。
実際、彼女はライバル政党(特にSPD)の政策をまねて、支持者を奪うこともあった。福島第一原発事故の後に脱原発を選択したことで緑の党との連立に道を開き、戦略の幅を広げた。
急激な政策転換を可能にした要因としては、時には強引に政敵を脇に追いやり、党を掌握していたことが挙げられる。同時にメルケルは、自分には筋の通った政治理念があり、党派の違いはそれほど意味を持たないと国民を納得させた。
すなわちメルケルは、テクノクラート(専門知識を持つ技術官僚)的なのだ。特にユーロ危機の際には「ほかに政策の選択肢はない」と説き、反対派には分別のない「悪いヨーロッパ人」、つまりは「悪いドイツ人」というレッテルを貼った。「良いドイツ人」ならEU統合に熱心なはずだという論法だ。
だが、こうしたやり方はポピュリズムの台頭を許しがちだ。メルケルに対抗して創設された極右政党の名が「ドイツのための選択肢(AfD)」だったのは決して偶然ではない。
選択肢がない民主政治は無意味だというポピュリストの主張は正しい。有権者には常に複数の選択肢が与えられるべきだ。
中道政治家の多くは、おそらくAfDへの最初の対応が誤っていた。ユーロ救済策に対するAfDの批判を、道徳論に基づいて糾弾したのだ。それがAfDの急進化を招いたとも言える。
AfDはCDUに対抗する右派政党にしては珍しく長続きし、2015年に入っても消滅しなかった。同年夏にメルケルは、債務危機のギリシャ支援問題で強硬姿勢を取って有権者の支持を保った。だが難民受け入れがAfDを勢いづけ、さらに急進化させた。
こうして今日の、急進右派の大衆迎合主義政党というAfDの姿がある。政策綱領と呼べそうなものは移民などマイノリティーへの敵意だけという政党だ。
おそらくはメルケルが難民受け入れの方針を釈明できなかったこと、そして当時は議会内の全政党に加えてメディアの多くもメルケルを支持していたことが、ポピュリスト政党に力を与えた。エリート層はどうせ腐敗しているし、大衆のためには行動しないというイメージこそ、ポピュリズムを勢いづかせる。
難民受け入れはEU崩壊を防ぐ方策だったのか、それとも人道的な措置だったのか──今も多くのドイツ人が答えを見つけられずにいる。ほかに選択肢はなかったという言い方では当時も不十分だったし、今もそうだ。