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いとうせいこう、ハイチの産科救急センターで小さな命と対面する(8)

2016年7月19日(火)17時00分
いとうせいこう

貧しい母親、親に去られた乳児

 他にも話を聞く中に、クラウディア・セルテラスさんという母親がいた。妊娠半年と2週と推定される時期(なぜ推定かと言うと、妊産婦検診にかかるお金が払えず、知らぬ間にお腹が大きくなっているケースが多いのだ)に具合が悪くなり、入院して3日後に帝王切開。当然早期過ぎる出産だった。

 「急に気分が悪くなってタプタプに乗りました。どこか病院に連れていってくれ、と言って。けれどどこで降ろされたかわからなくなったんです。目の前が暗くなって何も見えないまま、歩きました。するとここに着きました」

 クラウディアさんは、ダディと違って眉を悲しそうに寄せながら話をしてくれた。彼女の場合、子供もさることながら、自分の健康と生活に危惧があった。

 「これで6人目の子供です。片方のお乳しか出ないのでなかなか育ちません。家には5人の子が待っています。早く家に戻らないと、夫は働かねばいけないので他に面倒をみる者がいないんです」

 俺はため息をつくのをこらえた。彼らは貧しい。母親自身、栄養が足りていないのだ。果たしてこの場合、産まれてくる子供、産む親は幸せなのだろうか。それがわからなくなった。

 入り口近くにプラスチックの"ゆりかご"があり、産まれて一ヶ月ほどした子供が仰向けになっていた。母親は彼を産んで姿をくらまし、病院は母親探しをしながらしばらくその子を預かっているそうだった。養護施設への連絡も始まる時期だとも聞いた。


「せめてと思って毎日、少し早めに出勤して、この子をほんのちょっと世話するんです」

 紘子さんはそう言った。
 「お母さんが見つかるといいんですけど」

 忙しい日々の中、紘子さんは自分が出来る小さな行為を実践していた。

 ともかく、俺の目の前にいるのは捨て子なのだなと思った。
 そこまでリアルに捨て子を見たことがない俺の視線は何度も泳いだ。きちんと面と向かえないのだった。
 捨て子はじき、やたらに大きなあくびをした。

 それで俺は自然にその口の中を見た。赤くて健康的な頬の内側を。

新生児集中ケア

 さらに俺は新生児集中ケアの部屋に招かれた。他とは違って内扉があり、厳重に衛生管理がされていた。専門の服をまとい、手洗いし、マスクをして中に入った。若干、外より涼しかった。新生児にちょうどいい28度を保っているそうだった。

 台が壁際の三方にぐるりと20個弱あったろうか、その上にそれぞれ透明プラスチックの保育器があって、中に小さな生命が入っていた。低酸素、低血糖、未熟といった乳児が、なんとか命をつないでいる場面なのだった。1000グラム以下で産まれるとそこに入れられると聞いた。

 上のふたが外されているものと、完全に密封されているものがあった。正面奥の4つの保育器が完全密封で、内部が青い光線に満ちていた。光線療法中なのだそうだった。白いアイマスクをしている未熟児もいて、きわめて危険な状態を乗り越えようとしているのがわかった。

 そうした子供たちはみな、白いタオルをU字にしたものの中に寝ており、「巣ごもり」の形にしてあるのだそうだった。さらに保育器を布で覆って闇にし、子宮内を模すこともあると紘子さんは説明してくれた。

 「ここまでの集中ケア室は、他の活動地にはなかなかありません。ですから私たちも赤ちゃんも恵まれていると言えるんですが、それでも"ごめんなさい"という時もあって......」

 集中ケアをストップする、ということだった。医師や看護師にとって頻繁にあることなのだろうけれど、捨て子の面倒を見に来るような人物にとって、それは毎回さぞつらいことに違いなかった。

 最も手前右側の台の上は"ゆりかご"そのものが取り払われていて、そこに赤ん坊とさえ言えないくらい小さな体が横たわっていた。明らかに未熟きわまりない子供だった。医師が来て心臓あたりに触れ、心拍を調べた。腕に点滴をしていたようにも記憶する。

 保育器の並ぶ中に、現地の女性看護師も二人いた。リシャーも通訳として部屋に入ってきてくれていた。俺は彼女たちの話を聞きたいと思って、
 「日本から来ました」
 と英語で言った。リシャーがそれをクレオール語に訳した。

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