コラム

不確実性に包まれた今の時代こそ、村上春樹がノーベル文学賞にふさわしい

2019年10月15日(火)15時00分

村上春樹は2016年10月にアンデルセン文学賞を受賞(デンマーク・オーデンセで) OLE JENSEN-CORBIS/GETTY IMAGES

<国境を超えてあらゆる現代人に関わる問題を描く村上春樹は、いつ栄誉に輝いても不思議でない>

西洋人が「日本文学愛好家」をもって任じる場合、たいてい1人の偉大な日本人文学者のことしか知らない。その人物とは、村上春樹である。

今年のノーベル文学賞でも、村上は有力候補の1人と言われていたが、またしても受賞を逃した。10月10日に発表された受賞者は、ポーランド人作家のオルガ・トカルチュクとオーストリア人作家のペーター・ハントケだった。

昨年のノーベル文学賞は、選考を担うスウェーデン・アカデミー関係者をめぐる性的スキャンダルなどを受けて発表が見送られて、代わりに今回、2年分の受賞者が発表された。昨年分の受賞者であるトカルチュクの受賞を問題視する声はほとんど聞かれない。

一方、ハントケの受賞は、激しい怒りと抗議を招いている。1990年代の旧ユーゴスラビア内戦時に「民族浄化」を主導したセルビアの独裁者、スロボダン・ミロシェビッチと極めて親密な関係にあったためだ。事実、2006年のミロシェビッチの葬儀では、弔辞を読んでいる。

ハントケへのノーベル文学賞の授与決定について、アルバニアの首相は「吐き気がする」と言い、ボスニアの大統領府関係者は「恥ずべきこと」と述べた。

ミロシェビッチを支持したハントケを「今年最大の愚か者」と呼んだことがあるイギリスの作家サルマン・ラシュディも、今回の授賞決定を批判している。それにそもそも、ハントケはノーベル文学賞を「ペテン」呼ばわりし、その価値と存在意義を否定していた。

私たちを代弁する存在

皮肉な話だが、村上が受賞できなかった理由も抗議への懸念だった可能性がある。今は女性への性的暴力を告発する #MeToo(私も)の時代、しかもノーベル文学賞選考委員会関係者の性的スキャンダルの後とあっては、村上の受賞も反発を買う恐れがあった。

村上への批評に共通するネガティブな評価として、男性の主人公に比べて女性キャラクターの描写に深みがないというものがある。村上作品の女性は男性主人公の自己認識を深める「乗り物」、あるいは単なる欲望の対象として描かれ、性的ステレオタイプの束縛から逃れられていない、というのである。

鋭いリアリズムと現実にはありえない世界の間を自在に泳ぎ回る村上の手腕は特筆に値する。この危険な綱渡りをここまで巧みにこなせる現役の作家はほかにいない。村上は日本人作家という制約とは無縁の真に普遍的な知性の持ち主だ。

女性を犠牲にして男性キャラクターを肉付けする手法を考えれば、今年はタイミングが悪過ぎた。だが、世界中がナショナリズムとアンニュイな憂鬱に覆われている今、村上は時代の気分を体現しているという点で、ノーベル文学賞を受賞していない作家の中で紛れもなく最高の存在だ。

プロフィール

サム・ポトリッキオ

Sam Potolicchio ジョージタウン大学教授(グローバル教育ディレクター)、ロシア国家経済・公共政策大統領アカデミー特別教授、プリンストン・レビュー誌が選ぶ「アメリカ最高の教授」の1人

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

米イラン協議、6日にオマーンで実施=ISNA

ワールド

中国主席がトランプ氏と電話会談、数時間前にはプーチ

ワールド

米、重要鉱物価格の下限設定制度を構築へ=副大統領

ビジネス

米1月ADP民間雇用、2.2万人増 市場予想下回る
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの帝国
特集:トランプの帝国
2026年2月10日号(2/ 3発売)

南北アメリカの完全支配を狙うトランプの戦略は中国を利し、世界の経済勢力図を完全に塗り替える

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 2
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染拡大する可能性は? 感染症の専門家の見解
  • 3
    エプスタインが政権中枢の情報をプーチンに流していた? 首相の辞任にも関与していた可能性も
  • 4
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 5
    トランプ不信から中国に接近した欧州外交の誤算
  • 6
    アジアから消えるアメリカ...中国の威圧に沈黙し、同…
  • 7
    電気代が下がらない本当の理由――「窓と給湯器」で家…
  • 8
    戦争の瀬戸際の米国とイラン、トランプがまだ引き金…
  • 9
    最長45日も潜伏か...世界が警戒する「ニパウイルス」…
  • 10
    ユキヒョウと自撮りの女性、顔をかまれ激しく襲われ…
  • 1
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 2
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 3
    180万トンの「リチウムごみ」を資源に...EV電池の「副産物」で建設業界のあの問題を解決
  • 4
    日本への威圧を強める中国...「レアアース依存」から…
  • 5
    ロシア軍の前線で「弾よけ」にされるアフリカ人...兵…
  • 6
    「出禁」も覚悟? ディズニーランドで緊急停止した乗…
  • 7
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
  • 8
    致死率は最大75%のニパウイルスが、世界規模で感染…
  • 9
    町長を「バズーカで攻撃」フィリピンで暗殺未遂、大…
  • 10
    高市首相の発言は正しかった...「対中圧力」と「揺れ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?【2025年の話題クイズ5選】
  • 2
    【クイズ】致死率50~75%...インドで感染拡大「ニパウイルス」の感染源となる動物は?
  • 3
    中国製防空レーダーは米軍のベネズエラ攻撃に屈した──台湾高官が分析
  • 4
    セーターが消えた冬 ── 暖かさの主戦場が「インナー」…
  • 5
    高市積極財政にアメリカが慌てる理由
  • 6
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?【202…
  • 7
    海上自衛隊が水中無人機(UUV)を導入 中国の海軍拡…
  • 8
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」は…
  • 9
    防衛省が「新SSM」の映像を公開、ノルウェー・コング…
  • 10
    中国で大規模な金鉱脈の発見が相次ぐ...埋蔵量は世界…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story