コラム

アメリカで「病児保育」が社会問題にならない理由とは?

2012年03月07日(水)13時51分

 まず、現在の日本社会では病児保育の問題は非常に深刻であり、この問題を解消するために病児保育を引き受けるNGO団体が活動を始めています。その多くは私の知る限り良心的なものが多いようで、例えば病児保育を担う一方で働き方の改善を提言したりする団体の努力などには注目をすべきだと思います。

 それ以前の問題として、日本の現状において病児保育の問題、つまり「休めない、早く帰れない時に子供が熱を出したら大変」という問題を抱えている家族を批判はできません。社会的な条件、生き方の前提が異なる「専業主婦カルチャー」を前提にして「子供が病気なのに人に預けるのはかわいそう」という非難をすることは間違っていると思います。

 ちなみに、アメリカにも「病児保育問題」が全くないわけではありません。特にシングルペアレントの場合、子供が突発的に熱を出して学校の保健室に引き取りに行かねばならないケースなどでは、実際に困っている人が多いのも事実です。その場合の病児保育というのは、事の本質から見て営利事業の対象にはなじまないわけで、必然的にNGOの活躍が期待されていること、にもかかわらずサービスの提供はまだまだ少ないという点では、日本と同様の問題があります。

 そうした問題はあるのですが、アメリカでは「病児保育」という問題が社会問題にはなっていません。意識が低かったり、子供が放置されているのではないのです。また女性の社会参加が進んでいないわけではありません。一言で言えば「病児保育を必要としない社会」が完全ではないにしても、とりあえず機能しているのです。前回の過労死問題と同じように箇条書きで整理してみます。

(1)まず法律(連邦法)で定められている家族の看護休暇というものがあります。アメリカの場合、有給の看護休暇は義務づけられていないので無給になりますが、取得したことによる解雇は禁じられています。では実態はどうかというと、大企業や一部の公共団体では独自の労使協定で有給にしているケースがある一方で、無給のままの職場も多いようです。では、給与が引かれることを嫌がって有休を充当することが多いのかというと、「有休=バケーションという自分へのご褒美」という感覚が強く、家族の病気のために有休を取るのはイヤというカルチャーがあるので、基本的に看護休暇を取得するケースが多いようです。ちなみに、正当な理由がある家族看護休暇の取得拒絶は重大な労働法違反と考えられています。

(2)不要不急の仕事、また他の同僚のバックアップが可能な場合は「子供が病気なので」という理由で堂々と看護休暇を取り、その時点で退社するのは普通です。上司だけでなく、同僚も協力するか、仕事のスケジュールを後にずらすなどの対応をして対応するのが当然とされています。

(3)取引先や顧客の方も「いつもの担当者は?」と尋ねて「家族が病気なので帰りました」という答えがあれば、すぐに受け入れて「それは大変ですね。お大事にと伝えてください」と言って必要に応じてバックアップの担当者と商談などを進めるのが普通です。クルマの試乗をする予約をしていた、かかりつけの医者に定期検診を受けるはずだった、教師と子供の件で面談の約束をしていた、というレベルの「緊急度」の話であればドタキャン、もしくは代役を受け入れるのは当たり前だというのが社会常識になっています。

(4)そうは言っても、勝負のかかった営業プレゼンや出張などが入った場合、重要な意思決定への参加というケースでは、子供が突然熱を出しても対応できない場合があります。そうした場合には、配偶者が、つまり妻が「勝負」の際には夫が退社して子供のケアをするのは当然とされています。夫婦ともにフルタイムの上級管理職で出張も多い、という状態を作り出すことは人生設計の上で避けるのが普通です。

(5)子供が小さい場合、あるいはその前段階の産休取得について、職場の周囲が「しわ寄せが自分たちに来る」といってイヤな顔をするカルチャーはありません。その反対に、女性の同僚の妊娠が判明すると「ベビーシャワー」といって同僚たちが育児用品などのプレゼントをする習慣が今でもあります。一見するとプライバシーに踏み込んでいるようですが、本人に堂々と産休を取らせ、復帰後も仕事と育児を両立させるために「胸を張って妊娠を宣言させ周囲で祝福する」のは職場の人間関係を維持する上で必要だからやっているのだと思います。突然の家族看護休暇が受け入れられる背景にはそうしたカルチャーの存在があります。

 いずれにしても、アメリカでは病児保育の問題は深刻な社会問題にはなっていないのです。一方で、日本の場合はこの問題は深刻であり、当面はNGOなどを拡充させながら多くの家族が「乗り切って」行くのは仕方がないでしょう。

 ですが、子供は熱を出すだけでなく、時にはケガもしますし、周囲とトラブルを起こすこともあるでしょう。またスポーツや音楽などで晴れの舞台に立つこともあります。成長に伴い、人生の岐路に立って緊急に相談に乗ってやらなくてはならないことも起きてきます。いつまでも両親ともに毎日9時以降に帰宅、病気の場合はNGOに頼んでという訳には行きません。

 そう考えると、病児保育の充実を後押しするだけではダメだと思うのです。取引先や顧客がバックアップを認めること、職場の周囲がバックアップやスケジュールの変更を受け入れること、それで全体が回るようにマネジメントの包容力を向上すること、儀式性の強い会議や対面コミュニケーションを削減して生産性を向上することなど、抜本的な職場環境の改善を進めるべきだと思うのです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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