コラム

留年させるなら先輩後輩カルチャーも止めるべきでは?

2012年02月24日(金)11時03分

 これも大阪の橋下市長の発案ですが、所定の学力に到達しない生徒はたとえ小中学生でも留年や科目の再履修をさせるべきだという案が議論されています。そもそものアイディアは教育評論家の尾木直樹氏で、小中学校での学力の底上げを図るには必要だというのです。(尾木氏ご本人は大げさに取り上げられて困惑しているようですが)

 確かに、今の日本の小中学校では、何らかの理由で全休しても卒業証書が出るという運用がされており、結果的に学力不足のまま高校へ行ってしまう子供が存在するのは防げないわけです。高校の「底辺校」では「6桁の数字が読めない」などという衝撃的なレポートもあるわけで、結果的には高校を中退することで貧困層を生み出しているとも言えるわけです。

 私は留年はともかく再履修に関しては基本的には賛成です。いじめや不登校の原因になるとか、同級生意識を壊すので可哀想だという意見もありますが、生きてゆくのに最低限必要なスキルなしで社会に放り出すことの残酷さを考えれば、やったほうがいいと思うからです。

 この件に関しては、OECD(経済開発機構)が反対しているという報道もありますが、こちらは留年が横行することが社会的なコスト増になるという懸念からの発想と理解すべきでしょう。日本のように「必要なスキルが全く身につかないまま」社会に放り出すことの非生産性をどうするかという話とはまた別次元の議論と思います。

 ただし、日本の場合に小中での留年や再履修を実施する場合に条件が一つあります。それは、日本の中学校以上の社会にある「先輩後輩カルチャー」というのを、これを機会に根絶するべきだということです。

 この大阪発のニュースと前後して、東京からは正反対の報道がありました。東京都教育委員会は、高校1、2年生時に必要な単位が取れなくても進級する制度を検討しているというのです。中退者の多い高校を対象として、留年して「後輩」と一緒に学ぶことを嫌がる生徒たちの学習意欲引き留めを狙うというのが理由です。

 大阪の場合は小中生に多少厳しくても留年をさせる、例えば苦手な科目だけ下級生と学び直すということを考えているのに、東京は高校で「後輩と学ぶのはイヤで中退につながるから」と留年を止めようとしているというわけです。

 このニュースに関してですが、大阪と比べて「東京はぬるい」という印象を持つとしたらそれは違うと思います。そうではなくて、「先輩後輩カルチャー」は高校生になるとほぼ100%子供たちの心理を支配しているので、本当に「後輩と一緒は無理」という子が多いと見るべきです。どちらも、中退者イコール貧困化という「戦い」の中で必死である中から出てきた案なのだと思います。

 要するに「先輩後輩カルチャー」を止めるしかないのです。

 具体的には、人間を年齢や学年で区別し「上下関係を規定する」コミュニケーションを止めるるということです。先輩には「ですます調」で話し、後輩には「だ、である調」を基調とした権威的な話法で通す、下から上への「異議」は認めない、「先輩」の自尊心は守られ「後輩」は自尊心上の譲歩を強いられるという「無意味なヒエラルキー」を根絶するのです。

 もう一つは、その人間の能力を評価し、そこに年齢での上下関係を持ち込まないとうことです。飛び級で大学の物理の授業を受けに来た高校生を、大学生はパーソナルな人間関係でも仲間として迎え入れねばならないし、その高校生に明らかに卓越した才能があれば、大学生は素直に賞賛すべきなのです。逆に文字式の意味が分からなくて中2なのに1年生の数学を受け直している子は、中1の出来る子に丁寧に教えを請えばいいのです。

 こう申し上げると教育現場からは、そんな天地がひっくり返るような話は暴論だとか、現場を無視した理想論だなどという批判が出るかもしれません。

 ですが、大人の社会を見ればもう「先輩後輩カルチャー」を維持するのは無理になっています。

 例えば、大津市の越直美市長は30代前半の女性として選挙戦を戦い、市民の支持を得て市長に就任したわけですが、この市長の最初の施政方針演説に対して議会の各会派からは「具体性がない」などのネガティブなコメントしか出なかったようです。では、この大津市の市議会議員が全員「人間性に欠陥がある」とか、守旧派であるために改革潰しに政治生命を賭けるしかないといった問題を抱えているのかというと、別段そういうことでもないようです。

 にも関わらず、有権者の信任を得た首長に対して常識的な対応ができないというのは、「年下の女性管理職に対するコミュニケーション方法を全く知らない」からに他ならないと思われます。どう対応したらいいのか、どんな口の利き方をしたらいいのか全く分からない中で、「とりあえず批判してみよう」という「だらしない」行動になったのだと考えるのが自然です。

 仮にそうだとすれば、こうした問題も、日本のあらゆる組織に根を張っている「年齢、性別、仲間内と外部」といったヒエラルキー文化の弊害であると思われます。そしてその根源は中学生から始まる「先輩後輩カルチャー」にあるのです。

 今月、厚生労働省が発表した「モラハラ、パワハラのガイドライン」では、年輩の部下による若い管理職への嫌がらせなどを新たに「ハラスメント」として認定することになったようです。これも同根の問題であり、しかも問題の根の深さを示しているエピソードです。

 思えば、小学校を卒業して中1になった子供たちが「先輩後輩カルチャー」に初めて遭遇して戸惑う現象のことを(科目別に先生が違うことへの不適応も含めて)「中1プロブレム」というのだそうです。ですが、プロブレムがあるのは「先輩後輩カルチャー」を続けてきた中学校のほうで、それに戸惑う新中1生の感性の方が自然ではないかと思うのです。

 先輩後輩カルチャーには別の問題点もあります。それはリーダーシップを腐敗させるという点です。人の嫌がる仕事を率先して行うことで、部下の敬愛を受けつつ部下の自発性を引き出すというのがリーダーシップであるならば、年齢が上であることで自動的に獲得した権威を濫用し続けるリーダーシップは、リーダーシップですらありません。メンバーの自発性を著しく損ね、組織の効率をダメにするのは間違いないと思います。日本のサービス業などがある種の「ブラック性」を克服できないのは、こうしたカルチャーに根ざしている、そんな反省も必要ではないでしょうか。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

関連ワード

ニュース速報

ワールド

中国、米との「第1段階」通商合意に向け懸命に取り組

ワールド

米国防総省、在韓米軍の規模縮小検討報道を否定

ワールド

金正恩氏、ASEAN首脳会議出席見送り 「適切な時

ワールド

中国が台湾に警告、与党副総統候補の独立志向発言受け

MAGAZINE

特集:プラスチック・クライシス

2019-11・26号(11/19発売)

便利さばかりを追い求める人類が排出してきたプラスチックごみの「復讐劇」が始まった

人気ランキング

  • 1

    「愚かな決定」「偏狭なミス」米専門家らが韓国批判の大合唱

  • 2

    「韓国は腹立ちまぎれに自害した」アメリカから見たGSOMIA問題の本質

  • 3

    中国は「ウイグル人絶滅計画」やり放題。なぜ誰も止めないのか?

  • 4

    表紙も偽物だった......韓国系アメリカ人高官が驚く…

  • 5

    米韓、在韓米軍駐留費巡る協議わずか1時間で決裂 今…

  • 6

    野党の「桜を見る会」追及にはなぜ迫力がないのか

  • 7

    余命わずかな科学者が世界初の完全サイボーグに!?

  • 8

    韓国、米国に一段のコメ市場開放で合意 119億円相当…

  • 9

    GSOMIA失効と韓国の「右往左往」

  • 10

    ソルリの死を無駄にはしない 韓国に拡がる悪質コメ…

  • 1

    「愚かな決定」「偏狭なミス」米専門家らが韓国批判の大合唱

  • 2

    「韓国は腹立ちまぎれに自害した」アメリカから見たGSOMIA問題の本質

  • 3

    GSOMIA失効と韓国の「右往左往」

  • 4

    トランプが日本に突き付けた「思いやり予算」4倍の請…

  • 5

    アメリカが繰り返し「ウソ」を指摘......文在寅直轄…

  • 6

    日本のノーベル賞受賞に思う、日本と韓国の教育の違い

  • 7

    ペットに共食いさせても懲りない飼い主──凄惨な退去…

  • 8

    中国は「ウイグル人絶滅計画」やり放題。なぜ誰も止…

  • 9

    香港の完全支配を目指す中国を、破滅的な展開が待っ…

  • 10

    「安い国」になった日本の現実は、日本人にとって幸…

  • 1

    「愚かな決定」「偏狭なミス」米専門家らが韓国批判の大合唱

  • 2

    マクドナルドのハロウィン飾りに私刑のモチーフ?

  • 3

    「アメリカは韓国の味方をしない」日韓対立で米高官が圧迫

  • 4

    「韓国は腹立ちまぎれに自害した」アメリカから見たG…

  • 5

    GSOMIA失効と韓国の「右往左往」

  • 6

    意識がある? 培養された「ミニ脳」はすでに倫理の…

  • 7

    インドネシア、巨大ヘビから妻救出した夫、ブタ丸呑み…

  • 8

    トランプが日本に突き付けた「思いやり予算」4倍の請…

  • 9

    「武蔵小杉ざまあ」「ホームレス受け入れ拒否」に見る深…

  • 10

    アメリカが繰り返し「ウソ」を指摘......文在寅直轄…

PICTURE POWER

レンズがとらえた地球のひと・すがた・みらい

英会話特集 資産運用特集 グローバル人材を目指す Newsweek 日本版を読みながらグローバルトレンドを学ぶ
日本再発見 シーズン2
CCCメディアハウス求人情報
定期購読
期間限定、アップルNewsstandで30日間の無料トライアル実施中!
メールマガジン登録
CHALLENGING INNOVATOR
売り切れのないDigital版はこちら

MOOK

ニューズウィーク日本版別冊

絶賛発売中!