コラム

見方の分かれるアメリカのエジプト政変報道、その背景にある不安とは?

2011年02月02日(水)11時18分

 エジプトの情勢は、思ったよりはスローな展開になっています。軍の出動により一部では死傷者も出ていますが、大規模な流血が拡大しているわけではありません。一方で、軍のかなりの部分はデモ隊に理解を示しているようですが、かといって軍の相当な勢力がデモ隊に合流して政権に大砲を向けているというわけでもありません。そんな中、火曜日の1日には「100万人デモ」への結集が呼びかけられる中、ムバラク大統領はテレビ演説で「9月の大統領選には出馬しない」という声明を出しています。

 ここまでの情勢ですが、まずアメリカのオバマ政権は国務省主導で必死にムバラク大統領を説得した形跡があります。ムバラク大統領が「再出馬はしない」と述べた直後に、オバマ大統領自身が「政権移行は非暴力的でなくてはならない。そして直ちに開始されなくてはならない」という強めのメッセージを同じようにテレビ会見で発信していますが、そのタイミングを見ても、水面下で相当なやりとりがあったことは推測されます。エジプトという大国、しかも中東の政治地図における重要な基盤となる国家の帰趨について、アメリカ政府としては非常に気を使っているというのは当然といえば当然ですが、オバマ自身がTVに出てくるというのはやはり相当なことです。

 では、そのアメリカでエジプト情勢はどう報道されているのでしょうか? 奇妙なのはそこに分裂が見られるという点です。まず、CNN、FOXニュース、MSNBCといった「ニュース専門のケーブル局」のトーンは共通しています。保守もリベラルも合わせて眉間にシワを寄せて「大変だ」というムードで一貫しているのです。「大変だ」というのは「更に流血が起きるかもしれない」というニュアンスであり、同時に「ムバラク失脚は時間の問題」という切迫感であり、「中東全体が大激震」という危機感もそこには感じられます。

 一方で、新聞は非常に詳細な記事を連日載せていますが、かなり冷静です。「求心力を持った指導者はいないので、過去の色々な国での政変劇とは違う」(トレントンタイムスに転載されたワシントン・ポストの記事)、「病院では軍や警察の発砲で負傷した人々の治療に必死、そこには怒りと共に冷静さも」(ウォール・ストリート・ジャーナル)、「郊外のスーパーでは大行列、社会の混乱広がる」(ニューヨーク・タイムズ、カラー写真は生活水準の高さを示すもの)といったトーンで、ニュース専門局の「大変だ」というムードとはかなり違います。

 更に落ち着いた報道をしているのが、3大ネットワークの、特にNBCとCBSです。NBCは、週末の時点では戦争報道のプロ中のプロでアラビア語にも堪能なリチャード・アングル記者を派遣してレポートさせていましたが、彼はどんどんデモ隊の中に入っていって対話をしていました。また、アングル記者とそのスタッフの取材の結果、現地情勢に落ち着きが見て取れると、週明けからはメインキャスター(論説主幹格)のブライアン・ウィリアムスが直接乗り込んでレポートしています。

 更に徹底しているのはCBSで、こちらも「イブニングニュース」の大物アンカーパーソンであるケイティ・コリックを派遣、コリックもデモ隊への直接取材をしています。彼女のコメントも「確かにリーダーは不在ですが、統制は取れています。とにかく、デモが通り過ぎた後には市民の自主的な清掃部隊がゴミも拾っているんですから」というトーンで極めて冷静です。CBSは更に、原理主義団体の「ムスリム同胞団」の大きな拠点であるとされるアレクサンドリア市にも女性記者のララ・ローガンを派遣しています。ローガンもデモ隊への直接取材を行っていますが、OAされたコメントは「俺達は経済を破壊するようなことはしないよ。ムバラクに出ていってもらって国を変えたいだけなんだ」というもので、こちらも非常に冷静です。

 NBCやCBSが冷静なトーンなのは、メインキャスター以下多くのスタッフを現場に入れているからのようですが、考えてみれば新聞もほとんどの記事が記者が現場に入って取材しているわけで、ワシントンのスタジオで「偉い政治評論家」を集めて「大変だ」と騒いでいるCNNやFOXの方が異常なのかもしれません。では、彼等の恐れているのは本当は何なのでしょうか? 「中東での大激震」というのは、何なのでしょう? それは「エジプトのイラン化」です。彼等はまだイラン革命によって親米国家のイランが反米に転じたこと、その後の外交の失敗でカーター政権が崩壊したことをまだ悪夢として記憶しているのです。

 その点では、月曜日にちょうど、カーター政権の補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが、TVキャスターである娘さんのミカさんの番組で大演説をぶっていたのが印象的でした。「エジプトは大国なんです。貧富の格差はあるが、分厚い中間層があり、穏やかなライフスタイルがあり、社会システムも整っているんです。エジプトは、何があっても決してパキスタンにはならないし、イランにもならないしなってはいけない」「エジプト、イラン、トルコの3カ国は中東の要です。この3国が安定することで、中東和平が先へ進むんです・・・」82歳という年齢を感じさせない迫力がそこにはありました。

 アメリカの悪夢というのは、イラン革命の流れの中で起きた、過激派学生によるテヘランのアメリカ大使館占拠事件に他なりません。人質奪還に悩むカーターに、ブレジンスキーは「特殊部隊の突入による救出」を進言、この作戦の失敗によってカーターは1980年の選挙でレーガンに敗北したのでした。その際には戦犯のように叩かれたブレジンスキーが、31年後にエジプトの政変に対して「冷静に」と言っているのは象徴的です。もしかすると、現場に乗り込んでいって「冷静なレポート」を続けているウィリアムスやコリックも、心のどこかで「この問題が最悪の結果になると、オバマ政権が吹っ飛ぶかもしれない」という不安を抱いているのかもしれません。そうならないために、「みなさん冷静に」と言い続けている、そんな印象もあります。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国の8月粗鋼生産、3カ月連続減 大気汚染対策と季

ビジネス

米グーグル、68億ドルの対英投資発表 トランプ大統

ワールド

米政権高官、カーク氏殺害受け左派団体批判 解体など

ワールド

ドイツの極右AfD、地方選で躍進 得票率3倍に
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェイン・ジョンソンの、あまりの「激やせぶり」にネット騒然
  • 3
    腹斜筋が「発火する」自重トレーニングとは?...硬く締まった体幹は「横」で決まる【レッグレイズ編】
  • 4
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 5
    ケージを掃除中の飼い主にジャーマンシェパードがま…
  • 6
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 7
    電車内で「ウクライナ難民の女性」が襲われた驚愕シ…
  • 8
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 9
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 10
    「この歩き方はおかしい?」幼い娘の様子に違和感...…
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 3
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれば当然」の理由...再開発ブーム終焉で起きること
  • 4
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
  • 5
    【クイズ】次のうち、飲むと「蚊に刺されやすくなる…
  • 6
    科学が解き明かす「長寿の謎」...100歳まで生きる人…
  • 7
    「二度見した」「小石のよう...」マッチョ俳優ドウェ…
  • 8
    【クイズ】世界で1番「島の数」が多い国はどこ?
  • 9
    埼玉県川口市で取材した『おどろきの「クルド人問題…
  • 10
    観光客によるヒグマへの餌付けで凶暴化...74歳女性が…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影…
  • 6
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 7
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 8
    「中野サンプラザ再開発」の計画断念、「考えてみれ…
  • 9
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 10
    「我々は嘘をつかれている...」UFOらしき物体にミサ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story