コラム

安保50年、変わらぬ選択肢

2010年06月16日(水)11時17分

 6月15日は、1960年の「安保闘争」における、国会内でのデモ隊と警官隊の衝突事件から50周年の記念日でした。日米関係を推進する立場にとっては、安保50周年というのは、1月の改訂条約締結50周年が記念の日付なのでしょうが、反対していた側としては、どうしてもこの「6月15日」が重要な日付になるのだと思います。東京大学国史学科研究生の樺美智子氏が衝突の中で亡くなった事件の衝撃は、ある世代から上には強い記憶として残っているからです。

 私は、70年代の末に樺氏の同窓であった歴史学者の方々から、同氏の思い出を繰り返し聞かされましたし、その当時は樺氏の遺稿集がロングセラーになっていた時代ですので、個人的な感慨はあるのです。その遺稿集『人知れず微笑まん』は今は手元にありませんが、純粋な向上心に冷静な客観性を取り混ぜた文章は、鮮烈な記憶として残っています。そんなわけで、事件の50周年を機に、この悲劇のことを改めて歴史として評価しようと思ったのですが、そこで私は意外な事実に気がつきました。

 というのは、50年前の1960年と2010年の現在では、この日米安保という問題に対しての世論の姿勢は、驚くほど似ているという事実です。例えば、1960年に安保条約が改訂された際には、改訂交渉を進めた当時の岸首相は世論に見放されて退陣しました。ですが、同じように日米安保を前提とした池田政権が発足すると、同年秋11月の衆院選では自民党は圧勝しています。建前とホンネ、理想と現実の折り重なった中で、当時の世論も「単純な理想よりも現実を」選択したわけですし、政権トップのクビが変わることを契機として、その現実を受け入れていったのです。

 この辺りの心理は、2世代近く違う現在の世論が、鳩山退陣後に登場した菅政権が「日米合意を尊重」すると言って登場したにも関わらず高い支持率を与えたのと同じ構造に思えるのです。それは、世論が時に暴走して「安保反対」とか「米軍基地反対」に走る一方で、そうした反対運動はすぐに政治的には「腰砕け」になって「敗北」する、ということでは「ない」ように思います。その時々で、世論は理想と現実の複雑な構造に向かい合い、そしてその複雑さを受け入れるのです。その「複雑さの受け入れプロセス」として考えると、60年安保も、今回の鳩山退陣劇も同じではないか、どちらにも意味があるのではないか、そのように思うのです。

 もう1つは、1960年の樺氏の死亡事件ですが、事件直後には確かに抗議行動が起きています。ですが、その後デモは徐々に沈静化して行っています。そのことを往時を知る人達は「安保闘争の敗北」だという言い方をするようですが、2010年の現在、もう一度このことを考え直してみると、私は少し違う印象を持つのです。例えば、樺氏の死亡に抗議して、当時の全学連ないし社会党左派は激しい抗議闘争を繰り広げて内乱のような状態に進むこともできたはずです。

 ですが、そうはならなかった、それは果たして敗北なのでしょうか? そうではないのだと思うのです。警官隊や自衛隊を恐れて逃避したのではなくて、国を二分して経済や生活を停滞させる愚を回避し、何よりもそれ以上の流血を回避したというのは、極めて賢明であったと言うべきです。当時や70年安保当時の日本の若者は「内乱から革命」へと進むことに「憧れ」を抱いたかもしれません。ですが、今、例えばタイやギリシャで起きていることを考えると、あるいは多くの国で起きた内乱が決して人々を幸福にはしなかったことを考えると、答えは明らかだと思うのです。樺氏の悲劇に関して言えば、結果的に和解を促すことになったことで、その犠牲はムダにはならなかった、そう考えることもできるように思います。

 いずれにしても、国の分裂は回避されたのです。その安保体制と軽武装国家という体制には大きなメリットもありました。軍事費の負担が軽くて済んだので、経済成長をスピードアップできたというのも事実だと思いますが、それ以上に、「自前の軍隊」を中心に防衛を行うのでは「ない」特殊な国家ゆえに、軍事転用可能な技術も全て民生用の平和利用に徹してきた、そしてそのことが世界から信頼されたということはあると思います。

 例えば、現在の日本は原発大国ですが、「使用済み核燃料から核兵器を作るのではないか?」という疑念を国際社会から持たれることはありません。(つい最近、イランのアハマディネジャド大統領が日本に対してそんなイヤミを言いましたが、あくまで彼独特の無理筋の毒舌に過ぎません)これは被爆国ということもありますが、それ以上に軽武装国家ということが強く反映していると思います。

 今回話題になった「はやぶさ」の技術に関しても、他国であれば「軍事ロケットに転用可能」とか「宇宙戦争を意図しているのか」などと「うがった見方」をされることもあるのかもしれませんが、日本の場合はこの点でも信用があります。技術を軍事転用しないということは、技術に透明性や市場原理が働いて健全な競争が確保されたという効果もありますし、「同盟国にしか売れない」というハンデを越えて「全方位外交」の結果、世界中が顧客というビジネスが展開できたということにもなりました。

 そうではあるのですが、1つ大変に気になるのは、現在の日本では「繁栄の持続」への不安感が強くなっていることです。日米安保体制下の軽武装というのは、やはり国家観としては複雑です。その複雑な国家観を抱えながら、一方で「経済的な繁栄」も怪しくなるようですと、政治的には不安定さが増して行くように思うのです。その結果として、「国体=国のかたち」や防衛体制について全てをやり直すようなことになれば、そのコストは膨大なものになります。そうならないためにも、菅政権も成長戦略を実効あるものにして、安定的な成長を続けてゆくことは非常に大切なのではないでしょうか。池田政権が安保体制と共に所得倍増論を提示した歴史的教訓は、現在も生きているように思います。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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