コラム

首相交代のニュースの流れなかった事情

2010年06月04日(金)10時13分

 今回の日本での首相交代劇は、アメリカではほとんど報道されていません。新聞には常識的な論評(普天間の経緯、社民党の連立離脱、菅直人総理への期待論)が多少出ていますが、TVでの扱いはゼロに等しいのです。では、それこそ日本の政変が吹っ飛ぶような大ニュースが目白押し・・・かというと、どうもそうでもないようです。

 例えば、鳩山辞任翌日のアメリカのニュースのヘッドラインといえば「誤審に消された完全試合」のエピソードが圧倒的でした。デトロイト・タイガースの若手ピッチャー、アルマンド・ガララーガ投手(ベネズエラ出身)は2日のインディアンス戦で、9回二死まで完全試合を続けて、「最後の」バッターも、ファーストゴロに打ち取ったのです。ベースカバーに入ったガララーガ投手は、当然「アウト」と思ったところが、塁審の判定はセーフでした。監督も抗議したのですが、審判の権威の高いアメリカでは、判定は覆らなかったのです。

 このニュースが、どうして大きな扱いになったのかというと、まず直後のガララーガ投手は、激昂するどころか非常に冷静で微笑すら浮かべていたということで「非常にクール」だということになったという点があります。後でインタビューで語ったところでは、「とにかく完全試合まであと1人ということで、非常に緊張していて、そのために何が何だかワケが分からないんですが、ニヤニヤした表情になったんです」というのが、本人の解説でした。その後、録画のリプレーが何度も放映されて「どう見てもアウト」ということになり、そのビデオを本人が見るというシーンも放映されたのですが、ガララーガは、そこでも微笑を見せていたのです。この人はもしかしたら「大物」かもしれない、と言いますか、とにかく「怒らないのがカッコいい」として大変な話題になったのでした。

 それだけではありません。「誤審」の張本人である一塁塁審のジム・ジョイスの対応も、全米を驚かせました。ジョイス塁審は「世紀の判定を、自分はミスってしまいました。これであの若者の大記録をダメにしたんです」と自分の非を認めて謝罪したのです。これに対して、ガララーガ投手は「非を認めて謝罪するというのは大変なことです。私はジョイス審判に敬意を表します」と応じたのですから、大したものです。

 ガララーガ投手がベネズエラ出身の若手、ジョイス審判は白人のベテラン審判ということで、白人の年長者がヒスパニックの若者に謝罪し、若者がそれに敬意を表したという構図、これがアメリカ人の「ガサガサした日常」に対する「一服の清涼剤」として効いたのです。アリゾナでのヒスパニック系への取締りで割れた世論であるとか、メキシコ湾での原油漏出に関する責任追及の怒号などで疲れた世論が、このニュースに飛びついたのは当然だと思います。

 このニュースの扱いが大きかったので、他のイヤなニュース、例えば前日の「アル・ゴアとティッパー夫人の別居」というショッキングなニュース、そしてトルコ船籍の「ガザへの人道援助船」をイスラエル軍が急襲したことによる、イスラエルの孤立といった話題は、ほとんど吹っ飛んでしまったと言っていいでしょう。

 まして、アジアの政局に詳しい一部の人以外には、「複雑すぎて理解できない」日本の政変には関心は向かなかったということなのだと思います。鳩山辞任のニュースがアメリカで話題になっていないというと、すぐに「やっぱり、アメリカの日本への関心が薄れている」とか「日本はどんどん沈むだけ」という印象になるのかもしれませんが、必ずしもそこまで悲観することはないのではないでしょうか。アメリカ人はイヤなニュース、複雑なニュースに疲れていて、そこへ驚くような人情話が飛び込んできたのですから、ヘッドラインが「ガララーガのクールな微笑、ジョイスの誠実な謝罪」になるのは仕方がないでしょう。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

中国万科の社債権者、返済猶予延長承認し不履行回避 

ビジネス

ロシアの対中ガス輸出、今年は25%増 欧州市場の穴

ビジネス

ECB、必要なら再び行動の用意=スロバキア中銀総裁

ワールド

ロシア、ウクライナ全土掌握の野心否定 米情報機関の
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低く、健康不安もあるのに働く高齢者たち
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 6
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 7
    【外国人材戦略】入国者の3分の2に帰国してもらい、…
  • 8
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦…
  • 9
    「信じられない...」何年間もネグレクトされ、「異様…
  • 10
    米空軍、嘉手納基地からロシア極東と朝鮮半島に特殊…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツ…
  • 5
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 6
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 7
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 8
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 9
    【過労ルポ】70代の警備員も「日本の日常」...賃金低…
  • 10
    空中でバラバラに...ロシア軍の大型輸送機「An-22」…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 7
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 8
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 9
    健康長寿の鍵は「慢性炎症」にある...「免疫の掃除」…
  • 10
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story