コラム

オバマはイラク、アフガンの「闇」を背負っているのか?

2009年11月11日(水)15時04分

 先週11月5日に発生し、13人という犠牲を出したテキサス州フォートフッド陸軍基地での乱射事件は、10日の火曜日にオバマ大統領夫妻の列席の下、現地で追悼式が行われました。追悼式は大がかりなもので、犠牲者の遺族や友人をはじめ、基地に勤務中の兵士に加えて周辺の住民も含め基地の講堂前の芝生には立ち見も出るような状態でした。式典は簡素なもので、基地の部隊長、陸軍長官のスピーチに続いてオバマ大統領の演説、そして部隊付けの牧師による祈祷という内容でした。

 オバマ大統領の演説は、たいへんに見事なもので「イスラム系の軍医が基地内で米兵を大量殺戮」という事件の衝撃を受け止めるためにありとあらゆるレトリックが動員したものでした。犯人に対しては「いかなる信仰も、こうした行為を正当化することはできない。現世であれ来世であれ、厳しい審判を受けることは避けられないだろう」と激しく断罪する一方で、犠牲者の13名については大統領自らが1人1人について人柄を紹介して行きました。そして「(犠牲者の)スピリットこそアメリカの誇り」という言葉で、彼等の功績を讃えたのです。

 クライマックスは「犠牲になった人々をはじめ」イラクとアフガニスタンで戦っている現在の米兵について「ヨーロッパを解放した諸君の祖父の世代、ベトナムで従軍した諸君の父親や叔父たちの世代」と同じように「偉大なる世代なのだ」と称揚した部分でした。その日の夕方のCBSでは「ねじれた論理に過ぎず、こんな言い方で遺族の心が癒されるかは疑問」だという批判が出ていました。確かに「ひねり」を利かせた強引な追悼だというのは否定できないでしょう。ですが、この天性の政治家が、終始緊張した面持ちで堂々とこうした言葉を口にすると「その場」は何とか収まるのですから不思議です。この追悼式が何らかの体裁を整えることができたのは、どう考えても大統領の存在感に頼るところが大きかったように思います。

 CBSの批判というのは、他のメディアがこの日に一斉に報道した「乱射事件を起こしたハサン容疑者が、イエメン在住のアルカイダ系聖職者と接点がある」という話題です。たいへんな危険人物との接触があったにも関わらず当局が見逃したのは「失態」だとして、大統領がいくらレトリックを駆使しても説得力がない、そんな観点からの批判でした。

 ですが、この追悼式の中継を見ていて「ハサン容疑者がアフガン派兵要員から外されなかった」理由が、私には分かるような気がしました。というのは、この追悼式の雰囲気は決して厳粛ではなかったからです。CNNの同時中継のHD映像では、列席している基地の兵士達の表情が手に取るように分かるのですが、そのムードは何とも「たるんだ」ものでした。半分以上の兵士が談笑していましたし、来賓のマケイン上院議員などと「満面の笑顔で記念写真」に映る兵士、ガムを噛んでいる兵士、携帯で楽しそうに誰かと話している兵士・・・とても13人の犠牲者を追悼するムードではなかったのです。

 兵士の雰囲気が弛緩していた理由は明白です。「バラク・オバマ、ミシェル・オバマ」という当代きっての「スター」の実物が登場するとあって「浮かれて」いたのです。その証拠に大統領夫妻が入場すると追悼式にはまるで場違いの「キャー」という歓声が沸き上がりました。さすがに大統領は厳しい表情を崩しませんでしたが、ミシェル夫人は微笑みを返していました。「お高くとまっている」という印象を避けるために例外的ながら微笑みを返さざるを得なかった(のでしょう)、そのぐらい「キャー」の歓声は激しかったのです。

 そう言えば、「乱射事件の現場で救命の功績があった女性兵士」や「妹を亡くした女性」など、メディアに出てくる事件関係の「証言者」達も決して厳粛ではなく、ものすごく感情的であったり、場違いにニコニコしていたり、といった感じの人物ばかりでした。この証言者たちの感じさせた違和感、そして厳粛なはずの追悼式の「たるんだ」雰囲気はどこから来るのでしょうか? それは、ここにいる若い兵士達が「困難な戦争の位置づけを理解する」とか「犠牲者への追悼を厳粛な態度で示す」といった初歩的な教育の機会を持てていないことを示しているのだと思います。

 ハサン容疑者がどうして派兵対象者を絞り込む「スクリーニング」に引っかからなかったのでしょうか? それは、そのように教育の機会を持てずに来た若者の集団の中では、大学と医科大学院を卒業して医学博士の学位を取り、しかもその間に奨学金を受給した見返りとして義務づけられた軍務をこなしてきた「大佐」のハサン容疑者は、「大切な人材であり、多少の問題があっても現場で使いたいヒューマンパワー」だったのだのでは? そう考えられるのです。

 人が死んだことの意味も良く分からず、大統領がどうして悲壮な顔をしてここに来なければならないのかも分からないような若者の集団の中では「イスラム系の出自に悩んで自分さがしをしているインテリの軍医」程度の問題では「全くオッケー」だった、(これは、私の個人的な仮説以上の何物でもありませんし、また仮に真実に触れる部分があっても、軍当局はそうだとは言わないでしょう。ですが、)仮にそうであるならば、私にはこうした状況こそアメリカの軍の「闇」を示す部分だと思うのです。

 ハサン容疑者は、自分がイスラムの信仰を持つにも関わらずアフガン派兵の対象になったことで「何とか派兵対象から外して欲しい」という請願を何度も出していたのだそうです。その請願は却下されているのですが、これも「そのぐらいの理由」では対象から外せないぐらい「派兵拒否者が多い」ことの裏返しなのかもしれません。13人の死、その深刻な意味を理解できない兵士達、彼等を愚かと言って批判しても仕方がないように思います。ただ、そこには「闇」がある、私にはそう思えてなりません。

 勿論、ハサン容疑者の生い立ちと反米思想への接近も、報道されている限りにおいても何とも暗いストーリーです。ですが、晩秋のテキサスの陽光の中で、オバマに歓声を上げ、携帯電話を使って大統領の写真を撮り続けていた軍服の若者達が持っていた、「人間として育てられていない」どうしようもない暗さの方が、何倍も私には引っかかるものがあるのです。湾岸からアフガン、イラクと続いたアメリカの戦争政策と、貧困層をターゲットとした志願兵制度を覆っている「闇」の深さとでも言いましょうか。

 この追悼式から6時間後の東部時間午後9時には、似たような事件の狙撃犯に死刑が執行されました。2002年にワシントンDC周辺で無差別狙撃を行って計10人を殺害した「DCスナイパー」ことジョン・ムハンマド死刑囚に薬物注射による執行が行われたのです。第1次湾岸戦争で狙撃兵として従軍、帰還後に「反米」思想に染まって行く中で、息子と2人で無差別狙撃を行うに至ったのです。最終的にはカナダにユートピアを建設して兵力をたくわえ、そこからアメリカへの「攻撃」を行う計画を持っていたという、ムハンマド死刑囚の「闇」はこれで永遠に解明はされないこととなりました。

 1つ思ったのは、他でもないバラク・オバマという人は、この「闇」を正確に理解しているのではということです。追悼演説の中で、犠牲者に対して「あなた方の中には9・11の影(シャドー)の下に兵役に志願した人もいるでしょう」と述べていた部分が、私にはどうしても気になりました。この「シャドー」という言い方は、単に9・11が暗い事件だったという意味ではないように思うのです。9・11の結果、アメリカが戦争に突き進み、この兵士のように恐らくは愛国の情に駆られて兵役に志願した人間が出た、そうした流れの全体をオバマは「影」だと言っている、私にはそう思われたのです。

 では、オバマはその「影」なり「闇」を乗り越えようとしているのでしょうか? そうではありません。今現在の大統領は「闇」に気づきながら「闇」を背負おうとしているのです。そんな「闇」を背負った人間に対して、給油の代わりに50億ドル払うとか、普天間の移転先協議は先送りだとか、名誉市民にするから広島、長崎へようこそなどといった「間の抜けた」会談をすることの意味が果たしてあるのかどうか、私にはどうにも疑問に思えてなりません。全体に対して異議を申し立てたいのなら、全体像の代案を持って責任と迫力のある形で是々非々の交渉をするべきです。そうではなくてダダをこねるように「関係の見直し」をするというような曖昧な姿勢では、この恐るべき深さと頭脳を備えた大統領には対抗できないのではと思うからです。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

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